小学生の頃、よくわからない授業の中に「道徳」があった。
人として当たり前のこと、人の道を説く時間だったはずで、本来ならこの時間が国語・算数・理科・社会よりも多くて当然なはずだが、確か週一度、ひとコマだけしかなかったような記憶がある。
かたや中国や韓国。小学生になる前から領土の歌を歌わせ、刷り込む。この教育を時間割に当てはめるなら道徳になるのだろう。
この道徳教育を受けてきた子供たちは、当然大人になってもその考え方が基本にあり、ちょっとやそっとでは覆らない。ひどい人はほとんど盲目状態である。
そんな国の人たちに言われるがまま、制裁とやらを受け続けている日本。
少なくとももっと道徳の時間を増やし、国や人をもっと考える時間を持つ必要があるのではないか。
人として当たり前のこと、人の道を説く時間だったはずで、本来ならこの時間が国語・算数・理科・社会よりも多くて当然なはずだが、確か週一度、ひとコマだけしかなかったような記憶がある。
かたや中国や韓国。小学生になる前から領土の歌を歌わせ、刷り込む。この教育を時間割に当てはめるなら道徳になるのだろう。
この道徳教育を受けてきた子供たちは、当然大人になってもその考え方が基本にあり、ちょっとやそっとでは覆らない。ひどい人はほとんど盲目状態である。
そんな国の人たちに言われるがまま、制裁とやらを受け続けている日本。
少なくとももっと道徳の時間を増やし、国や人をもっと考える時間を持つ必要があるのではないか。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます