僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

隙が好き

2007-04-12 | Weblog

しょうもないダジャレのタイトルで始めてしまった今回の話はまた盲導犬について。

先週の末やったか、こないだ高槻の駅で見た盲導犬とはまた別の盲導犬に同じ高
槻駅で遭遇。前はホームの上にいたのをしばらく見てただけやけど、今度は同じ電
車に乗り合わせて、俺のちょうど向いの席に位置し、俺が降りる堺筋本町まで一緒
やった。

犬種は盲導犬のスタンダード、ゴールデンレトリバー。そのレトリバーの「彼」はご主
人(女性)の足元に座り、じっとお仕事?をしている。また、その座っている時の姿勢
が、あごを主人のひざの上に載せていてなんとも可愛らしい。

でも、あごの載せるのは可愛いけど、盲導犬の基本姿勢ってそんなんやないよな?
と思っていると、彼はそれに気づいたかのように、今度は床に「伏せ」の姿勢でペタン
となりよった。そうそう、それが基本姿勢やろやっぱり、などと一人で含み笑いをしな
がら見ていると、なんか今度はちょっとずつ後ろへずれていきよる。やがて、自分の体
の中心が主人の足元にあったものが、顔が足元になり、体の中心はその横の人のと
ころまでずれてしまった。となりの人がそれを見て思わず笑い出したことで気づいた

人に「これ、どこいってるの、アンタ!」と言われ、スゴスゴと元の位置に戻る。もうこの
一連の動作で、俺はもう吹き出しそうになるほどのおかしくなってしまった。

こういうしぐさはおよそ「盲導犬の範」からはほど遠い訳で、おそらく彼は盲導犬の世
界では、落ちこぼれなのかも知れない。でもそのなんとも愛嬌のあるしぐさと、それで
もちゃんと主人を守ろうとしている姿勢が俺にものすごいやすらぎを与えてくれていた。

おそらくこのような図式は人間の世界でも同じやろう。完璧に仕事をこなす人はもの
すごいなぁと思うけれど、なんか面白みがなくて魅力的には感じない。かたや、たまに
軽い失敗をしながらも、そこそこ仕事をこなす、という人のほうには魅力を感じること
が多い。

それはやっぱり「隙」という一種のマイナス要因が、お笑いの「オチ」の役目を果たして
いるからで、これがないと人生は、「健康の為たばこの吸いすぎに注意しましょう」とい
うどこから見ても正しいけど、なんの魅力もない言葉と同じになってしまうからなんやろ
ね。

本来、盲導犬には一分の隙もあってはいけないもの。勝負の世界やビジネスにおい
てもそのお題目は同じ。けれど、やはりそこには隙が潜んでいて、俺を忘れないでよ、
といわんばかりに時々顔をだしてきよる。俺はその瞬間の隙がなんとも好きや。

自分自身に隙を持っていても、その時々出てきよる隙を逃さずに見つけられる人は、
隙を楽しめる人。逆に隙のない人生を送っていてもそれを見つけられない人は、意外
に隙だらけの人間やないのかねぇ。