「ワッハ上方」の閉鎖、というか改築が決まり、
会場である4階「上方亭」がなくなるため、
それに合わせて「らくご道」も3月で(いったん)終了。
そのため2日連続で開催された。
月曜は18時に4階に上がったのだが、既に20人近く並んでいた。
「最終回が近付くに連れて客が増える」という、
如何ともし難い状態。
結局かなり補助椅子も出て、50人以上入っていたのではないかな。
前説(生喬)
軽く宝くじの話、
「米糠酵素風呂」を体験した話をたっぷりと。
感情をかなり強調して語り掛けてくるのだが、
客も気になっている箇所なので、スムーズに受け入れられている印象。
「煮売屋」(南天):○-
第1回からの「らくご道」の会場の移り変わりなどに軽く触れる。
徳徳亭に触れていなかったんだが、何かあるのかねえ。
単に忘れただけなのかな。
ネタはごくあっさり、程好くきっちりと。
「愛宕山」同様、地の喋りで春ののどかな雰囲気を出すのが
この人の魅力。
会話のリズム、喋り方、ツッコミの押し、引きのタイミングも恐らく習ったままで、
特に感情を強く出す訳でもなく、
個々のシャレやギャグを受けさせるために過剰に押してくることもなく。
酒を頼む前に小拍子を打つのだが、まあ、良し悪しだなあ。
食べ物を受け取ってさらっと「酒はないのか」と聞けば良いのでは、と思うのだが、
「らくだ」(生喬):○
駱駝の説明を軽く振ってネタへ。
全体的には、
酒を飲み始めるまでが非常にしんどく、
飲んで転換するところは良かった。
ただサゲ前の部分はあまり良いとは思えない、という感覚。
酒を飲み始めるまで、笑福亭の「らくだ」は30分あると云い、
実際にそうなのだが、これが非常にしんどい。
ただ同様に30分以上かかっている6代目ではしんどさを感じないので、
「30分」という時間そのものが理由ではないと思う。
1つには、自然な会話と言えばそうなのだが、
聞き返したり言い直したり返事をしたり、といった応酬で科白数が増えていること。
そして、それらの言葉もあまり軽く流さず言っているため、
全体に平板になっているように感じられてしまうこと、が原因では、と思う。
この人の芸風として、押すところが多いのだが、
押さない部分があまりないので強調するためには強く押し続けなければならない、
結果強弱の差が小さくなっている、という感じ。
「らくだが死んだ」話を聞いた3人の対比、
全員がいきなり喜ばずに一瞬疑って見せるのだが、
誰か一人くらい最初から喜んでしまっても良いのでは、とも思う。
家主が因業な、この貧乏長屋に巣食って嫌がられている感じ。
「裏に回れ」くらいを言っても良いかも知れない。
また、「かんかんのう」に向けてらくだを担ぐ際や
踊らせる際の重さの描写がけっこうリアルで良かった。
飲んで転換していくところ、
表の店から裏長屋に逼塞して新しい嫁さんをもらう、といった話は
若干長くてしんどいところもあるのだが、
前の嫁さんを「25」で死なせてしまったこと、
娘が酒を割ってしまって、といった話で「己への反省」のようなマイナスの感情が出る、
これで「感情を抑えていた」歯止めがなくなる、
そこから熊に対する感情もそのままぶつけるようになる、という流れで
これはこれで違和感なく聞けた。
全体に紙屑屋が俯き加減で、酔っていく表情をあまり見せないのは少し勿体ない。
また、熊に対して「良い死に方しない」といった本音を言っていくところで
若干の遠慮がけっこう後まで残っている感じ。
また、紙屑屋の話が熊が話しかけたことに対して応答して進んでいくところがあるが、
それなしに、勝手に酔ってぐずぐず言っていく方が好みではある。
元々の店を潰してしまった理由も「相場に手を出した」と言っているのだが、
個人的には酒だけで潰してしまう、と言う方が好み。
熊も屑屋に対して「弱くなっている」というより、
単に酒が回っている、という感じで良かった。
膝を立て、それをらくだの頭に見立てて剃るのは松喬が始めたのかなあ。
やけにそこだけリアルになり、これはこれで面白いが、
そのために袴を付ける手間に見合うとは思えない、という感覚。
早桶を担いで出る。
途中のお店で香典代をせびるあたりは良い。
後で拾うタイミングではなく、
橋の上を通りかかって落とすタイミングで「願人坊主」の説明をするのは
少し早いかなあ。
拾った時に蓋を底にしてその上に願人坊主を乗せるのは良い。
あと、早桶を火にかけて番人、熊、紙屑屋の3人で飲んだり、
番人がらくだの話を紹介したり
「冷や」の仕込みかも知れないが歌ったりするような設定は好みではない。
特に、紙屑屋が番人に対して弱くなっている様子があり、
折角逆転したのにここで戻すのはあまり筋が良くないと思う。
別に熊と紙屑屋が帰ってしまった後で
番人と願人坊主の2人の酔っ払いの軽い絡みでサゲを付ける、でも
良いと思うのだが。
個々の人物では、
熊にしてもらくだにしても「鼻つまみ」どころか
別世界に生きている人間なのだと思うのだが、
そこまで「触れれば切る」冷たい空気をまとった人間、という感じではない。
熊が紙屑屋を脅す際も、力を見せ付けるのではなく、
「何をするか分からない、底知れぬ不気味さ」メインで、
ところどころで力を見せる、という作りの方が好み。
紙屑屋は最初の「くずたまってん」がやけに軽く、
「へっつい幽霊」の若旦那みたいに感じてしまったのだが、
この段階から、酒で身を持ち崩し、
人に下に見られる「紙屑屋」にまで身を落としている汚れ、
元々は船場の主人である、という矜持と、
それを発揮できない鬱屈のようなものがあるのが、
このネタの本来の姿なのかな、と思う。
それがウケにつながるかどうか、はまた別の話だろうけど。
# 「らくだ」というネタって、
らくだの死をきっかけとして
「堅気の衆とヤクザが交流せざるを得なくなってしまった」悲喜劇、
というのが私の印象か。
「出会うはずのない二人が、出会ってしまった」のような。
その中で紙屑屋は、
カタギでもあり、ヤクザと共感できるような鬱屈も抱えている、という
位置付けだと思う。
対談「夕焼け日記」(生喬・南天)
ネタの話を軽く。
「いろいろ考えて手を付け、結果裏目に出る」経験も
若いうちは要る、というのは面白いな。
あとは「ワッハ」の話から、
「海の時空館」など、他の閉鎖される施設の話。