・・・赤い靴 履いてた 女の子 異人さんに連れられて行っちゃった・・・
ご存知、大正11年に「赤い靴」として、野口雨情作詞・本居長世作曲で発表された童謡であるが、二番の歌詞の「横浜の波止場から船に乗って・・・」の詩の縁で、山下公園の中央に、海を見つめて座っている女の子像が造られた由。
てっきり、山下公園のシンボルとして、此処だけの像と思っていたが、静岡県の日本平山頂、北海道の留寿都村 、小樽市の運河公園などに、六つもあるという。
・・・と言うのも、歌詞は実話を題材にして書かれたということで、少女の関連した場所に夫々造られていったとか。
少女のモデルは、静岡県清水市出身の岩崎かよの娘・きみ(明治35年~明治44年)で、後の、育ての親から買って貰った赤い靴をいつも履いていたという。
岩崎かよは未婚の母としてきみを育てていたが、生活苦から、北海道に渡り鈴木志郎と結婚するが、開拓生活の厳しさもあり、かよは義父の仲介により、娘・きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことになる。
やがて、ヒュエット夫妻は本国に帰る事になるが、その時きみは結核に冒されており、アメリカに連れて行く事が出来ず、孤児院に預けられる。
病と闘いながら、少女は9歳の年で独り孤児院で亡くなっているが、その間、育ての親である宣教師の迎えを、波止場に佇んでは待ちわびたといい、作品の像でも分かるよう、港を見つめる姿は、どこか哀愁を感じさせるものがある。
夏から紹介した、’09年のみなとみらいの散策は、今週を以って終了とするが、この後、中華街にでて、一度味わってみたいと思っていた「刀削麺」を食し、帰路についた。
残念ながら、期待したほど「刀削麺」なるもの、獅「と思えず。
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