僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

大股で歩く男

2007-09-11 | Weblog

作詞家の阿久悠さんが亡くなって、昨日「忍ぶ会」のようなものが行われたとニュースで言っていた。

まぁ、作詞家としては超有名な人やから、この人のことは当然知ってはいたんやけど、いつもこの
人の詩の何がええねん?と思ってた。ピンクレディーの詩なんかその極地やし、それ以外の、名曲
と言われた唄の詩もまったく深みが感じられへんし、売れる理由がさっぱり分からんかった。
でも、こないだからのメディアへの露出で、ひとつだけ分かったような気がすることがある。
それはこの人の詩に対するコンセプト、というか、突き詰めると生き様のようなもの。

亡くなる直近に阿久さんが、「今、詩を書くとしたらどんな詩を書きたいですか」というインタビューに
「"大股で歩く男"を書きたい」と答えた、その言葉がものすごく印象に残ってる。
何が今の時代に足らないのか、ということをものすごく真摯に見つめ、正確に分析して、それをとって
も分かりやすい言葉で表現できる人なんやと思ったね。それに阿久悠とペンネームは悪友からつけた、
というのもまたいい。ホンマにものすごく生き様のいい人やったんやわ。
だからといって俺には、なんでその素晴らしい生き様があんな詩になるの?という疑問が解けへん
訳やけど、こういう素晴らしい考え方が詩を通じて、多くの人の心を打ったんやとするなら、まぁそうい
うことなんやろうなと納得せなしゃあない。

これほどに時代をきちんと分析してそこに足らないものを言葉にできる(しようとする、と言いたい所
やけど)人でも、どんな詩が売れるのか、なんてことは絶対に分からなかったらしく、「だからこそ、
自分がいい、と思ったものを信じてやる以外に何もないんです」と言っておられた言葉にもまた深く
感銘を受けた。

50年近く自分を信じて、自分の可能性こそが生きがいだと言い続けてている俺。
結構大股でも歩くんやけど、こんな俺はどうなるのでしょう?
阿久さんが生きてるうちに聞いてみたかった気がするのであります。