玉川カルテットが解散したという悲報に接し、きっと多くの人々が嘆いているに違いない。そのなぐさめといってはなんですが、「玉カルのアンアン小唄」(プロデュースは大瀧詠一さん)をどうぞ。 youtube.com/watch?v=UgwObw…
全くだ……。もっとも、そんな奴らは下手したら同部局内ですらまともに(以下自粛)>RT「大学にいると、グローバル化だの異文化理解だのと言ってる人に限って、自分の属する/属した学部でない人との「異文化交流」ができてないのが笑えるw」
玉川カルテットが解散したという悲報に接し、きっと多くの人々が嘆いているに違いない。そのなぐさめといってはなんですが、「玉カルのアンアン小唄」(プロデュースは大瀧詠一さん)をどうぞ。 youtube.com/watch?v=UgwObw…
全くだ……。もっとも、そんな奴らは下手したら同部局内ですらまともに(以下自粛)>RT「大学にいると、グローバル化だの異文化理解だのと言ってる人に限って、自分の属する/属した学部でない人との「異文化交流」ができてないのが笑えるw」
起床。検定終われる今日からは、だんだか読書を進めていきたし。目的は生活リズムを安定させること、だが。
「生活指導の体罰と今回の体罰事件は全く違う」ものではなく、「生活指導の体罰は今回の体罰事件の入り口だったのではないか」と思わせる記事。 / “【桜宮高2自殺】「私が死に追いやった。愚かだった」バスケ部元顧問 NHK番組で - MS…” htn.to/McoSuD
1949年に東独・西独それぞれが独立宣言して、両国間の移住は困難になっていくが、東西ベルリン間の移動は簡単だった。物理的な「ベルリンの壁」が作られたのは1961年。ここにタイムラグがあるんだな。
考えたら、戦争が未だに継続している北朝鮮/韓国と、国民は分裂せずソ連とアメリカがそれぞれ占領した結果、別々の国家が樹立されただけのドイツとでは、再統一へのハードルは違うんだろうな。
日揮のアルジェリアのテロ犠牲者の件、労災の特別加入をしていない可能性。これは大きいよなあ。派遣先が加入するかどうか決めることになるだろう(後で要確認)から、特別加入の指針(例.派遣先プロパーが加入するのであれば派遣社員も加入するよう、など)を出しても良いかも知れない。
繁昌亭が2丁目色、グレーゾーン落語家の東西名人ゲイ開催 お笑いナタリー 本当は他にもグレーゾーン系の落語家さんにも出てもらいたかったんですけど、諸事情があって」と、構想を膨らませている様子だった。... dlvr.it/32NPXj #rakugo
通院、薬局終了。処方箋が成分表示になっているの、あまり意識していなかった。「変わっていないか」が気になるから、過渡的には併記して欲しいなあ。
そりゃ春闘や一斉のベアや定昇なんて時代遅れだけど、それを止めた代替策がより労働分配率や労働者間の格差の是正に向かうか、というと、そうなるとも思えんのだよなあ。煎じ詰めれば、「労働者に分配できないような企業は潰して、分配できる企業に移籍してもらう」と腹を括れるか、だろうけど。
「オールバリア住宅」ってえと、「バリアフリー住宅」の反対で、高齢者や子どもや障害を持っていると住めない家みたい。
「ピアノ・オブリガート付きの交響曲」というピアノ協奏曲観。グールドにとってのカラヤンやヨゼフ・クリップスとの共演。それに不満がない、というグールドの感覚。
歌舞伎であれ新劇であれ小劇場であれ、芝居であることに変わりはない。舞台という空間の中で人間を描く。生身の人間がその身体をさらして、観客の身体と対峙している。落語に見る(広義の)「芝居」性と「非芝居」性を思う。身体を捨象しつつ、捨象できない部分に個性なり魅力なりがある。
「共通の目的がないこと」「反対するための運動」であることを理由とする非難・揶揄中傷を気にする必要はない。既存の仕組みの上に安住して采配を振るう者の本当の成果は「差分」に過ぎず、土台を誇るからと言って評価に含んで比較してやる義理はない。
その土台とて、重きに耐えかね、風雪に曝され白蟻に喰われて朽ち果てつつあるものを、奴隷や植民地の犠牲で辛うじて補修し、幻の高みを上にある者に見せてやっているに過ぎない。さらに補修材を増やさんとする醜悪さを睨まねば。
エジプトやチュニジアの蜂起では労働運動がその中心にあり、中東や北アフリカでの成功と、その国で長年続けられてきた労働闘争のレベルには、密接な相関関係がある。日米とも「アラブの春」を労働闘争の観点から語らないのは、去勢できている国内の勢力を目覚めさせたくないからかな。
昔、前達先生が「法律には川柳・俳句も短歌もある」と(文字通り)茶飲み話で仰っていた覚えがあるのだが、俳句と短歌って何だったっけ?川柳は「教育の権利はこれを保障する」だったと思うのだが、五七五で季語がある、と俳句を、五七五七七で短歌を紹介して頂いた気がするのだが。
使用者責任で過労死の責任を問うって構成、なるほどねえ。上司を「被用者」とする訳か。どこまでの者を「被用者」とできるのかな。社長も会社に使用されている、という構造にできるか。