朝寝-昼酒-夜遊

日々感じたことを思いのままに書き散らすのみ。
※毎週土曜更新を目標にしています。

いけだ落語うぃーく~今宵は「珍品と上方寄席囃子」で~

2013年05月01日 12時40分17秒 | 落語・講談・お笑い
月曜に続いて、先週金曜はアゼリアホールへ。
「いけだ落語うぃーく」の一環としての珍品・寄席囃子の会。


「疝気の虫」(佐ん吉):△+

セミの話をマクラに振ってネタへ。

江戸の「疝気の虫」を聞いている身としては、莢雑物が多い印象。
疝気の虫が様々な「虫」にかかるシャレを言いウケているのだが、
個人的にはこれは不要であり、
この奇想天外さや小粋さを旨とするネタでは邪魔だと感じる。
あと、虫がやけに大きく、
これは人体に入らないのでは、と感じてしまった。

蕎麦と唐辛子ではなく、
堺名物の「大寺餅」と濃いお茶という設定。
これは上手く上方に取り込んでいて悪くない。
演る場所に応じてその場所その場所を名物を使っても良いかも知れない。

疝気の虫が喜んで踊りまわるところは
「地獄八景」風にハメや仕草も入り、これも良かった。

サゲは「別荘を探す」訳だが、
立って探す動きが少し多過ぎ、ここでウケを強く取ろうとしているように見えた。
ただあくまでも「小粋」なネタであり「落語」である、と考えれば、
帰る方向の反対側まで探したり、
後ろの襖に触れて「画いてあるだけか」などと言ったりするのは
やり過ぎと思う。


「茶漬幽霊」(まん我):△+

幽霊やお化けの話をマクラに。
「茶漬幽霊」って「幽霊」をメインにするネタではないのでは、
と「三年目」のイメージが強い者としては感じる。

既におかみさんが亡くなっており、
100ヶ日の法要が終わった場面での会話から始まる。
「死んだら後添えを貰う」「化けて出る」といった話は
亭主が説明する形で。
個人的には、これはこれで悪くないと思う。
確かに死んだ嫁さんの愛情みたいなものは直接の会話の方が出てくるが、
そこを直接描写せず、亭主の口を通す形の方が却って深みが増す面はあるだろう。
ただ、亭主の話そのものは整理が悪い。
もう少しウケ狙いでなく、嫁さんの気持ちや
それを紹介することを通して間接的に亭主の気持ちを表現できるような
テキストはあると思う。

後妻を貰うが初夜の晩は別に寝る。
後妻にも「幽霊が出る」と言っているんだな。
それは言わない方が良いだろう。
その方が「新しい嫁さんに済まない」気持ちに繋がりやすいと思う。

後妻が芝居を見るために出かけて、
昼の用意がしていないので茶漬を食べているところに先妻の幽霊が出る流れ。
後妻が「芝居を見るために出かける」
「食事の支度をしていないから茶漬でも食べていて欲しい」と言うところが
非常に回りくどい。
後の「気を使っている」「良い嫁さん」という男の述懐への仕込みなのかも知れないが、
極端な話、後妻の台詞なしに「行ってくるのか」「気にしなくて良い」くらいを
男が後妻と喋っている態で表現してしまえば良いのでは、と思う。
日頃からの気を使う女性らしい言動があるだろうから、
それを思い浮かべながら喋っていれば良いのでは、と感じる。

幽霊の出はまあまあ。
若干「へっつい幽霊」っぽい「後ろに出ている」などもあるが、
まあ、特に悪くはない。

「三年目」を見て、このネタは「女性の情」がメインと思っているのだが、
茶漬という「緩和」と幽霊という「緊張」の対比、という程度のネタに
矮小化していたように思う。
それならば(後から作られたネタだが)「茶漬えんま」でもやっていればいいのに。


「箒屋娘」(文我):○-

久し振りに見る文我。10年以上ぶり、くらいか。

マクラはこのホールや枝雀の思い出、
そこから談志の話など。
南光襲名時の控室で小さんがいる時に談志が入ってきたことや
その後のパーティーなどの話。
面白かった。
話し方や手の動きなどに米朝っぽさがあって妙に感じたが、
考えたら文我も50歳代だし、仕方ないのかも知れない。

珍しいネタで、全体にはまあまあ。
「若旦那が徐々に金の使い方を覚えていく」
通過儀礼の物語、として作られていたように思うが、
この方向は特に悪くないと思う。

話を進める番頭が良かった。
若旦那を尊敬し、その言っていることを聞き入れつつも
意見を言うバランス。
「若旦那の顔を見たことがない奉公人が多い」という小言は面白い。

若旦那は番頭に意見されて考えを改める際やその後は、まあ悪くない。
ただ、最初に番頭と話し始めた際の「堅さ」が不自然であり、
その後の「世間知らず」「引き籠もり」の雰囲気との一貫性に欠ける。

若旦那が定吉と出かける。
この定吉がお金を持っており若旦那の金遣いに対してツッコミを入れたり、
茶店で餅を頬張っていたり、
と狂言回しになる。
全体にやや不自然なところは感じられた。

箒屋の娘に会って「病身の父に」と金を渡すところ、
父親に叱られるから、と娘に言われたので
自分の名前や住所を書いたりするテキストなのだが、
この書いた物の使い方が非常に不自然。
長町裏に帰って父親に金を渡す際に、娘がこの書いた物のことを隠す。
結果、父親に殴られそうになって慌てて書いた物を見せる。
そこへ後をつけてきた若旦那が入る、という形なのだが、
そこまで心配するならば隠さずに最初から書いてもらったものを見せれば良いし、
父親が(「子はかすがい」のように)
殴るために娘を近付けていくシーンが演りたければ、
書いた物なんかない方が良いだろう。
登場人物の気持ちと行動があまりにも合っていないように見える。

若旦那が帰宅し、長町裏に住む娘と一緒になりたいと言い出す。
落語によくある形であり、これはこれで良いだろう。
大きな不自然さであり、個人的にはあまり気にならない。

長町裏の他の住人にも赤飯(おこわだったか)が配られ、
「誇り」と「箒屋」に掛けたサゲ。
まあ、悪くはないが、
婚礼からサゲだけ長町裏に戻して
今まで出ていなかった長屋の他の連中を出す、という作り方はあまり好みではない。
出来れば婚礼の場面で終わらせられれば、と思う。
長町裏の他の住人に配ることそのものは良い話であり自然なので、
入れたい気持ちも分かるのだが。


上方寄席囃子(出演者全員・かつら益美)

「箒屋娘」に引き続いて、
出演者や三味線方を出してお囃子紹介。
省略形の「一番」「二番」から、
「石段」「じんじろ」、
大看板の「鞨鼓」「野崎」「舟行き」「のきす」、「ひるまま」には
宗助が出のマネを入れ、
「東の旅発端」や活け殺しの「負けない節」といったハメまで。

文我の元曲も含めた紹介、宗助の真似やその中での米団治イジリなど。
真似で言えば特に米朝が歩き方から話し方、高座の仕草など非常によく似ていた。
他の演者は出方はイマイチ?と思う人もいたが、
喋り方や手の動きなどはよく似ている。

三味線は恐らく文我の嫁さんだが、うーん、いい加減長くやっているはずなのになあ、
という印象が拭えない。

この手の寄席囃子を表でやってくれると、
太鼓も音だけでなく、左右や手首の使い方などが分かるので有難いな。

最後は片砂切を実演しつつ幕。
非常に満足。


「釜猫」(宗助):○

「若旦那は遊ぶ、放蕩息子」といった話。
寄席囃子紹介の際に米団治をいじっていたのが仕込になっていた。
「磯村屋」の説明はなくても良いのでは、と思う。

ネタの出来は良かった。
このネタそのもの、は兎も角。
親旦那が米朝の物真似になっているところ、
それが故のクサさは気になったが、
それを除けば特に引っ掛かるところもなかった。
若旦那が磯七と話をした後の「隣の小便の方で親旦那が全部聞いていた」の
地の文がウケたら楽だな。

次の日釜を中庭に出す際、
店の連中が重そうな表情を見せた後で「こないに重かったかいな」と
さらっと言うくらいでおさめているのが良いバランス。
これ以上言うとクサくなるし。

猫を入れてお茶屋に運ぶ。
磯七にも遊び心がある訳で、そのあたりがよく出ている表情付け。
縛る仕草、釜を上げて解く仕草も丁寧であり、
ハメによく乗っていて良かった。

猫が撒き散らすところはあっさりと。
個人的にはもう少しクドくやる方が好みだが、
これは純粋に好みの問題。
サゲは猫が芸者の懐の財布を咥えて飛び出て、
それに対して「ネコババや」。
「ネコババ」を現在理解されている「物を取る」意味で使う方向のサゲであり、
「物を隠して知らん顔をする」意味ではないため、
説明の要否を考えなくて済むので良いだろう。


