僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

ビアン

2007-07-23 | Weblog

参議院選挙が近い。なのでここのところ選挙演説も数多く、車での遊説も多い。
そんな中、大阪市内をものすごいキャッチフレーズで遊説している立候補者がいた。

「国会で同性愛者、レズビアンであることを勇気を持って公表した○○○子でござ
います。私はこの国の偏見をなくす為に努力いたします。」

というようなもの。こんなことを車から大きな声で言うもんやから、さすがに注目率は
ものすごい。老若男女を問わず、俺を含むほとんどの街行く人がなんやなんや、と
ばかりに選挙カーのほうに振り向いてるもんね。

偏見は確かにいけないし、愛の形は自由やと思う。俺には死んでも理解できんけど、
そういう意味では同性愛もありなんやろう。世の中にはこういうふうに偏見に対して
先頭を切って行く人が必要なのも分かる。
でもなんなんやろうね、このなんともいえん感情は。この候補者や、同性愛者の方々
には申し訳ないけど、こと、人を振り向かせるということに関しては、なんか俺は反則
ワザを使われたような気になってしまうのよ。こういう例えは失礼やとは思うけど、なん
かいきなり服脱いだり、ズボン下ろしたりするのと近いような気がするねんなぁ。

この人の公約、というのは前述した演説内容そのもので、市民に、自分はそういう
ことに一生懸命取り組むので、是非よろしくお願いします、ということらしい。
でも俺は、正直言って、この演説でこの人に振り向いた人のほとんどがきっとただの
興味本位=偏見からだった思う。

偏見をなくす為には、まずそれを顕在化させる必要があるということなのかな?好奇
の目に耐える、ということでは確かに勇気がある、と考える向きもあるとは思うけど。

でも、勇気とは、対象に直角に向かわなければいけないもんや。少しでも角度が付く
と、その跳ね返りは自分ではなく他人に向いてしまう。

この人の勇気は少し鈍角だったような気がするなぁ。