朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

安養寺寄席

2013年05月22日 22時26分26秒 | 落語・講談・お笑い


※少し修正、加筆しました。

日曜は昼から大和小泉へ。
安養寺というお寺の笑福亭たまの会。

たまの会になってからも、それ以前に落研でやっていた頃も
行ったことがなかったので、ちと迷った。

雨で出足は悪かったが、50人程度の入り。


「時うどん」(あおば):△+

マクラで「他の会ですべった」「唖然とされた」というマクラを振ってみせ、
ウケをとって安心した、という態でネタへ。

全体的に、仕草がいい加減。
例えば金を出す際に袂に手を入れる仕草など、
袂の底に金が入っていてそれを取ろうとしている、といった意味を意識せずに
何となく手首を曲げているように見える。
或いはうどんを持ち上げる際の形など。
まあ、うどんを食べる仕草などはこのネタで別にメインとも思わないので、
最低限違和感なく見られれば良いと思うが。

アホがこの人のニンのように見えて面白い。
間でアホが理解したつもりで実は理解していない、というところも
自然で可笑しい。
若干本筋からそれる気もするので良し悪しだが。

「いま何刻や」にうどん屋が「九つで」と返すのに対して
「ああ、九つか」と一度受けて「十」と続けるのは良いかどうか微妙。
一度受けた言葉を聞いたうどん屋が「銭の数」と
思い違いをしてしまうという設定と考えれば悪くないかも知れないが、
「九つか、十」を続けて聞いたうどん屋が「誤魔化されている」と
気付くリスクもあるような気がするし。

二軒目のうどん屋は不味い店。
最後まで飲み干さずに「こっそり捨ててしまう」のは面白かった。
あまり伝わっておらず、ウケにはつながっていなかったが。


「船徳」(たま):△+

軽くあおばをいじってネタへ。

江戸のものを概ねなぞっている印象。
若い連中も主人もおかみさんも、
客もまあ丁寧に描写している。

棹を突いて出ようとするところ、
回るところ、
こうもり傘の客が傘を石垣に差し、挙句川に落ちてしまうところなど
オーバーアクションで面白く描いている。
舟が回るとき、実際に座布団の上で回るのも良いな。

若旦那が遅れてきて「ちょっと髭を当たっていて」や
船宿の主が漕いでいる若旦那を見て「大丈夫かい」と声を掛ける、といった、
江戸であれば落としたくないギャグが抜けていたのは
個人的には勿体ないと思う。
まあ、特に「若旦那」であることを強調する演り方でもなかったから、
仕方ないのかも知れない。

細かいところでは「こうもり傘の客」が船酔いしており、
若旦那に振ると若旦那が酔っている、
その後また「こうもり傘の客」にもう一度振る場面があるのだが、
どうせだったらまだ酔っている様子を見せた方が
天丼で良かったのでは、と思う。

サゲは「せんどやっています」。
まあ、悪くないかな。


「鴻池の茶碗」(たま):○-

落語の時代背景や鴻池代々の話を少し振ってネタへ。

「はてなの茶碗」を買い取った鴻池の数代後の鴻池善右衛門の話。
京都の天子様から「はてなの茶碗」を見せて欲しい、と言われて
番頭が蔵から探し出したがうっかり割ってしまう。
これを鴻池の旦那に、関白に、天子様に、と
罪を上に擦り付けるように連鎖していく。
最後は天子様が1000両で買い取る、というところまで。

「権威あるところに出そうとしたが、大変な事態になってしまう」パターンは、
「あこがれの人間国宝」と同じではある。
その中で「打ち首でなく鱧に食われる」みたいな加薬が入っており、
若干スプラッタ気味な詳細の描写があるのだが、
丁稚と番頭の間と、番頭が旦那の前でやってみせる2回だけなので、
特に不愉快にならずにまあ聞けた。

蔵の中で様々な骨董を探す場面、
適当なシャレが入っており、悪くなかった。
「はてなの茶碗」の説明が少し入り、まあ上手く省略しているが、
やはりないに越したことはない。
前に「はてなの茶碗」が出ている会で、
その後ろで演って茶碗の説明を省略するのがベストでは、と思う。

