当時の日本軍の軍務規律の緩さや中韓蔑視を踏まえると、橋下の発言は妥当と思うのだが。要は戦争が悪い。中東でも米軍女性兵士の妊娠が相次いでいたし。>時事ドットコム:維新・橋下氏が慰安婦是認発言=在沖米軍には風俗業利用促す-与野党から批判 jiji.com/jc/zc?k=201305…
性犯罪の弁護をしていると、単なる性欲というよりは性欲+攻撃性や征服欲がトリガーとなっているように見えるので、性欲だけ解消させていても根絶は難しいと思う。まあ、性欲が原因の一つであることは確かだけど、男が皆性犯罪犯すわけじゃなし。
橋下の発言の内、沖縄米軍については論外。しかし「慰安婦是認」批判は腑に落ちない。公党の代表の発言としては無論NGだけど、内容は別に、と思う。それを批判するのは、石原の歌舞伎町壊滅や清潔社会という名の排斥・禁煙ファシズム肯定に繋がっていくと思うのだけど。私の解釈がおかしいのかなあ。
戦争という巨悪を前提とした場合に、その悪を減らすためにどうするのか、という話。無論、撤退するに越したことはない。撤退しない状況、緊張状態を前提としてどうするか。では敗戦時進駐米軍のために慰安所を設置したのは是なのか?非なのか?とか。強制の有無が問題なのか?とか。
「慰安婦は強制性を伴っているから、NG」という話ならば理解できる。ただ、批判の方向が「強制性を伴っていたから」ではなく、性行為そのものへの非難に見えるんだよなあ。実際にはある、という現実を見ず、「あるべきでないものは存在しない」という清潔志向と通底するもののように見える。
戦争が悪であり異常状態であり、こんな醜悪な施設が必要になるから戦争をするな、という方向にならないのかねえ。戦争があるから攻撃性や性欲を発散するための「慰安所」だって「麻薬」だって存在するのだろう。
やっぱり今回の橋下発言に対する批判は必ずしも「リベラル」の反応ではないと思う。むしろ「保守的」とさえ言えるものではないかな。それが保守とみなされないとすれば、右左の座標軸が何かおかしいんでしょう。
経営法則に見える命題について「理論分析」と「実証分析」を実施する。普遍的に多くの企業に応用できる一般法則を探究する。
欧米で主流の演繹的なアプローチと、日本の帰納的アプローチ。演繹的アプローチのツールである統計分析が本当に経営学に馴染むのか。
いのちの上に誕生した自我のはずが、いつの間にか「自我によるいのちの私有」に逆転する。「私に生きている価値があるのか?」と問うのはナンセンス。自我に、自我の前提を問う資格・権利はない。生きているから生きているのであり、仕方がない。
「私のいのち」という表現。密接な関係を表す「の」(例.私のふるさと)から所有の「の」(例.私のペン)への転倒。
「軍+戦争+慰安婦」をパッケージとして見た時に、これを是とするか否とするか。石原は侵略戦争を肯定し、このパッケージを是としている点で非難されるべき国賊。
経営学のディシプリン(流派)。経済学、認知心理学、社会学のバックボーン。ここから「企業とは何か」という問いに対する多様な考え方が生じてくる。
何かで「失業給付を受けていたら健保の非扶養者になれない」みたいな話を見たのだが、本当か?それ、失業給付が非課税である、という前提から狂ってこないか?
戦闘時の異常な昂奮状態と、特に戦中の差別意識や国際法に対する無知蒙昧ぶりといった状況を踏まえると、「慰安所」がなければ侵略日本軍による強姦・暴力事件がさらに多発しただろうと思うから、結果的には「慰安所」設置の判断が誤りだとも思えないのだが。何度でも言うが、根本的な悪は軍隊と戦争。
生活保護「心苦しく」辞退、心中図る 母殺害の娘の初公判 札幌地裁 - MSN産経ニュース sankei.jp.msn.com/affairs/news/1…
生活保護を拒否することを「日本人が持っている矜恃」などと表現した政治家がいたが、これはまさに、その矜恃なるものが生み出した事件ではないのか。
別に不快感を示さなくても、元知事のくせに東京都知事選に出たり出なかったり、ふらふらした人間を当選させるほど神奈川県民はバカではないでしょう。多分。>時事ドットコム:松沢氏擁立に不快感=菅官房長官 jiji.com/jc/zc?k=201305…
A級戦犯が合祀されたことによって、天皇が参拝できなくなった事実を意識していないのかな。天皇陛下万歳と喚く連中の方が、天皇の意志を蔑ろにしているのかねえ。>時事ドットコム:安倍首相、国立追悼施設に慎重=「0増5減」が先決-参院予算委 jiji.com/jc/zc?k=201305…