「昆布巻芝居」(文我):△-

古い芝居の話をマクラに振ってネタへ。
出来物のマクラを使わないのは悪くない。

ネタの出来は良いとは思えない。
個人的に好きなネタなので、その分、
テキストへの手の入れ方が不満であり、不愉快ですらある。

昆布巻を炊いている家での会話で始まり、
「鼻が利く」男の噂をしているところに「ごめん」と言って男が入っていく。
この男の「ごめん」の言い方などは悪くない。
ただ一度帰った後も(サゲにつながるのだが)「炊き過ぎて不味くなる」でなく、
「断られたから意地でも蓋をとる」に拘るべきでは、と思う。

また男が入ってきて芝居の話になっていくのだが、
「もう昆布巻は諦めた」とはっきり言ってしまい、
「店の連中を集めて芝居の話をして見せる」設定は間違っていると思う。

個人的にはこのネタは、芝居好きな主人と一緒に芝居をすることで、
主人とこのネタを見ている客に元々の話を忘れ去らせるほど集中させ、
その挙句に主人に蓋を取らせて
主人と客に元の「昆布巻」を思い出させる、
という話だと思っている。
「緊張の緩和」であり、「蔵丁稚」の「ええとこやねんけど」と同様。
しかしこの日の「昆布巻芝居」では、
登場人物が芝居好きなのではなく、
演者が芝居の真似を客に見せて「どうだ、凄いだろ」と思わせるのが好きなのでは、
と感じてしまった。

最後の「鍋蓋で刀を止める」以前に鍋を動かす場面などでウケが来てしまっていたのは、
客を芝居に集中させられていなかった一つの証であり、
出来が悪かった失敗の証だろう。
頻繁に主人のツッコミが入るのも目先のウケは取れるかも知れないが、
芝居への集中を削ぐ点でマイナスが大き過ぎる。
しかも繰り返す内にウケが減っていったし。

「芝居の真似の中で蓋を取れば良い」設定になっており、
「主人に何とかして蓋を取らせなければならない」設定になっていない、
或いは分かりづらいのが致命的。
後者の設定を明確にしておけば、
主人に対しても「蓋を取らそうとしている」ことを隠すような台詞回しになるし、
異人が鍋を持って場所を変える、何て部分は演じないようにもっていくだろう。
大体、主人が立ち回りに参加していないのでは?
男が蓋を取って良いのであれば、そもそも芝居の真似なんかする必要はないし、
このネタを演る必要もない。

下座はやはり声が出ていない。

そもそもこのネタは「蓋を取らせる」と考えれば立ち回りメインであるべきで、
それ以前の異人と武蔵の話や武蔵が入ってくるまでの場面は
「芝居っぽさ」を印象付けるものであり、
或いは主人や客に元の昆布巻の話を忘れさせるためのものだろう。
このあたりのバランスの悪さが
演者が自分を見せたい、という(私の感覚では)「邪念」の一つの現われだろう。

そんな訳で鍋蓋が(男か主人かによって)取られた時も
特に「緊張の緩和」という程の反応もなく。
まあ、芝居の真似がしたかった演者としては、別にどうでも良かったのかも知れない。

サゲも「昆布巻に味が沁み過ぎる」みたいなもの。
悪い「合わせ」ではないが、「昆布巻芝居」のサゲとしてはお話にならない。
この演り方では「おまえもむちゃし」と言えないだろうが、
そう言えることを目指さないような「昆布巻芝居」自体が論外。


終演21時45分。
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4月30日(火)のつぶやき その2

2013年05月01日 01時05分41秒 | つぶやき

産経の仰天憲法案には言いたいことが山ほどある。もう漫画の域。ここまで来ればあっぱれだ。わが道を行くだね。国民に支持されるか、本当にその案が採用されるかなんてどうでも良い。とにかく言いたいことを言っただけ。言いっ放し憲法案。国家・国民は運命共同体なんて、もうハチャメチャだ。

kkmaruさんがリツイート | 476 RT

私からは、産経の「言いっ放し憲法」も橋下の改憲要件の緩和や日頃の言い草も、憲法が国家権力を縛って基本的人権侵害を防止するための存在である、という立憲主義の基本を蹂躙しているという点では同じ穴のムジナにしか見えないんだけど。>RT