本当は「はてなの茶碗」が割れたのは鴻池の蔵の中ではなく、
「はてなの茶碗」のネタの途中であり、
(少なくともお天子様から後は)力づくで付けられた状態で
茶金さんから鴻池に下げ渡されていた、
今のお天子様はその申し訳なさに鴻池から茶碗を取り戻そうとして
お金を下げ渡そうとしている、という設定を思いついたのだが、
まあ、そんなネタではないわな。


「永遠に美しく」(たま):△

老夫婦の話などを幾つか振り、
迷いながらネタへ。

2回目らしい。
老人ホームにヘルパーさんが就職して、
そこにいる「松島さん」を始めとする変な老人たちを巡る話。
最後は皇潤を直接注射されることで
「100歳近くの理事長」が「20歳の堀北真希似」になるが、
ヘルパーとベッドで絡んでいる内に若返ったり戻ったりする、
という設定。

「松島さん」が非常に腰が曲がった人ということで、
実際頭を付けて演じていたのだが、
これが労多い割には功が少ない印象。
力演ではあるのだが、顔が見えないと笑いづらいこと、
この人を描写する時間が全体に長くクドいために
徐々にウケが小さくなっていった。
この登場人物のおかげで後で覗く場面になったり、など、
役立つしウケにつながる部分もあるのだが、
やはり全体にはしんどさを感じさせるマイナスの方が大きいと思う。

102歳のヘルパーさんやら
他のお年寄りやら、登場人物がいろいろ出てくる。
「松島さん」が狂言廻しにはなって多少の統一感は出ているが、
若干羅列的な印象は拭えない。

「100歳近くの理事長」と「20歳の堀北真希似」が
交互に出てくるところがネタとしての見せ場で、
これはこれで面白い。
2人が使う言葉も変わってしまうのだが、
同じ言葉遣いで声の高さや大きさ、リズムだけで
違いを表現してウケをとるのが本来かな、と思う。
もし言葉遣いも変えるのであれば、
「100歳の声色で堀北真希似の言葉遣い」「20歳の声色で理事長の言葉遣い」
なんて混交しているところを見せても良かったかも。

注射する先輩ヘルパーが医者の免許を持っている、は
適当な設定だが、まあこれはこれで良いかな。

全体に雑なネタ、とは感じた。
ヘルパーさんがお年寄りの間を回っていくところが羅列的に感じるので、
ここに(ネット語を使う年寄り、なんてレベルでなく)
もっと強烈な個性のお年寄りがいれば少しマシに感じられるかも。
或いは長く生きている分の蓄積が出てくるとか。

もっと言えば、何かのマクラで言っていたように
「若手若手と云っても15年目」ではあるにせよ、
老人ホームの入居者には演者の年齢が全然行き着いていない訳で。
この手のネタは師匠福笑や文枝や仁智といった人々に任せ、
青年・壮年から中年くらいの感覚、自身の問題意識に合う題材で
ネタを作った方がまだ良いのでは、と個人的には思う。
(好きではないけど、あやめや三金の方が演じている当人の等身大ではある)

無論、演者の年齢云々が問われずに良いネタがあれば最も良いだろう。
センスのある人だし、何か、勿体ないなあ。
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5月21日(火)のつぶやき その2

2013年05月22日 01時07分11秒 | つぶやき

海外にビジネスを展開する際に4つの距離をできるだけ定量化し、事前にリスク要因として分析しておく。「国民性の距離」「行政上の距離」「地理的な距離」「所得格差の距離」。CAGEフレームワーク。


ホフステッド指数。「個人主義/集団主義」「権力に不平等があることを受け入れているか」「不確実性を避けがちな傾向があるか」「競争や自己主張を重んじるか」。後に「長期的な視野をとるか」「自己抑制的か」の指標が追加されている。


コグート=シン指数。国民性の距離を測定。企業の進出もだが、政策が受け入れられやすいか、などに応用が利くかも。


GLOBE指数。ホフステッド指数との優劣。使いにくいかも知れないが、「○○である」という実証的価値観と「○○であるべきだ」という規範的価値観を見るのは興味深い。この二つの距離も国民性だろうし。


集団主義と個人主義。グループ内の結束が強ければ、その分グループ外の人たちとの協力関係を築くのが心理的に困難になる可能性。全体の和を乱すのは小さなグループを重視する「集団主義」の人々かも、という指摘。


