あなたの
行きつけの店
は
ありますか?
あなたは
どんなキモチで
その店のトビラを
開きますか?
この本には
作家の山口 瞳先生が
愛した名店が
ずらりと並んでいる
だれもが
知っている店も
在れば
ツウ好みな店も
在る
紹介したくても
先方の意思を
配慮して
載せていない店も
在るそう
あとがきにも
あるが
行きつけの店を
想い起す時に
浮かぶモノは
食べたモノ
より
時の移ろい
や
あの時のあのヒトの
笑顔
である
と
先生は
おっしゃっている
ワタシ自身も
そう
たくさんは
無いけれど
行きつけの店が
在る
行く目的の
もっともは
店主さんの
人柄や価値観に
触れさせて
いただくコト
なんじゃないかな
(そこが、店。で在る限り
美味しい。は、前提だから)
プライベートな時間まで
出来れば
気は遣いたくない
ましてや
居心地悪そうな
愛されないお客にも
なりたくない
余計なコトを
考え始めると
其処は
いつの間にか
遠退いて行く
逆に
お迎えする側でも
在るのだけれど
バードモナミを
行きつけの店
と
想って下さっている
方々は
あの
深緑の扉を
開く時
どんなキモチで
お見えになるのだろう
そして
どんなキモチで
扉の向こうへ
戻っていかれるのだろう
万人に愛されるには
まだまだ
まだまだ
だろうけれど
何らか
だれかの
ヒトツの時代の
記憶や想い出
として
ココロに
留まれるよな
そんな
店
で
在れたらと
想う
行きつけの店
それは
文化そのもの
そこは
学びの場
であり
修業の場
でもある
そう
作家は
あとがきを
結んでいるけれど
まさに
そうだと
想う
どんな環境
どんな立場
であれ
出逢えたモノ
とは
互いに
惹きつけ
引き上げ
合える
関係を
築けられたら
最高だ
育てるのは
先生ばかり
でも
親ばかり
でも
ないの
だから