【更新情報】「人生ゲーム」もソフト完勝 プロ、開拓地送りに kyoko-np.net/2013043001.html

kkmaruさんがリツイート | 224 RT

ケーシー高峰を絶滅危惧種に指定して早い保護が望まれる。

kkmaruさんがリツイート | 13 RT

飲んでて何が 非常時だ(日本国民禁酒同盟、昭和14年)

kkmaruさんがリツイート | 101 RT

私儀、鈴々舎風車。来年春の真打昇進にあたり、六代目小さん師のお薦め、師匠馬風並びに関係各位のお認めを頂きまして「柳家三語楼」の名跡を四代目として襲名させて頂く運びに、相成りましてございます。一所懸命に勤めていきたいと思っております。 御贔屓御引き立ての程ひとえにお願い申し上げます

kkmaruさんがリツイート | 21 RT

自民党リベラル派からの教育再生会議批判~『世界』6月号 blogs.yahoo.co.jp/doukyoukaken/4… ……ほう。健全な内部批判が。

kkmaruさんがリツイート | 35 RT

「明治演劇史」(渡辺保)読了。明治時代の歌舞伎、文楽、能、新派や新劇などについて、演者や作者・制作者を描き、社会の動きと絡めながら解説する。従来からジャンル別の解説はあったと思うが、古典から新劇まで総合的に関連付けて解説できるのは筆者ならではだろう。労作。年表があれば尚良い。


「わかりあえないことから」(平田オリザ)読了。価値観が多様化し、また外国との接点が増えている現代日本で、「コミュニケーション」やその能力をどう捉えるべきか、様々な視座から記述。価値観の違いを前提とする「対話」が一つのポイントか。国語教育など、様々なテーマを考える端緒になる本。

1 件 リツイートされました

母校の准教授でしたが、姜先生の授業ではみんな睡魔と戦っていました。声が良すぎてほぼ睡眠導入剤。“@kettansai: しかし最強は姜尚中の、中年ホストのピロートークみたいなウィスパーボイス。あんなもん声だけで猥褻や”

kkmaruさんがリツイート | 60 RT

在籍2年だし、今から見ると大した記録は残していないんだな。記憶には残っている。合掌。>時事ドットコム:元阪急のアニマルさん死去=プロ野球 jiji.com/jc/zc?k=201304…


結局こういうことか。自分が何言ったか覚えていなかったくせに抗議していたのか?まあ、これで五輪が来なければ丁度良い。>時事ドットコム:不適切発言で謝罪=五輪招致の他都市批判で-猪瀬都知事 jiji.com/jc/zc?k=201304…


「負けて覚える相撲かな」と「負けから学ぶことは一つもない」。マイナスなものを消去していく脳の働き、と考えると後者か。


大きなプレッシャーがかかる場で、反復運動をすることで無心の境地に入っていけるか否か。日頃無心に取り組めているか否か、に拠る。


「相手が負けたから、自分が「勝ち」という立場を味わえる」。一人では勝てない。


焼肉で飲んで帰路。紫立ちたる夕映え。美し。


最近業を感じたといえば少し前の時代を描いたアニメにブルマが登場した際「ブルマが絶滅していないということは2005年以前」とか年代測定をはじめた方々がいたことです。「10校中5校がブルマなので2003年頃と推定されます」とか言い出しかねん。放射性同位元素かよ。

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4月30日(火)のつぶやき その1

2013年05月01日 01時05分40秒 | つぶやき

他の立候補都市を批判する意図なく、どんな文脈でこんな発言が出たのか?が気になる。余程歪められたのでしょうね(棒)>時事ドットコム:猪瀬都知事「真意伝わらず」=他候補批判報道でコメント jiji.com/jc/zc?k=201304…


「決められない」政治が嫌だからって、何でも決められれば良い、というものでもない。憲法改正や徴兵制を「決められる」くらいだったら、「決められない」政治の方がまだマシ。と思って参議院選挙での投票先を決めたいところ。


連休は読書三昧という方には、児玉清『ひたすら面白い小説が読みたくて 文庫解説コレクション』。読書家で知られた児玉さんの文庫解説集。残念ながら中公文庫は入っていませんが、愛情溢れる文章に「原稿をもらった編集者は嬉しかっただろうな」と胸熱くなりました。梯久美子による「解説集の解説」付

kkmaruさんがリツイート | 18 RT

お客の年齢層もかなり高かったんだけど、牧伸二のノリにはだんだんついていけなくなっていく。期待されてるのは「やんなっちゃった」なのに、ぜんぜん期待されてないことに全力を注いでるさまに、牧伸二の過激さが垣間見えた。古稀記念の「コキコキロック」を元気に歌っていたひとが、何故かと思う。

kkmaruさんがリツイート | 11 RT

猪瀬知事の「真意が正しく伝わってない」発言は、普段本人が「言葉の力」と言い続けていることと併せて考えられるのが、一番辛いんじゃないかと思いますの。

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ファミレス。軽い雨。眠けれど、何冊か読み終えたいところ。


はっきりしたコミュニケーション不全ではなく、ちょっとした「言い出しかねて」「言いあぐねて」が大事な点であり、最も多いのでは?


