2年前のブログ。
1月6日、いとこの広が次のような思いを、ふるさと平礒の風景写真12枚と一緒にブログにのせていた。
とてもグッとくるものがあった。
「実家」
お正月、約二ヶ月ぶりに実家の平礒に帰った。
人口50人に満たないこの村には、かつての天才たちが夢見た未来、2015年になっても、
スマホを持っている人が一割も居ない。
そもそも未成年者を含めれば、携帯電話を持っている人の方が少ない、かもしれない。
流行に流されない、クールな村だ^ ^
アインシュタインは、世界の”最後”を想像の中で見てベロを出したと言うが、
きっと、2015年の平礒をアインシュタインが見たら、ベロを引っ込めて息を呑むだろう(≧∇≦)
もしも明日、世界が終わるなら、僕は最後の一日を、故郷、平礒で過ごしたい☆
このブログにコメントをして、次のようなやりとりがあった。
(私)「ヒロ、いいね。 この小径のある風景、よく撮れているな。」
(ヒロシ)「ありがとう!写真に撮ると、改めて石垣の多さに驚く!
また、今はもう居ない人たちが、写真の中にだけ浮かび上がってくる様な気がする。
ほぼろを背負って杖をつく、ふぅ婆ちゃんの姿が見えるなぁ^ ^
(私)「そう、平礒は、石垣の郷。
ヒロには、見えるかい。
思い出の中に生きている人たちが。
すごいことやね。 それが、生き続けるということかな。」
(ヒロシ)「確かに!生きている人の記憶の中で、みんな生きているんやろなぁ^ ^」
(私)「そうやね。 生きている。 みんな生きている。
平磯での暮らしは、幸せな暮らしやね。」
ふるさとを大切に思う気持ち、ふるさとをなつかしく思う気持ち。
そんな気持ちは、誰の中にもあるようだ。
岬人(はなんちゅう)
1月6日、いとこの広が次のような思いを、ふるさと平礒の風景写真12枚と一緒にブログにのせていた。
とてもグッとくるものがあった。
「実家」
お正月、約二ヶ月ぶりに実家の平礒に帰った。
人口50人に満たないこの村には、かつての天才たちが夢見た未来、2015年になっても、
スマホを持っている人が一割も居ない。
そもそも未成年者を含めれば、携帯電話を持っている人の方が少ない、かもしれない。
流行に流されない、クールな村だ^ ^
アインシュタインは、世界の”最後”を想像の中で見てベロを出したと言うが、
きっと、2015年の平礒をアインシュタインが見たら、ベロを引っ込めて息を呑むだろう(≧∇≦)
もしも明日、世界が終わるなら、僕は最後の一日を、故郷、平礒で過ごしたい☆
このブログにコメントをして、次のようなやりとりがあった。
(私)「ヒロ、いいね。 この小径のある風景、よく撮れているな。」
(ヒロシ)「ありがとう!写真に撮ると、改めて石垣の多さに驚く!
また、今はもう居ない人たちが、写真の中にだけ浮かび上がってくる様な気がする。
ほぼろを背負って杖をつく、ふぅ婆ちゃんの姿が見えるなぁ^ ^
(私)「そう、平礒は、石垣の郷。
ヒロには、見えるかい。
思い出の中に生きている人たちが。
すごいことやね。 それが、生き続けるということかな。」
(ヒロシ)「確かに!生きている人の記憶の中で、みんな生きているんやろなぁ^ ^」
(私)「そうやね。 生きている。 みんな生きている。
平磯での暮らしは、幸せな暮らしやね。」
ふるさとを大切に思う気持ち、ふるさとをなつかしく思う気持ち。
そんな気持ちは、誰の中にもあるようだ。
岬人(はなんちゅう)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます