喜久家国際ワークキャンプも残りあと2日。
12日(火)が出発。
期間中、我が家は「もらい風呂」として協力。
今日も6人のメンバーが訪れた。
ちょうどいい機会だったので、ワークキャンプ期間中
「感動したことを教えて。」
と聞いてみた。
すると伊吹ちゃんが、次のようなことを語ってくれた。
「昨日、阿部さんのおばあちゃんが、明日と明後日は雨が降るので、収穫できない。
だから今日があなたに会う最後になりますね。
本当、よく手伝ってくれて、ありがとう。
もっといてほしいくらいです。」
そのやりとりが目に浮かぶ。
ゆきみおばちゃんは75歳を超え、小さな体で、腰が曲がった状態。
それでも一生懸命に85歳になる春原おっちゃんと働いて、幸徳君を手伝っている。
仕事をしながら、ひとり言で
「もうちょっと。もうちょっと。」
と自分を励ましながら。
伊吹ちゃんから聞いた感動的な話だった。
そこで、僕からも幸徳君に関する感動的な話を伝えてあげた。
幸徳君が、三崎高校2年生の時に書いた感動的なスピーチ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/93/1c32cec79a3ebd794262695ca93bf621.jpg)
『 今僕がここに居る理由
あなたを一番やる気にさせるものは何ですか?
ボーイフレンドやガールフレンド?友達?それとも将来の夢?
僕の場合、それは僕の祖父母です。
祖父母は僕に生きがいを与えてくれるのです。
どうして祖父母かって?
僕は6歳のときに父を、11歳のときに母を無くしました。
13歳までは母方の祖父母と一緒に暮らし、その後、父方の祖父母のところに引越しました。
それ以来ずっと、父方の祖父母が僕の面倒をみてくれています。
ここまでは、悲しい話に聞こえるかもしれません。
ええ。確かに、辛いこともありました。
しかし、この話は決して、最初から最後まで全て悲劇なわけではないのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/07/9cc9b912759ecb54face03ebe38e9605.jpg)
僕の祖父母はみかん農家を営んでいるのですが、もう結構な歳です。
僕が初めて祖父母のところにやってきたとき、祖父は僕にこう言いました。
「80になるまではがんばらないけんな。」
それはつまり、僕が高校を卒業するまで働き続けるということを意味していました。
驚きました。
祖父はすでに引退してもおかしくないほどの歳だったのに、それでも働き続けることを決意してくれたのです。
僕を育てるために。
僕は今年、高校2年生になりました。
先生たちは僕に進学を薦めます。まぁ…僕はデキるやつなのでね。
でも、僕の夢は一刻も早く祖父母と一緒に働くことです。
彼らの生活を楽にしてあげたいですから。
そして、難しいことはわかっていますが作りたいのです。
自分たちの手で、新しいブランドみかんを。
もちろん大学が大切だということはわかっています。
けれど、僕の心が言うのです――祖父と一緒に山に行きなさい、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/59/508cd29566171dc46b27513f80629abb.jpg)
これは成長の物語です。
選択の物語でもあり、愛と尊敬の物語でもあります。
僕の祖父は厳格な人で、叱るとき以外に、あまり多くを話しません。
けれども、祖父は一生懸命働くことの大切さを僕に身をもって教えてくれます。
やればやるほど成長する。
力を注げば注ぐほど良いみかんができる。
これって人生も同じじゃないですか?