「欧米のコミュニケーションがとりたてて優れている訳ではないが、多数派は向こう。多数派の理屈を学んでおいて損はない」程度。人格云々ではない。まあ、ナイフとフォークが使える、という位の話。


相手との関係によって言葉遣いの異なる言語。最初に年齢を尋ねる、など。


簡単な言葉だがその人のコンテクストの外側にある言葉。初対面の人に「旅行ですか?」と尋ねる、など。「コミュニケーション不全の原因になる」とあるが、具体的なイメージがしづらいな。「不全」を誤解や食い違い、程度で押さえれば良いのかな。


落語を聞いて(意図的・無意図的に)抜かれる台詞は、自分のコンテクストの外部にある台詞。ただ抜くこと(言わないこと)がその登場人物のコンテクストの外部にないか、は注意が必要だろう。


団菊没後、その前世代にあたる団蔵の仁木弾正の演技。新派大合同に対する歌舞伎の位置付けとして、敢えて古風・大時代的なやり方。


明治末の歌舞伎座大改装。帝劇への対抗とは云え、近代的技術を駆使しつつ「純日本風」を主張する、というその後の日本文化を象徴する行き方。


2代目左団次の経歴。父初代左団次の死で明治座を継承する。洋行して明治座の革新興行を行うが混乱。「自由劇場」を発足させ、小山内薫とイプセンのみならずチェーホフ、メーテルリンクなど後の新劇の演目となる作品を紹介。明治座は新派の伊井蓉峰に売却し、松竹の東京での専属俳優第一号になる。


松井須磨子のノラを誰も「うまい」と言っていない。しかし「面白い」「感動した」と言う。技巧や方法論の結実ではなく、須磨子自身の生き方、天性のものが噴き出した結果であり「良縁」。さらに当時の女性解放の象徴の一つとなっていく。


皇居の堀端に面して白亜の純西洋風劇場である帝劇が建っている、というのは興味深いな。


今日のしんぶん赤旗より。慶応大学小林節教授「まぎれもない改憲論者の私が、憲法観で対立する『赤旗』紙上にコメントを寄せるのは『憲法そのものが危ない』という差し迫った状況が目の前にあり、からだを張ってそれを阻まなくてはいけないとの思いからです」(続く)

kkmaruさんがリツイート | 108 RT

今日のしんぶん赤旗より。小林節氏。憲法96条の改定は「『何に使うかわからないけれど、私に銃を持たせて』というようなもので、何をしでかすかわからないのに危ない銃を渡せるだろうか」 わかりやすい。以前朝生でご一緒した時も、スジの通った話をされていたことを思いだす。

kkmaruさんがリツイート | 150 RT

一つだけツッコむと、共産党もまだ改憲政党だったはず、ではある。立憲主義を曲げるような憲法制定に賛成するとは思えないが。


文化が近すぎたり共有できる部分が多すぎて摩擦が顕在化しない。顕在化しない「ずれ」が積もり積もって、抜き差しならない状態になったときに噴出し、衝突を起こす。


コンテクストを理解する。社会的弱者は、他者に対してコンテクストでしか物事を伝えられない。しかしコンテクストの理解って難しいわなあ。人間にしか出来ないが、全ての人間が常に出来るか、というと疑問。国語教育の一つの目的やも知れぬ。


発話・コミュニケーション不全を個人だけの問題ではなく、組織やシステムの問題と捉える。話しやすい環境になっているか。


シンパシーからエンパシーへ。いじめのロールプレイで「いじめられた子の気持ちになってごらん」とシンパシーを求めても難しい(それが出来ればいじめは起こらない)ので、「他人から何かされて嫌なこと」を思い出させて「それは似たもの」と結びつけてエンパシーを持たせる。


同一化できない、ダメだ、と思うのではなく、何らかの形で共有する。同じものを自分の中に見出だす。


「価値観を一つにするコミュニケーション能力」から「バラバラな人間がバラバラなままで、どうにかして上手くやっていく能力」へ。その先達としてアメリカのコミュニケーションがある、と捉えるのかな。英語というツールでなく、多様性の認識と意見を変える際の拘りのなさ。


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