関係性のネットワーク。「弱い結びつきの強さ」。強い結びつきで構成されているとネットワークが重層的になり、伝達の効率が悪くなる。まあ「何が効率か」「効率によって犠牲になる点はないか」という論点はあるだろうな。


暗黙知を伝えるためには密な交流が必要だから、弱い結びつきではなく強い結びつきが必要になる。いきなり強い結びつきは作れないが、弱い結びつきを徐々に強めていくことはできるだろう。


先日の講演、講演者と聴講者のブログを拝見。しかし、ふと思ったのだが、現在の児ポ法も純然たる個人的法益だけが問題になっているんじゃないのかもなあ、と思ったり。純然たる個人的法益の問題なら、被写体本人による撮影や、被写体が成人した後その同意による公表が問題になることはないような>RT

kkmaruさんがリツイート | 1 RT

個人的法益だけが問題ならば、アニメでの児童ポルノなんて問題になる訳もないし。結局「不気味なもの」をラベリングして排斥したいだけなのでは、なんて思ったり。>RT


「子の看護休暇」を有給にするのは難しいかなあ。本来病児保育を導入すべきだが、病児保育が充実していない現状、仕方なく休暇を取得している状況を踏まえる。「体調不良以外、年休を取得しない」風土の企業ならば導入できそうだけど。


「いま、働くということ」(大庭健)読了。「何のために働くのか」という意味への問が手段の合理性に矮小化されている点、「生きる」ことがプロジェクト化される現状を描出している。「わたし」を所有する近代的思考の問題にも繋がる。社会科学的には引っ掛かりも多いが、様々な思索の端緒になる本。


比例代表で当選して、除名された者が議員として残る、か…。まあ、どの党でもこの問題はあるけどねえ。>時事ドットコム:維新、西村氏を除名 jiji.com/jc/zc?k=201305…


持つ者は「持っていない」と言い、持たざる者は「持っている」と言うもの。持っていないのに「持っている」という意図を晒し、それを言う意味を減らす手立てが欲しい。>時事ドットコム:核兵器「すべて保有」=水素、中性子爆弾にも言及-北朝鮮 jiji.com/jc/zc?k=201305…


今朝の朝日の社説(無料会員でも読めるのでは?)「政治家の言葉―橋下さん、やっぱり変だ」を読んで強烈な違和感。とくに結語「こんな大人げないやり方は、もう卒業してはどうか。 」…そんなやり方を許してきたマスコミの罪をどうする。ずっとそうだったのに「朝日新聞さん、やっぱり変だ」

kkmaruさんがリツイート | 124 RT

マスコミの必殺技「掌返し」!!!>RT


「読書は道楽。成功するためにとか、何かの役に立つようにとか、目的をもって本を読むのはお門違い」。同感なんだけどねえ。


民政党の歴史を見ているが、もう少し憲政会の歴史や経緯を見ておく必要があるかも知れない。別途読んでみよう。


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5月21日(火)のつぶやき その1

2013年05月22日 01時07分10秒 | つぶやき

凄い国だな。ただ「世論調査」がニュートラルなものではない、という点は、日本でも意識するべきかも知れない。>時事ドットコム:プーチン政権、世論調査に圧力=「政治活動」と停止要求 jiji.com/jc/zc?k=201305…


噂には聞いていたが、本当だったんだな。>時事ドットコム:米ヤフー、新興ブログを買収=若年層取り込み広告拡大へ jiji.com/jc/zc?k=201305…


面接対象事務所の志向、私と違うような気はするな。まあ、落ちても惜しくない、と思えば良かろう。


日本の思い通りに、アメリカは動いてくれる訳ではない、という当然っちゃ当然の事実。>時事ドットコム:短距離ミサイル、問題視せず=国際義務違反と言えない-米国防総省 jiji.com/jc/zc?k=201305…


引退から日テレに行ったり、事業が失敗したり、とタイガースと距離があった掛布だが、最近阪神球団と接近している気がする。今更掛布監督もなかろうけど。>掛布vs東尾、28年ぶり夢の“再戦”実現/タイガース速報/デイリースポーツ online daily.co.jp/newsflash/tige…


政府が賃上げ交渉をするなんて、自由競争ではあり得ないわな。企業としては弱い労組と交渉する方が有利だろうし。ただ、賃上げがなければ中間層以下の消費は拡大しないだろう。>時事ドットコム:政府との賃上げ協議に難色=「労使で決める」-財界 jiji.com/jc/zc?k=201305…


