名勝旧秀隣寺庭園
お城のデータ
所在地:高島市朽木岩瀬 (旧高島郡朽木村岩瀬) map:http://yahoo.jp/Th3t_4
別 名:秀隣寺庭園
現 状:興聖寺
遺 構:石垣・空堀・土塁・屋敷跡・庭園、説明板
区 分:平山城
標 高:190m 比高差20m
築城期:室町期(永久3年 (1221)
築城者:佐々木信綱
城 主:足利義晴
目標地:興聖寺
駐車場: 興聖寺無料駐車場
国史跡
訪城日:2013.8.24
お城の概要
朽木氏は鎌倉時代から江戸時代に掛けて朽木庄を支配していて、室町幕府の奉公衆でもあった縁で天文22年(1553年)に朽木元綱は13代将軍足利義輝・細川晴元らを朽木村に匿っている。
享禄元年(1528)に朽木植綱が都より逃れた将軍足利義晴のために建てた館です。
慶長11年(1606)に朽木宣綱が亡き妻のためにこの館跡に秀隣寺を建て、後に秀隣寺は移転し、興聖寺が建てられました。<現地案内板>
マグダレナ墓
歴 史
幕府では父・義晴と管領の細川晴元が対立し、義晴はそのたびに敗れて近江坂本に逃れ、菊童丸もそれにたびたび従った。その後も父と共に京への復帰と近江坂本・朽木への脱出を繰り返した。
天文15年(1546年)12月、菊童丸はわずか11歳にして、父から将軍職を譲られる。このときの将軍就任式は亡命先である近江坂本の日吉神社(現日吉大社)祠官樹下成保の第で行われ、六角定頼を烏帽子親として元服し、義藤(よしふじ)と名乗った。同17年(1548年)、義晴は晴元と和睦して京に戻った。このとき晴元も義藤の将軍就任を承諾している。
岩神館の土塁と空堀
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、近江の城郭
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