先日、後輩夫婦の結婚25周年(銀婚式)を、娘の友達も含めた仲間たちでお祝いした。
方法は、最近に多い、いわゆる「サプライズ」というヤツで、何も知らされていなかった本人達はとても喜んでくれ、結果は良かったのだが、実は私、自分で企画しておきながら、このサプライズというのがあまり好きではない。
つまり、「驚かす」ということは、笑わせる泣かせると共に、心を動かす大切な要素だけど、「“知らなかった”から驚いた」という部分は、あまりに短絡的で、これでは驚きが武器化していると思うからだ。
だから、本当は、二人に面と向かってきちんと、「おめでとう」と言うだけにしたかった。二人からは「ありがとう」だけでよかった。その凝縮された気持ちには、サプライズなんかはるか遠く及ばないと信じているから。
なのに、悩んだにせよ、流行の無難な方法を選ぶなんて、私も年をとったのかな?
まぁ、人のことより“自分の変化”というサプライズのほうがよっぽどいいな、とは思うけれど。
方法は、最近に多い、いわゆる「サプライズ」というヤツで、何も知らされていなかった本人達はとても喜んでくれ、結果は良かったのだが、実は私、自分で企画しておきながら、このサプライズというのがあまり好きではない。
つまり、「驚かす」ということは、笑わせる泣かせると共に、心を動かす大切な要素だけど、「“知らなかった”から驚いた」という部分は、あまりに短絡的で、これでは驚きが武器化していると思うからだ。
だから、本当は、二人に面と向かってきちんと、「おめでとう」と言うだけにしたかった。二人からは「ありがとう」だけでよかった。その凝縮された気持ちには、サプライズなんかはるか遠く及ばないと信じているから。
なのに、悩んだにせよ、流行の無難な方法を選ぶなんて、私も年をとったのかな?
まぁ、人のことより“自分の変化”というサプライズのほうがよっぽどいいな、とは思うけれど。
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