「柔よく剛を制す」
私が子供の頃知った柔道は、この言葉が表すように、小さい人でも大きい人に勝てるとする格闘技だった。
でも「体重別」というカテゴリー出来た時点で、体格の違いはいかんともしがたいのだということが明らかになり、今やこの言葉が形骸化していることは誰もが知るところである。
今回の世界柔道では、特に重量級で、誰もメダルにかすりもしなかった。
なんでも、勝てない原因は、主に力(腕力)の差にあるらしく、外国勢の圧倒的な腕力の前に、日本人は命綱とも言える引き手を自分の得意とする形で取らせてもらえないので、1本を取るどころか、投げを打つこともできないそうな。もはや「さらなる剛が剛を制す」というのが近年の柔道なのである。
でも、こうなってしまったら日本人は絶対勝てないのだろうか?昔も腕力の強い外国人はたくさんいたのに、あの山下泰裕さんはただの一度も負けなかったではないか?
私はその理由をこう考える。きっと、山下さんは腕力もそれなりにあったのだろうが、彼の強さは柔の「道」から決して外れなかったことにあったのではないかと。
日本がモスクワオリンピックをボイコットして山下さんが出場できなかった時、あるインタビュアーが山下さんに「出ておられれば間違いなく金メダルでしたね」と聞いた。その時、彼は血相を変え、「勝負はやってみなければ分かりません。モスクワのチャンピオンはその時世界一強かった。金メダリストを侮辱するような失礼なことを言うものではありません」とそのインタビュアーを一喝したのである。
ただの一度も負けていないのに、決しておごることのない、謙虚で真摯なその姿勢に、私は深く感動した。さらに彼は、このような精神の美しさだけではなく、見た目の美しさも持ち合わせていた。試合での立ち姿が凛としていて、絶対に逃げて腰を引くことなく、正々堂々相手に向かっていくその姿勢を見ていると、それだけで負ける気がしなかったし、惚れ惚れしたものである。
「道」の終着点は「美学」であり、道と名のつく競技には勝敗の前にまずそれが求められる。そしてその道を極めたものこそが、肉体的にも強さを得ることができるのだろう。
現男子監督である篠原さんはあの「世紀の大誤審」で金メダルを逃した時も「弱いから負けた」としか言わなかったし、「あそこで勝ったと思った自分自身が甘かった」とまで言っている。
山下さん同様、篠原さんにも美学がある。
このような指導者の下でも勝てないのならそれはそれで仕方がない。
間違っても、ルール改正うんぬんで勝とうとするような、逃げ“道”や抜け“道”・近“道”に走ることだけはせず、柔の道を永遠に残して欲しい、そう思うのだ。
私が子供の頃知った柔道は、この言葉が表すように、小さい人でも大きい人に勝てるとする格闘技だった。
でも「体重別」というカテゴリー出来た時点で、体格の違いはいかんともしがたいのだということが明らかになり、今やこの言葉が形骸化していることは誰もが知るところである。
今回の世界柔道では、特に重量級で、誰もメダルにかすりもしなかった。
なんでも、勝てない原因は、主に力(腕力)の差にあるらしく、外国勢の圧倒的な腕力の前に、日本人は命綱とも言える引き手を自分の得意とする形で取らせてもらえないので、1本を取るどころか、投げを打つこともできないそうな。もはや「さらなる剛が剛を制す」というのが近年の柔道なのである。
でも、こうなってしまったら日本人は絶対勝てないのだろうか?昔も腕力の強い外国人はたくさんいたのに、あの山下泰裕さんはただの一度も負けなかったではないか?
私はその理由をこう考える。きっと、山下さんは腕力もそれなりにあったのだろうが、彼の強さは柔の「道」から決して外れなかったことにあったのではないかと。
日本がモスクワオリンピックをボイコットして山下さんが出場できなかった時、あるインタビュアーが山下さんに「出ておられれば間違いなく金メダルでしたね」と聞いた。その時、彼は血相を変え、「勝負はやってみなければ分かりません。モスクワのチャンピオンはその時世界一強かった。金メダリストを侮辱するような失礼なことを言うものではありません」とそのインタビュアーを一喝したのである。
ただの一度も負けていないのに、決しておごることのない、謙虚で真摯なその姿勢に、私は深く感動した。さらに彼は、このような精神の美しさだけではなく、見た目の美しさも持ち合わせていた。試合での立ち姿が凛としていて、絶対に逃げて腰を引くことなく、正々堂々相手に向かっていくその姿勢を見ていると、それだけで負ける気がしなかったし、惚れ惚れしたものである。
「道」の終着点は「美学」であり、道と名のつく競技には勝敗の前にまずそれが求められる。そしてその道を極めたものこそが、肉体的にも強さを得ることができるのだろう。
現男子監督である篠原さんはあの「世紀の大誤審」で金メダルを逃した時も「弱いから負けた」としか言わなかったし、「あそこで勝ったと思った自分自身が甘かった」とまで言っている。
山下さん同様、篠原さんにも美学がある。
このような指導者の下でも勝てないのならそれはそれで仕方がない。
間違っても、ルール改正うんぬんで勝とうとするような、逃げ“道”や抜け“道”・近“道”に走ることだけはせず、柔の道を永遠に残して欲しい、そう思うのだ。