写画へのいざない

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野球

2006-09-06 17:20:51 | 育んだ遊びの数々

 今はもう、ボールを受け 返球してくれる相手もいないが、塀を相手に一人キャツチボールで楽しんでいる野球。

 野球と出合ったのは小学校の4年生頃だろうか、当時は物資が乏しく、遊びの種類も少なかったこともあり、ボールひとつで何人もが楽しめる野球は、チョットした空き地ではいたる所で見られた。

 家が空襲で全焼し、石川県に疎開したことは既に記述したが、終戦後 東京に戻り借家住まいとなるが、貸主である家が資産家で、三角ベースの野球ができるほどの庭があり、その敷地内には複数の借家世帯が住んでおり、メンバー、場所など、野球環境には恵まれ、学校から帰ると毎日のように、夕飯の呼び声が鰍ゥるまで、遊び耽っていたものである。

 その頃は、満足なグローブはなく素手で捕球できるようにボールは、ゴムかソフトボールを用いていたが、社会人になってからは、軟球に変わり、対戦相手も徐々に、会社又はクラブの草野球チームと変わっていった。
 併せて、その頃に焼け跡に念願の家が建ち、幼い頃からの野球仲間とも別れることになり、必然的に三角ベースは卒業する形となった。

 社会人になってからの野球は、また別の機会に譲ることにするが、これまでの三角ベースで学んだことといえば、機敏性・協調性など常識的なことがあげられるが、ここで特に強調したいのが、「加減」ということである。

 限られた敷地内で行うため、上手く振りぬけば塀を越すことはたやすかったが、ボール拾いに時間が鰍ゥったため、ルール上、越えたら即チェンジであり、如何に塀の内側近辺に造られた農園に打ち込めるかが、ャCントであった。
 テクニックを身につけて行ったことは、当然であるが、物事を考えるうえでも この「程よく調節すること、即ち 中庸」が、その時分に身についたようである。

 作品は、社会人になってから初めて購入し、既に40数年愛用しているグローブを写画にしたものである

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