祖父は、学校では学べないことを僕に教えてくれます。
それは数学のテストで高得点を取ることでも、英文法を覚えることでもありません。
土や、太陽や、雨に関すること―自分の手でものを育てることについてです。
それは大地を敬い、愛し、感謝の念を持つことです。
大地だけではなく、僕を育ててくれた人々にも。
じいちゃん、ばあちゃん。
ほんとにありがとう。
俺、じいちゃんばあちゃんの孫でほんとに良かった。
もうすぐだからね。
今度は俺がじいちゃんばあちゃんを支えるよ。』
このスピーチは、平成24年度全国商業高等学校英語スピーチコンテスト愛媛県大会の最優秀賞を受賞し、
全国大会でも述べられた。
この話をした後、伊吹ちゃんの目からこぼれた涙に、もらい泣きしそうになった。
ふるさとには、心を揺さぶる物語がいくつもある。
今日は、一日中雨が降っている。
一雨ごとに、春の足音が近づいてくるようだ。
岬人(はなんちゅう)
12日(火)が出発。
期間中、我が家は「もらい風呂」として協力。
今日も6人のメンバーが訪れた。
ちょうどいい機会だったので、ワークキャンプ期間中
「感動したことを教えて。」
と聞いてみた。
すると伊吹ちゃんが、次のようなことを語ってくれた。
「昨日、阿部さんのおばあちゃんが、明日と明後日は雨が降るので、収穫できない。
だから今日があなたに会う最後になりますね。
本当、よく手伝ってくれて、ありがとう。
もっといてほしいくらいです。」
そのやりとりが目に浮かぶ。
ゆきみおばちゃんは75歳を超え、小さな体で、腰が曲がった状態。
それでも一生懸命に85歳になる春原おっちゃんと働いて、幸徳君を手伝っている。
仕事をしながら、ひとり言で
「もうちょっと。もうちょっと。」
と自分を励ましながら。
伊吹ちゃんから聞いた感動的な話だった。
そこで、僕からも幸徳君に関する感動的な話を伝えてあげた。
幸徳君が、三崎高校2年生の時に書いた感動的なスピーチ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/37/93/1c32cec79a3ebd794262695ca93bf621.jpg)
『 今僕がここに居る理由
あなたを一番やる気にさせるものは何ですか?
ボーイフレンドやガールフレンド?友達?それとも将来の夢?
僕の場合、それは僕の祖父母です。
祖父母は僕に生きがいを与えてくれるのです。
どうして祖父母かって?
僕は6歳のときに父を、11歳のときに母を無くしました。
13歳までは母方の祖父母と一緒に暮らし、その後、父方の祖父母のところに引越しました。
それ以来ずっと、父方の祖父母が僕の面倒をみてくれています。
ここまでは、悲しい話に聞こえるかもしれません。
ええ。確かに、辛いこともありました。
しかし、この話は決して、最初から最後まで全て悲劇なわけではないのです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7c/07/9cc9b912759ecb54face03ebe38e9605.jpg)
僕の祖父母はみかん農家を営んでいるのですが、もう結構な歳です。
僕が初めて祖父母のところにやってきたとき、祖父は僕にこう言いました。
「80になるまではがんばらないけんな。」
それはつまり、僕が高校を卒業するまで働き続けるということを意味していました。
驚きました。
祖父はすでに引退してもおかしくないほどの歳だったのに、それでも働き続けることを決意してくれたのです。
僕を育てるために。
僕は今年、高校2年生になりました。
先生たちは僕に進学を薦めます。まぁ…僕はデキるやつなのでね。
でも、僕の夢は一刻も早く祖父母と一緒に働くことです。
彼らの生活を楽にしてあげたいですから。
そして、難しいことはわかっていますが作りたいのです。
自分たちの手で、新しいブランドみかんを。
もちろん大学が大切だということはわかっています。
けれど、僕の心が言うのです――祖父と一緒に山に行きなさい、と。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3d/59/508cd29566171dc46b27513f80629abb.jpg)
これは成長の物語です。
選択の物語でもあり、愛と尊敬の物語でもあります。
僕の祖父は厳格な人で、叱るとき以外に、あまり多くを話しません。
けれども、祖父は一生懸命働くことの大切さを僕に身をもって教えてくれます。
やればやるほど成長する。
力を注げば注ぐほど良いみかんができる。
これって人生も同じじゃないですか?
祖父は、学校では学べないことを僕に教えてくれます。
それは数学のテストで高得点を取ることでも、英文法を覚えることでもありません。
土や、太陽や、雨に関すること―自分の手でものを育てることについてです。
それは大地を敬い、愛し、感謝の念を持つことです。
大地だけではなく、僕を育ててくれた人々にも。
じいちゃん、ばあちゃん。
ほんとにありがとう。
俺、じいちゃんばあちゃんの孫でほんとに良かった。
もうすぐだからね。
今度は俺がじいちゃんばあちゃんを支えるよ。』
このスピーチは、平成24年度全国商業高等学校英語スピーチコンテスト愛媛県大会の最優秀賞を受賞し、
全国大会でも述べられた。
この話をした後、伊吹ちゃんの目からこぼれた涙に、もらい泣きしそうになった。
ふるさとには、心を揺さぶる物語がいくつもある。
今日は、一日中雨が降っている。
一雨ごとに、春の足音が近づいてくるようだ。
岬人(はなんちゅう)
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