僕たちは一生子供だ

自分の中の子供は元気に遊んでいるのか知りたくなりました。
タイトルは僕が最も尊敬する友達の言葉です。

厳罰を飲ます

2006-09-13 | Weblog

最近、飲酒運転をして人を殺めてしまうという事件がやたら目に付く。
俺は、大勢で酒を飲んだ席でタクシー代わりに使われるくらい酒が飲
めないので、飲酒運転をするという可能性すらなく、そういうことをする
人の気持ちが全く理解できないんやけど、たぶん、俺は酒が強いから
大丈夫とか、ちょっとくらいならええやろ、という理由がほとんどなんやろ
ね。

巷では、何故飲酒運転がなくならないのか、てなことを毎日のように
やってるけど、なくならへん一番の理由は、やっぱり軽い気持ちで飲ん
でしまっても、捕まった時の罰がそう重くないからやと思うね
んなぁ。い
つも言うてるけど、なくすためには、こういうことには徹底した厳罰で対
応すればええと思うのよ。

厳罰の図式は至って簡単や
  酒を飲んで運転する→正常な判断ができなくなる可能性がある→
  事故(時には人身)を起こす可能性がある→未必の故意で殺人者
  となりえることもある。これに異論のある人はおらんと思う。
  よって、飲酒運転で人を殺めたらいかなる理由があっても殺人罪を
  適用、死刑もしくは終身刑とする。

これでええがな。いつも思うんやけど、過失じゃない限り加害者の人
権なんて考える必要は皆無。人を殺めるかも分からんと知りながら
飲酒運転をするのは明らかに殺人の意思があるということ。被害者の
気持ちに立ったらせめて加害者の人生だってフイにしてもらわな気が
すまんよ。

それをいつまでも改善されないと議論ばかりして、同じことの繰り返し。
こうしてる間にもまた誰かが犠牲になるかも知れんのに。

最近は何につけても「理解」を求めすぎてると思う。でも理解は論理
がくずれたら成り立たない。飲酒運転する人に正しい論理はないん
やから、こういう場合はその人達の「理解」を求める必要なんてない。
彼らが好きな、飲め!とばかしに頭ごなしに厳罰にしてなにがあかん
のかねぇ。


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