喜久家プロジェクト

日本一細長い半島、四国最西端「佐田岬半島」。 国内外からのボランティアとともに郷づくり「喜久家(きくや)プロジェクト」。

伊方町中学生レッドウィング旅行記2 ~レッドウィングに行きたい②~

2010-09-19 | ブログ
『伊方中学校から4名、瀬戸中学校から2名、三崎中学校から2名、
計8名の大志を抱いた中学生がレッドウィングへ行くことになった。
夢の扉がゆっくりと開かれた。
  
 5月に渡航説明会があり、準備、英会話研修を重ねてきた。
夏休みに入り、レッドウィングの学生を受け入れ、
私たちのふるさと伊方町を感じてもらった。

 文化も経験もちがうレッドウィングの友は、
「何をしたいのか。」「何を知りたいのか。」
そんなことを思いやりながら、
逆に自分や自分のふるさとを見つめ直すことにもなった。
 生涯の友になるであろうその絆は少しずつ強くなっていった。
  
 そして、7月30日(金)、ついに出発の日がやってきた。
レッドウィングの友の帰国にあわせて、私たちは多くの人に見送られ出発。
 子どもたちの顔は、不安を吹き飛ばし喜びと希望に輝いていた。

 ところがこれから8時間後、この輝きが打ちくだかれることになるとは、
この時誰も予想していなかった。』

 写真左は、レッドウィング市の中学生を引率して来られたトム・ブレーズさん。
 右は、その息子のネイトさんです。
今香港で働いているのですが、父の日本滞在に合わせて
香港から来られました。

伊方町中学生レッドウィング旅行記1 ~レッドウィングへ行きたい①~

2010-09-19 | ブログ
 この夏の一番の出来事、「第14回伊方町中学生レッドウィング派遣事業」
で引率したことをふりかえってみます。

 今から150余年前、土佐の中濱万次郎が14才の時、出漁中に漂流し、
アメリカの捕鯨船に救助され、アメリカに渡った。
さまざまな知識や技術を学んだ後に帰国し、
幕末から明治にかけて、日米の友好をはじめとする国際交流の礎に多大な影響を与えた。

 同じ土佐の坂本龍馬は、万次郎の話を聞き、
ふるさと土佐や日本とはちがうアメリカの様子に大きな衝撃を受ける。
そしてもっと世界を知りたいという気持ちが高まっていき、
新しい日本を切り拓いていく。
  
 時代を問わず、世界を知ることで、
自分や自分のふるさとのことがよりはっきりと見えてくる。
 私自身、平成15年「日米国民交流若手教員の米国派遣」で、
3ヶ月間のアメリカでの生活をとおしてこのことを強く感じた。

 ふるさと伊方町の未来を担う中学生たちにもぜひそんな体験をしてほしい、
と日頃から思っていた。
そう考えると、このレッドウィングへの海外派遣はまたとないすばらしい機会となる。
さて、どんなメンバーが 集まるのだろう?

佐田岬のイノシシ

2010-09-15 | ブログ
 13日のことです。
国道であるメロディーラインの上にある町道をドライブしていました。

 佐田岬の尾根には、多くの風車が立ちならび、
宇和海と瀬戸内海を見下ろすことができます。

 気持ちよくドライブしていたところ、
道路のまん中に何やら。
 数匹の犬と思っていたところ、
何とイノシシの子ども「うり坊」だったのです。

 かわいいと思えば、かわいいのですが、
私たち農家にとっては、宿敵。
どれほどの被害と苦労をかけられていることか。

 しばらく様子をみていましたが、
崖に向けてかけあがっていきました。
 豚に似ていますが、
その運動能力は、格段のちがいです。

 あの4匹のうり坊とは、
里と獣の世界を棲み分けて、
共生していきたいものです。

           岬人
      

佐田岬群青の宇和海 ~しらす丼を食す~

2010-09-14 | ブログ
 最高の生しらすを食べた後は、
さらに岬(はな)アジのひらき、
そして、しらす丼。

 ご飯が見えないくらい、上にのせ、
生卵を落とし、
ネギをパラパラ。
こいくちしょうゆをかけて、
あとは食べるだけ。

 はしを差し入れますが、
ご飯が見えてきません。
ひっくり返し、
口いっぱいにほおばります。

 「最高!」

 言葉になりません。
木嶋社長自らの「男の料理」をいただき、
心もお腹もいっぱい。

 なお、木嶋社長は、本当すごい方です。
30年来、ふるさとを盛り上げるために、
さまざまなアイデアと行動力で、
地域づくりを行ってきました。
 そして今も、有志でグループを作り活動しています。

 佐田岬の宝は、
自然であり、
歴史・文化であり、
そして何よりも人であるのです。

                     岬人

群青の宇和海のシラス

2010-09-14 | ブログ
 シラスとは、イワシなどの子ども。
味にくせがなく、透きとおるようにやわらかく、
栄養満点。
 
 では、生シラスって食べたことありますか?
とれたシラスのさしみのことです。

 以前から食べてみたいと思っていたので、
知りあいの伊方町木嶋水産の社長に電話。
予約していなかったにもかかわらず、
こころよく引き受けていただきました。

 写真を見てください。
 とれたて、最高鮮度。
海からあがってすぐ!のものは透き通るように美しく、
口に入れればしっとりと柔らかく、
海の風味つまったようなおいしさ。
スーパーで売っているものとは全然ちがいます!