東京新聞「ゼロ」の裏 浮かぶ課題 横浜待機児童「解消」社会(TOKYO Web) bit.ly/117AXIc


自民党副総裁などを歴任した姫島村出身の政治家・西村英一(1897~1987)が国東市国東町に所有していた古民家が、地元食材を使ったレストランに生まれ変わりました。 t.asahi.com/auf0

kkmaruさんがリツイート | 3 RT

普通の教育機関は、自分たちの卒業生がなるべくよい処遇を得られるように努力するのであるが、法科大学院は、自分たちの卒業生が、よりひどい処遇を受けるようになることを積極的に望んだわけで、見捨てられて当然だよね。

kkmaruさんがリツイート | 21 RT

修習給費制の維持に反対した時点で、法科大学院制度の命脈は完全に尽きたんじゃないですかね。

kkmaruさんがリツイート | 20 RT

多様な情報を遠くまでスピーディーに拡散する、という意味での「効率」。例えば正確性や、深度を求めるのであれば、また違うネットワークの考慮が必要かも知れない。


アライアンスの種類による業績への寄与度合の違い。事業環境によって、強い結びつき/弱い結びつきのいずれが寄与するか、異なってくる。


構造的なソーシャル・ネットワーク。「情報を自分のところで留めて、それを利用する」発想。ストラクチュアル・ホール(構造的空隙)。


ストラクチュアル・ホールを多く持つ(構造の結節点に立つ)方が年収が高くなる。ただこれは、ストラクチュアル・ホールを多く持つ人の属性が年収が高くなることにつながる、という隠れた相関があるような気もするんだが。


意味への問いが、成果を達成するにあたっての目的/手段の適合性への問いに切り詰められる。仕事内部については(留保付きにもせよ)妥当だが、これが仕事そのものの意味や生の意味についてまで拡張され、浸食されていく。


いのちの働きの相互承認と、仕事で商品を作り出すことによる相互承認。相手を「売り手」「買い手」とのみ見ている状態を「相互承認」と呼べるか。


「プロジェクトとしての生」を嫌悪しつつそこから離れられない相剋が、プロジェクトとして生産性の低い者を「生きる価値がない」と排撃させる。


自分に向けられかねない攻撃を予め他者に向け、自分に向けられるのを近視眼的に防ごうとする。長期的には同じことであり、本来は味方になれた他者を消してしまっている分、その攻撃は余計に強くなる。


「息子たちよ、よく来た。枕元に座るがよい。…ここに三本の起案がある。一本ずつならすぐに取り掛かれるが、三本まとめて書かなければならなくなると…ほれこの通りツイッターに逃避してしまうのじゃ…」

kkmaruさんがリツイート | 10 RT

「自分は、人生から何をまだ期待できるか」から「人生は、自分に何を期待しているか」への転換。生の意味についての観点の変更。再逆転。


管理会計上年休を取得した場合のコストを部門につけると、取得を抑制する方向に向かうだろうから、その経費は全社に付ける(予算化して配賦する)、といった手は必要だろう。大企業だったら普通にやっているかな。


「働くのは、生きるためだ」と言うことで、仕事も「見返りとして快と満足を得るための手段」に矮小化されている。「この仕事から何を期待できるか」ではなく「この仕事は自分に何を期待しているのか」への転換。この転換が、生きるための最低限すら提供しない資本側の口実になっている気もするが。


「いのちの連鎖のうえで、いのちの働きを相互に承認しあう網目の一つとして」この仕事は、自分に何を期待しているのか、と自問する。その仕事がいのちの連鎖から切り離されたり、いのちの連鎖に反することで成り立っている場合。


どんな仕事も非常に複雑な関係を介して諸個人の人生/いのちの再生産に寄与している。空間的に外部へ放逐されていること、時間的にいのちの再生産に比して遥かに短期間で結果が測定されることから、自分の仕事が人生/いのちの再生産に具体的にどのように寄与しているのか、見定めるのは困難。


「見知らぬ人々のいのち/生活の再生産に役立っているか否か」と「いまの市場で自分の仕事に高い値段がついたかどうか」は別問題。外部経済(不経済)の影響。


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