もう~!おせっかいはもうホンマにええって!!
何回も書くけど、俺はホンマにおせっかいがこの世で一番嫌い。それをおせっかいな相手に伝えられへんから(理由は後述)ブログで腹いせをさせてもらいます。
気分を害された方はすぐ読むのをおやめくださいまし。さっそくやけど、親切とおせっかいはどう違いの?という人の為にその違いを明確にしておきましょう。
親切=常識的・客観的に判断して、明らかにその人が困っているだろうと分かる時に手を差し伸べること。
例えば、
・目の前で財布を落とした人がいたら教えてあげる。
・電車で杖をついて立ってる人がいたら席を譲る。
等は当然親切に決まってる。もしこれをおせっかいだと感じる人がいたら、それはごく少数派。運が悪かっただけのことや。
おせっかい="個人の勝手な思い込みの善意「=結局悪意になるのだが」を相手に押し付け行為。よく言う「偽善」。例えは書くのも嫌になる。
とにかく、相手は善意やと思ってるもんやから無碍にうるさいとも言えず、どうにも処理しようがなくなるから、こっちはいつまでも気分が悪い。
おまけにこっちが何も言えないもんやから、相手はそれを喜んでくれてる、と思ってまたおせっかいをしようとする。恐ろしいまでの連続攻撃。もうこんな最低な行為はない。
かように親切とおせっかいには明確な違いがあるのです。以下はものすごく表現が悪いので問題発言だとは思うけど、これがとってもわかりやすい例えなのであえて書きます。つまり、
「おせっかいな人」というのは"生ゴミ"
下手に捨てたらとばっちりを蒙った本人はもとより、周りの人にまでその臭いが及んでしまうから簡単に捨てられない。しかもこういう人は事情があって縁を切れない人に多い。
かたや、「親切な人」というのは比較的自分中心で生ゴミと比較するなら"燃えるゴミ"うっとうしければ、どこへでもポイと捨てることができる。
相手にせえへんかったらそれでええし、縁を切ってしまうことも簡単。(ちなみに俺はこれに該当します(^^))
ということで、今の所おせっかいから逃れる手段はない。仕方がないから、おせっかいを食らう度にこのブログで腹いせさせてもらいますのでお許しあれ。
何回も書くけど、俺はホンマにおせっかいがこの世で一番嫌い。それをおせっかいな相手に伝えられへんから(理由は後述)ブログで腹いせをさせてもらいます。
気分を害された方はすぐ読むのをおやめくださいまし。さっそくやけど、親切とおせっかいはどう違いの?という人の為にその違いを明確にしておきましょう。
親切=常識的・客観的に判断して、明らかにその人が困っているだろうと分かる時に手を差し伸べること。
例えば、
・目の前で財布を落とした人がいたら教えてあげる。
・電車で杖をついて立ってる人がいたら席を譲る。
等は当然親切に決まってる。もしこれをおせっかいだと感じる人がいたら、それはごく少数派。運が悪かっただけのことや。
おせっかい="個人の勝手な思い込みの善意「=結局悪意になるのだが」を相手に押し付け行為。よく言う「偽善」。例えは書くのも嫌になる。
とにかく、相手は善意やと思ってるもんやから無碍にうるさいとも言えず、どうにも処理しようがなくなるから、こっちはいつまでも気分が悪い。
おまけにこっちが何も言えないもんやから、相手はそれを喜んでくれてる、と思ってまたおせっかいをしようとする。恐ろしいまでの連続攻撃。もうこんな最低な行為はない。
かように親切とおせっかいには明確な違いがあるのです。以下はものすごく表現が悪いので問題発言だとは思うけど、これがとってもわかりやすい例えなのであえて書きます。つまり、
「おせっかいな人」というのは"生ゴミ"
下手に捨てたらとばっちりを蒙った本人はもとより、周りの人にまでその臭いが及んでしまうから簡単に捨てられない。しかもこういう人は事情があって縁を切れない人に多い。
かたや、「親切な人」というのは比較的自分中心で生ゴミと比較するなら"燃えるゴミ"うっとうしければ、どこへでもポイと捨てることができる。
相手にせえへんかったらそれでええし、縁を切ってしまうことも簡単。(ちなみに俺はこれに該当します(^^))
ということで、今の所おせっかいから逃れる手段はない。仕方がないから、おせっかいを食らう度にこのブログで腹いせさせてもらいますのでお許しあれ。