戒光寺
お城のデータ
所在地:東近江市平松 (旧愛知郡湖東町平松) map:http://yahoo.jp/vBHhp5
現 状::集落(戒光寺付近が城屋敷)
遺 構:
区 分:平城
築城期:南北期建久3年(1192)
築城者:中井氏
城 主:中井新之丞、日根野氏
戦 い:野良田の合戦 永禄3年(1560) 〇 浅井長政 VS ● 六角定頼
目標地:平松自治会館
駐車場:平松自治会館無料駐車場
訪城日:2013.8.31
お城の概要
高野街道沿いの築城された城郭であるが、集落の東側は川を堀として防衛、集落内も狭い、Z形路地で固めている。
城跡は現戒光寺である。が、平之社のほうが城郭を造るにはに向いているように思えるのだが・・・・・・・・・。
歴 史
佐々木の将中井新之丞が在城し、永緑3年野良田合戦の時、中井新之丞は浅井長政に攻められ戦死。
この後、信長の将として日根野織部正高吉が入城したとしている。(愛智郡志)
近江愛智郡志には、永禄三年八月野良田の合戦の勝に乗せし浅井長政黨の高野瀬秀隆、八町の城主赤田信濃守定興等は平井氏攻めんとし途杉立石見守を矢守に攻む。苅間館満島孫市は平松城主中井氏と共に出て杉立氏を授(たす)けしに戦敗れて孫市死す。
新開略記には、高宮三河守の臣馬場惣佐衛門 満島を打ち取り浅井長政より感状得たり見ゆ。
遺構についても、同志は「平松に八字城跡と称する所あり堀土手を巡らせしも明治2年の頃土手を壊ち堀あて旧形を失ふ」としている。
「湖国百選・城」によると、平松城は現在の戒光寺の建つと所だとあり、この辺りは「城屋敷」と呼ばれているとか。
戒光寺との関係についても、日根野織部正高吉の妹信頭が尼僧となって円通庵と称し住んだのが、戒光寺の開基と伝えられている。
日根野氏 今川も徳川に敵わず同年中に掛川城は降伏・開城し、日根野一族はまたしても浪人となった。今川没落後は西上し近江へと向かい、近江の土豪の今井秀形・島秀安らと誼を通じていたが、やがて浅井長政に仕えた。しかし、元亀3年(1572年)冬には浅井家を去り、長島一向一揆に参加し岐阜にほど近い新砦の守備にあたっている。また、弘就は大湊に船を出させて足弱衆(女や子供)などを運ばせていたが、天正元年(1573年)9月20日付けの塙直政の書状では「日根野が足弱を送ってきた船の件は曲事であるので船主共を必ず成敗すること」を信長御意の事として大湊に通達しており、後に日根野の協力者であると割れた山田三方の福島親子が処刑された。
天正2年(1574)9月29日の織田軍の総攻撃をもって長島の一向一揆は壊滅したが、日根野一族は長島を脱出し、しばらく後に、長年対抗し続けてきた信長の元に降った。なお、時期は不明であるが近江を活動拠点とした頃より平松(滋賀県東近江市平松町)の地に在所と城を得ていて、そこに在住していたという。。
平之社
平松自治会館
参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、近江愛智郡志、近江の城郭、淡海の城、
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