喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

春を迎えるお伊勢踊り ~二名津編~

2021-02-07 | 歴史・伝統・文化

 2月3日立春を過ぎ、暖かい日が続いている。
そして雨が多くなっている。

 地域では、それにちなんだ催しがされる。
その一つが、二名津のお伊勢踊り。
 写真は、10数年前のものだろう。

 

 毎年2月11日に二名津の氏神である二名神社の春祭りです。
集会所や新築の家、除厄を願う家で行われます。
 扮装・構成は、金地の烏帽子に約1メートルの御幣(ボンデン)を持つ口上人1人に、
黒地に日月模様の立烏帽子をかぶり扇子を持つ舞人1人、
平服に青の法被を着た歌い手多数、大太鼓、小太鼓各1人の囃子方となっています。

 歌詞には「見さいな見さいな 嬉しき舞は見さいな」、
「嬉しきものと囃され 当年の年貢をすっきりちゃんと払うて御蔵へとんと納めたは何よりもって嬉しきな」、
「あらおもしろの神踊り」、
「参り下向のめでたさや」、
「お伊勢踊りのめでたさや」などがあります。

 天明元(1781)年(約230年前)、地区に大火があり「火鎮め」のために踊りが始まったと伝えられています。 

※1月15日には、三崎地区でもおこなわれます。 『出典 KITONARU』

「伊勢踊り」は慶長19(1614)年に伊勢地方で流行した風流踊が全国に広がったとものといわれる。
伊予国には寛永年間に土佐国(高知県)から宇和郡に伝わり、宇和島初代藩主伊達秀宗が保護し、
各地に伊勢神を祀る神明社が建立された。
このため、伊勢踊りは愛媛県内でも旧宇和島領内に多く伝わっている。
 伊勢踊りには除災の力があるとされ、各地の神社で病人祈祷や厄払いの際に奉納されていた。
現在でも伊方町二名津では春祭に厄年の者の厄除けのために伊勢踊りが演じられる。
 奉納目的は様々となっているが、江戸時代初期〜中期にまで遡る歴史のある民俗芸能といえる。
                  『参照 文化遺産オンライン』

 

 ふるさと佐田岬では、春の足音が着実に大きくなっている。

              岬人(はなんちゅう)