城郭探訪

yamaziro

木津岡山城(岡屋敷・木津館) 近江国(日野)

2013年11月07日 | 平城

岡宗左衛門(蒲生氏の家臣)の屋敷

お城のデータ

所在地:蒲生郡日野町木津 マップ:http://yahoo.jp/CeoKW2

別 称:岡屋敷・木津館

現 状:寺
区 分:平城  

標 高:186m 比高差:5m 
現 状:寺

遺 構:曲廓・土塁・堀痕・類似説明板
築城期:ー
築城者:岡氏
城 主:岡 宗左衛門

目標地:法興寺

駐車場:法興寺門前駐車場 

訪城日:2013.11.06

お城の概要

日野の町から丘陵を隔てた南面に法興寺はあり、本堂裏手は山面に土塁で、土塁の北には土塁で囲みm曲廓(館)跡が残存する。蒲生氏の家臣岡氏の菩提寺で岡宗左衛門の館。。法興寺の南側前面は天文十六年(1547)まで日野川であったようだが、近世に、圃場整備で流路変更したようだ。木津岡山城は、岡屋敷とも呼ばれ、現在は法興寺の境内となっている。寺の本堂背後の竹藪の中にも土塁があり、東側の土塁は後世に削り取ったものとか。本堂の東側土塁から背後の竹藪の中は、荒れ放題の竹藪で土塁の状況は判る、土塁の高さな。

 資料の縄張り図と現状を照らし合わせてみると、伊賀の居館城郭によく見られる丘陵先端部を基刷り取り、縁部土塁として残した様式のようだが、背後にも一曲輪あったと思える削平地があった。

お城の歴史

蒲生氏の家臣、岡宗左衛門の居館木津岡山城は、築城年代は定かでないが、蒲生氏の家臣岡氏によって築かれた。 

 岡氏は、主君蒲生氏郷が伊勢松阪から会津若松へと移封されると、氏郷に従って日野を離れた。その後、木津岡山城に法興寺が建立された。

木津岡山城の登り口

西側土塁

屋敷跡(曲廓)寺の背後の土塁は10m超

堀痕

土塁

木津岡山城 遠景

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、淡海の城、

本日も訪問、ありがとうございました。


小井口城(原氏城・原城) 近江国(日野)

2013年11月07日 | 丘陵城

お城のデータ

別 称 :原氏城・原城

所在地 :蒲生郡日野町小井口 マップ:http://yahoo.jp/n3x26D

現 状 :山林・松林寺

区 分 :丘城

築城期:南北朝期

築城者 :原高平

遺 構 :曲輪・土塁・竪堀・池

目標地:天王山・大窪墓地・松林寺バス停

駐車場:バス停向かいの大窪墓地の駐車場

訪城日:2013.11.6

お城の概要

小井口城は、現在天王山と呼ばれる丘陵が原氏の居城が築かれ(蒲生郡志)、現在は松林寺の境内となっている。 

丘の山頂部は削平され寺の西側の地蔵堂、東側は神社。本堂と北と南側に櫓台を思わせる土段が築かれていた。 南北の櫓台から東側に腰曲輪が築かれていて、土塁と切岸の遺構を見ることができる。
 尚、北東側には墓地・畑などと三段に削平された構造となっている(概要図に記載はない)、これは後世のものと思われるが、城の遺構のようだ。

お城の歴史

 小井口城は、原城とも呼ばれ、築城年代は定かではないが南北朝時代に原氏によって築かれた。 

南北朝時代の城主原高平は南朝に仕えて近江守に任じられ、文和2年に京神楽岡の役に従軍している。

 

日野 松林寺バス停5台

小井口城遠景小井口城遠景(木津岡山城より」

参考資料:滋賀県中世城郭分布調査、遺跡ウォーカー、 

本日も訪問、ありがとうございました。