 この美味しさは、ここでなければ食べられません。

 一度、食べに来てみてください。
ふるさと佐田岬の海は、最高の食材の海です。

 木嶋水産ホームページ
 http://www.kijima-s.jp/uwakai/

                     岬人


四国最西端の三崎中学校の運動会 ~燃える紅組~

2010-09-14 | ブログ
 応援の部の発表に続き、
競技の部の発表。

「紅組の勝ち!」
アナウンスと同時に、紅組は燃え上がりました。

 応援合戦でくやしさをかみしめた分、
その喜びも大きくふくれあがります。

 一生懸命、声を出し、汗を出し、
燃える中学生。
 そんな姿を見て、どれほどまわりの人たちが
感動し、元気をもらったことでしょう。

 さあ、19日(日)は、地域の「二名津小学校」の運動会。
23日(木)は、四国最西端の学校「佐田岬小学校」の運動会。
 また、新しいドラマが生まれることでしょう。

                  岬人

応援合戦

2010-09-14 | ブログ
 四国最西端の三崎中学校の運動会。

 中学生たちは、若さにあふれ、見る者をひきつけます。
特に応援合戦は、3年生を中心に、
夏休みから準備に取りかかり、
もっとも熱の入る1つです。

 紅白とも、お互いのできばえを意識しながら、
自分たちの持ち味を出しきりました。

 応援合戦の結果は、閉会式の時に発表されます。

 そしていよいよ閉会式結果発表。
感動的な場面がありました。

 前に横ならびにいた私の真ん前に、
白組の3年生の女の子が立っていました。
 うつむき、くちびるをキュッとかんで、緊張の面もち。

 結果発表があると同時に、
白組から「やったー」という歓声があがりました。
 そして、その子も涙をおさえきれず、
顔が涙でくしゃくしゃに。

 目だつ子ではないのですが、
自分のやらなければならないことを、一生懸命にやりとおす子です。

 思わず、胸が熱くなりました。

 四国最西端の中学生は、
また一つ大きな足跡を残し、成長していきます。

                      岬人

 

四国最西端の三崎中学校の運動会 ~宝さがし~

2010-09-14 | ブログ
 先日13日の運動会をふりかえってみます。

 空の青、山の緑、友好の万国旗、
そしてその下で、実施されているのは
お年寄りのための「宝さがし」。

 この「宝さがし」も三崎中学校の定番です。
中学生の競技・演技だけではなく、
見に来ていただいた地域のお年寄りの方々のために行われています。

 宝物は、前もって各家庭に呼びかけ、
出してもらえるよう協力をお願いします。
石けん、タオル、食用油などさまざまな物が
集まります。

 合図とともに、観客席にいたお年寄りの方々は、
ぞろぞろと運動場まん中にならべられた「宝物」
をとりに行きます。
ちょっとした運動。
そして見られていますという競技。
 
 あたたかい心配りです。
地域あっての学校なのですから。

 そして、小さな学校だからこそできることだと思います。

 「小さいことは、すばらしい!」
 「Small is beautiful!]

岬人

 

運動会と万国旗

2010-09-14 | ブログ
 四国最西端の三崎中学校・三崎小学校合同運動会。
心配されていた天候も最高。

 空を見上げると、万国旗がとってもきれい。

 ふとっ思いました。
「運動会にどうして、万国旗をかざるのだろう?」

 そこで、調べてみました。

『明治の初め頃(1870年代)日本にやってくる船は、
入港するときに自国の国旗と日の丸を掲げていました。
 これは相手国に対して敬意と友好を表すものとして。
 
 また日本はこの頃、万国博覧会にも参加するようになりました。
大きな博覧会では参加各国の国旗が揚げられていたことから、
日本国内では、にぎやかなイベントの場で万国旗が使われ、
明治中頃(今から約100年頃前)には運動会の万国旗は定着していたとされます。

