僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

本来の役割

2020-07-08 | Weblog
徳之島に行ったとき、友に「要らんギターないか」と聞かれていたのだが、先日ボロボロながらもなんとか弾けそうなギターが手に入ったので友に送った。
その友には、何かにつけてほとんど理由を聞いた覚えがない。ギターないかと言うので弾くつもりなんやな、と思っただけでどうして弾きたいのかなんてことは聞かない。ひょっとしたら自分で弾くんじゃないのかも知れない。まさかと思うが、オードリーヘップバーンのようにギターを武器にしたいのかも知れない。畑で弾いたら気持ちがいいと思ったのかも知れない。でもそんなことはどうでもいい。続かなくたって一向に構わない。友がその時ギターを欲していたということが全てだ。
お母さんの側で、縁側で鳩と語り、木々を見つめ、先祖を思う。仕事で疲れ果てて座ることさえできない日もあるだろう。ギターは彼の人生のどこに位置するのだろうか。
友を想像できることが私には何より贅沢で豊かなことだ。送ったギターは楽器本来の持つ想像力を掻き立てるという仕事を見事にこなしている。私にはそれ以外の理由は要らないのである。