城郭探訪

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山上藩(やまかみ)近江国(永源寺) 藩庁は山上陣屋。

2013年12月28日 | 陣屋

山上藩(やまかみはん)は、近江国(現在の滋賀県東近江市山上町)に存在した藩。藩庁は山上陣屋。

山上藩・陣庁=紅葉橋西詰

山上は近江と伊勢国を結ぶ『八風街道』の要衝地帯であった。豊臣氏時代には杉原家次や浅野長政、織田信高らが領していた。

徳川氏の時代に入ると元和5年(1619年)10月21日に譜代の家臣である高崎藩主安藤重信の領地となった。元禄8年(1695年)5月1日、安藤重博が老中に栄進したため備中松山藩に移封され、ここに山上は天領となった。

元禄11年(1698年)3月7日、若年寄であった稲垣重定が常陸国から移封されたため、山上藩が立藩した。所領石高は1万3000石であった。重定の時代に奉行制度などの藩政が確立したが、第3代藩主・稲垣定享の時代には江戸の大火で上下両屋敷が焼失して出費が相次いだため、定享は質素倹約や新田開発を主とした藩政改革を断行したが、効果が見込めず、また定享自身が若死にしたため、失敗に終わった。その後は天明の大飢饉による寒冷で凶作・飢饉が相次いで藩財政は窮乏していった。また、歴代藩主の多くが若年寄や大坂加番、大番頭や奏者番などの要職を歴任したことも、かえって藩財政の出費を著しいものとする遠因となった。

幕末期、第8代藩主の稲垣太清は大番頭や大坂定番、海軍奉行などの要職を歴任して佐幕派の立場を貫いた。

幕末の領地

 近江国

    • 野洲郡のうち - 5村(うち1村を大津県に編入)
    • 甲賀郡のうち - 9村
    • 蒲生郡のうち - 4村
    • 神崎郡のうち - 8村
    • 坂田郡のうち - 1村
    • 浅井郡のうち - 1村(朝日山藩に編入)

 

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