僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

ほころびあってこそ完璧

2007-05-26 | Weblog

家にきれいな花が飾ってあった。いつもたいして花なんぞ置いてあっても気に留めない俺が
なぜかその花にえらく目が引かれた。なんか気になって顔をぐっとその花に近づけてみる。そ
れはものすごく本物の花のように見えるのに、なんかちょっと造花臭さを感じる変な雰囲気
を感じたから。

で、顔を近づけた結果、やっぱりそれは造花やった。でも普通の造花と違ってとにかく本物
っぽい。何がそないに本物っぽいのか?と思ってよーく見てみると、ほんの一部に萎れかかっ
た(ように見せた)花びらがある。枯れる訳のない造花やからこそ、最初から枯れたようにみ
せた花びらを入れることで、本物っぽくすることができるんやろね。
こっちはまさか造花が枯れるなんて思ってないし、枯れないからきれいに見える造花にまさか
枯れた花びらが入ってるなんて夢にも思ってないから、その心の隙をついた見事な戦略やと
思った。

真実もあまりに完璧すぎると嘘に聞こえるし、嘘もまた完璧すぎるとバレてしまう。以前「隙
が好き」で書いたことに近いけど、この世に存在するもの全てにはなんか「ほころび」があって
こそ、それは輝きを持ち、俺達に語りかける。

「完璧」それは目標として絶対になくてはならない。でもそれは“完璧に”叶えられてはいけ
ない目標だ。言い換えれば目指した目標が叶えられた時、そこにほころびがあってこそ完璧
に目標が叶えられた、ということになる。

いやー、50歳まであと半年強、こんなことを考えてると、人生ってホントに面白く難しいもの
やということをつくづく感じるなぁ。

今は5月26日(土)の10時30分。昼迄出勤の土曜日で今は会社。本来仕事をしてい
なければいけない時間帯にこのブログを書いている。

まあええやんな、完璧に仕事してもなんやしね。しかも完璧にはようせんし。