修学院離宮は、17世紀中頃に後水尾上皇(ごみずのおてんのう)によって造営された離宮で、上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼ばれる3ヶ所の離宮があります。
宮内庁が管理する、京都御所、京都迎賓館、桂離宮、仙洞御所へは行きましたが
修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)はまだ行ってなかったので行ってきました。
(4月30日 日曜日)
表総門
桂離宮でも外国から来られたグループらしい参観者の姿を見ましたが
修学院離宮でも、フランスから来られたご夫婦の姿がありました。
修学院離宮は、京都市左京区修学院の比叡山麓にあります。
下御茶屋御幸門
参観は、下御茶屋→中御茶屋→上御茶屋へと進みます。
下御茶屋 中門(ちゅうもん)
御幸門を入ると正面に高い石垣があり、右手奥の中門をくぐって寿月館へ
一の間に掛けられた「寿月館」の扁額は、後水尾上皇の宸筆です。
寿月館には、一の間・二の間・三の間があり
●一の間は、十五畳で三畳の上段が設け、一間半の床と琵琶床と飾り棚。●二の間は、十二畳で東側の庭に面する南半分。奥に一の間の床裏に当たるところに、四畳半の空間に高窓を明かり取りした配慮がある。●三の間は、六畳敷きの茶室で女院の御座の間であったと言われ、化粧棚や水屋があり西側に開かれた肘掛け窓からは苑池が見渡せるそうです。
一の間の四枚の襖は、岸駒が描いた「虎渓三笑(こけいさんしょう)」
※ 岸駒(がんく)は江戸時代中期から後期の絵師。
白糸の滝
寿月館の東にある小さな滝は上御茶屋から引かれたものです。後世に付け加えられたもので、滝の落口に据えられた三角形の石を富士山に見立て、水の細く分かれて落ちる様子が白糸を引いたように見えることから「白糸の滝」と呼ばれています。
「修学院」の名称は、10世紀後半ここに修学院というお寺が建立されたのが始まりで、南北朝時代以後このお寺は廃絶したが地名は修学院村として残ったそうです。