喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

息子との最後の夜

2016-04-10 | 佐田岬の風景
 明日の朝、息子は進学のためふるさとを巣立っていく。
実感がわかないが、明日の夜はもういないのだ。

 いつか子どもは、親元を離れる。

 生まれたときから今までいろいろなことがあった。
大きな病気もしたが、元気に今を生きている。
 

 風呂が好きで、のぼせるくらい入っていたこともあった。


 双子の妹たちができ、大喜びしていた。


 時にはイクメン(育男)。


 体の心配もほとんどなくなり、高校生活を謳歌。


 そして明後日12日が入学式。私たち両親は仕事があるので出席できない。


 息子と最後の夜を過ごしながら、30年前の自分と重ねあわせていた。

 大した子育てもできなかったが、多くの人に支えられ、育ててもらった。
子どもは家庭で育ち、社会で生かされる。

 たくましく成長していくことを願っている。

           岬人(はなんちゅう)

 

 
 


 

忘れられない旅立ちの夜

2016-04-10 | ふるさと
 今から30年も前になる。
 平礒の田舎で生まれ、育った自分が福岡の大学へ進学するために、ふるさとを離れることになった。
 18歳の桜咲く4月のことだった。 

 引っ越し荷物を家の2トントラックに積み込み、
いよいよ出発の時を迎えた。
 九州へのフェリーの時間の都合で、平礒を夜中12時ころに出発することになった。

 天気がよく星がキラキラ輝いていた。

 祖母・母・弟・妹が見送りをしてくれた。
 ばあちゃんからの
「元気でやんなさいよ。」の言葉に涙がこぼれた。

 トラックに乗りこむと父が、
「今日のことは忘れるなよ。」
のひと言。 
 深く心に響いた。
この時の父の年齢は、ちょうど今の自分と同じ。



 そしてトラックは動き始めた。
トラックの窓を全開にし、別れをする。
見送りの家族が、大きく手を振ってくれた。
 
 胸が熱くなった。
「これがふるさとを離れるということなのか。」

 自分にとって、忘れられない物語。


 今春、三崎高校を卒業した息子は、将来柑橘農家を継ぐために、愛媛県立農業大学校へ進学する。
今晩が最後の夜。
 めずらしく、いろいろなことを話した。

 明日、息子はふるさとを巣立っていく。

           岬人(はなんちゅう)