この間、テレビで老々介護についての番組をやっていた。80歳くらいのご主人が、
体の不自由になった同い歳くらいの奥さんを一生懸命介護したはる映像を、俺は
直視できなくて、すぐチャンネルを変えてしまった。
その翌日、ダイエットを始めてからはしばらくご無沙汰してるけど、会社の地下の定
食屋さんの奥さんが、珍しく犬を抱いておられるところに遭遇。どうしたん?と尋ねて
みると、その犬はもう19歳になり、後足が動かなくて、食事はもちろん、排便もでき
ないので、一人(匹)で家においておくわけにいかず、連れてきたとのこと。
夫婦でお店をやっておられるので、朝早くから夜遅くまで家には誰もいないのでそれ
しか方法がなかったらしい。
その話も俺は最後までちゃんと聞けなかった。
そして今日、弁当を買いに1階に下りたら、ビルの前にその犬がダンボール箱の中で
毛布をかぶせてもらってじっとしていた。もちろん、食堂やから犬を中に入れておく訳
にもいかず、彼(女)にはそこしか居場所がないんやろう。その犬は自分の前足をペロ
ペロなめながら、何もいわず外で主人を待っている。
その姿もやはり俺は直視できなかった。
この時の自分の気持ちは、ものすごく単純な感情表現だと「可愛そう」ということに
なるんやろうけど、そこにはどちらも自分に将来起こり得るであろう事柄やという不安
が混ざっているから、その気持ちがものすごく増幅されて、耐え難い感情になってしま
ってるんやろう。どちらも目を逸らさずに直視することが大切やし、特に老々介護の
問題については社会の構成員としてなんとかせなあかん問題やのにね。
この22日、統一地方選挙がある。
この何年間か、選挙期間外から、雨の日も風の日も真夏の暑さの中でも厳冬の寒
さの中でも、月に1度、必ずといっていいほど、駅前で演説を続けてこられた市会議
員の方がおられる。その方が今度、高槻市長に立候補されることになった。今までの
演説内容をきちんと聞いてた訳やないし、まだその人のマニュフェストを見た訳やない
から、投票については何とも言えんけど、少なくとも今までの姿勢から、この人なら市
民の為に地道な努力を続けてくれるやろう、という信頼感を持ったことは間違いない。
願わくばその人の主要な政策のひとつに老々介護の問題等に対する取り組みがあ
り、俺はそれに共感することができ、その人に投票できることを今は切に願う。
ここで目を逸らせたら終わりやもんね。