 ところで万国旗とは言うものの、
現在市販されている一般的な万国旗の場合、
実際には20か国程度の国旗しか使われていない。

 国旗が無い国に気づかってか、
その国の子供に気づかってか、
最近は運動会で万国旗を使わないところが多くな
ってきています。』

 でも何とも、大らかな日本人らしいところですね。
おそらく、他国では敵対関係にある国の国旗など
絶対にかざらないでしょう。


レッドウィングのリバーシティー・パレード

2010-09-11 | ブログ
 レッドウィングのリバーシティー・パレードです。

 日本に来たレッドウィングの子どもたちも、
浴衣が気に入り、浴衣を着てパレード。
とても似合ってきれいです。

 沿道をうめつくす大勢の人たちも、
きれいな浴衣を着た子どもたちに、
大きく手を振ってくれました。

         岬人

 

 

ハンギング・フラワーバスケット

2010-09-09 | ブログ
 レッドウィングの花のある風景。
ハンギング・フラワーバスケット。

 こんな上の場所にある花にはどうやって水を与えるのでしょうか。

 写真のように、給水車からホースをつなぎ、
水を押し上げ、バスケットに流しこむようになっています。

 なかなか手間がかかります。

 近くで、花のきれいな場所は知りませんか。

                岬人

レッドウィングのトレードマーク

2010-09-09 | ブログ
 写真は、レッドウィングのトレードマークとも言える

「ハンギング・フラワーバスケット」です。

 市街地(ダウンタウン)の歩道に沿って、
設置されていて、市民に潤いを与えています。

 この季節は、アサガオのような花が育てられていました。
さて、水は、どのようにして与えるのでしょうか。

            岬人

愛媛産には、愛がある

2010-09-06 | ブログ
『照りつける日差しと絶えず耳に入ってくるせみの声。
真昼の昼下がりに両親にたのまれ、
倉庫に飲み水を持って行った時のことです。
 
 そこには、夏にもかかわらずカッパを着ている両親の姿が。
汗は服を滝に打たれたように濡らし、長靴を水たまりにかえ…
その光景をよく覚えています。
 その時でしょうか、私が農家を志すようになったのは…。

 それから数年が経ち、いつものように冬が来ます。
柑橘農家にとって猫の手も借りたい日々の幕開けです。
 朝早く、人間の手を持つ私は梶原家の戦力として段々畑にかりだされます。
冬は、待ちに待った収穫の時季です。
 今年も「愛媛産には愛がある!」
の売り文句に恥じないできばえです。
そして夜は、柑橘の出荷の準備を遅くまでやってのけます。

 みなさんが、こたつのお供としてなれ親しんでいる柑橘。
その柑橘の1つ1つには、
決して語られることのない農家の方々の想い(ドラマ)が
つまっているのです。

 私の成長のそばには柑橘がありました。
働くことの意義や努力は1日では成り立たないこと、
そして苦労を幸福に昇華する、
「おいしい!」のひと言…。

 私はこの柑橘を守り、発展させ、
後の時代に伝えていきたいと思っています。
 私の先祖が今に残してきたように。

 農業は学歴や知識ではできません。
柑橘の1つ1つに思いをこめてこそ、
「愛媛産には愛がある!」
は語られるのです。』

 
 この文章は、平礒の梶原崇裕君が書いたもので、
平成21年度毎日新聞農業記録賞、高校生部門(優良賞中央入賞)
しました。

 今年の夏は、とにかく暑かったです。
そして今も残暑がきびしく。
 そんな時、ふとっ
以前読んだこのすばらしい文章を思い出しました。

 ふるさとには、汗がよく似合います。

                岬人(はなんちゅう)
                 

               

一流プレーヤー 岡野弘子さん

2010-09-04 | ブログ
 伊方バレーボール教室後のサイン会の様子。
背番号15の岡野弘子さん。

 一流プレーヤーとは、一流人間でもあるのです。
 
 岡野さんとは、6月に初めてお会いし、
お話を聞かせていただきました。
全日本のユニホームを着てプレーしたまるで雲の上の人。
ところが、とてもひかえめで、場の雰囲気をつくられる
とてもすてきな人でした。

 三崎のゑびすや旅館で出会った翌朝。
 岡野さんと中田コーチそして河本監督は、
用事があって、何と私の実家のある平礒へ行かれたのです。
 そこであろうことか、私の母と出会い、
母は、うちの清見ジュースを飲ませてあげたようです。

 バレー教室の夜の懇談会。
遠く離れたテーブルにいた岡野さんと目が合うと、
気持ちのよいあいさつをしてくれました。
たった1回の出会いだったのに、覚えていてくれたのです。
 
 そこで、岡野さんに3ヶ月前の平礒での出来事をお話ししました。
岡野さんもビックリされていました。
「清見ジュースがおいしかったです。」
「あんなに親切にしてもらえるなんて。」

 母もすばらしいことをしてくれました。

 岡野さんの、出会いや人を大切にされる人柄に
とても魅力を感じました。
 一流プレーヤーとは、一流人間でもあるのです。

                   岬人(はなんちゅう)