こんにちは浦田関夫です

市議30年の経験から私なりの視点で発信していきます。

必死の活動が勝敗を分けた

2009年01月30日 08時03分00秒 | Weblog
 選挙が終わって、少しずつ選挙の実態が明らかになってきた。

 合併して4年が過ぎ旧町村部では、行政の切り下げが進んでいることを住民が肌身で感じており、その「行政の切り下げを止めたい」との思いが、危機感をあおり、地域ぐるみでの候補者押し上げに繋がったものです。
 そこには、我が党の政策では説明できない部分があります。理解を得るまでには時間がかかりそうです。
 組織や後援会員、支持者も頑張ったのですが、それを上回る旧町村の候補者が必死で活動ではなかったのかとおもいます。

 落選の10人の内7人が旧市内で3人が旧町村であることからもわかると思います。
 
 2人で、3人で七山から尋ねて「危ないから是非お願いします」と党員のところにも何度も尋ねてきたと聞かされました。

 「選挙予想表」も出回り、○△×などの表記で、旧町村候補者は×が多かったといわれています。選挙中にはよく流されるものですが、そこには「浦田関夫は○だった」と大丈夫論が意図的に流されていたのです。

 「浦田さんはもっと上であがると思っていた」とよく言われるところにも「大丈夫論」が浸透していた証拠です。

 これからも、地域の要求を取り上げ、解決に向けた活動を地道にすることが大事です。

 写真は、25日朝の自宅前の風景です。
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