第160話. ヒトラーでは無くむしろシンドラーに近かった東条英機 オトポール事件

2018-08-13 17:25:52 | ★政治 外交 歴史
湖畔人です。

東條英機と言うと日本が大戦に突き進んだ時の日本の首相であり、当時同盟を組んでいた日独伊の三国同盟のリーダーは、悪名高いヒトラーとムッソリーニであったので、どうしても、ヒトラーやムッソリーニの様な独裁者みたいな人物と思われがちなのですが、でも、どうもそうではないぞ、結構な人道家だったようだぞ、と言う事実が段々と見えて参りましたね。
その一例として、戦時中、満州においてもユダヤ人救出劇があったのですが、その救出をドイツからは再三抗議があったにも拘らず、それらの反対をかわして、その救出劇を黙認して来たのは、当時の関東軍の参謀長、東条英機、その人だったと言われています。
戦時中の美談として、ドイツのシンドラーが多くのユダヤ人の脱出を助けた話は有名ですが、最近では、日本の外交官、杉原千畝が命のビザを発行し数千名のユダヤ人の命を救った話も有名になって来ておりますが、杉原氏以外にも、ユダヤ民族に貢献した人々の名が刻まれていると言うエルサレムの『ゴールデンブック』に名前が記されている戦時中の日本の軍人が二名おります。一人は、樋口季一郎氏、もう一人は安江仙弘氏です。安江氏は、当時のユダヤの専門家であり、欧州での厳しい立場にいたユダヤ人に同情をし、上層部を動かして満州へのユダヤ人の入植を提案、実現した人物です。樋口氏は、安江氏の同期で、当時ハルピン陸軍特務機関長を務めており、ナチスから逃れシベリア鉄道で逃げて来たユダヤ人達に、満州への入国を独断で許可し、多くのユダヤ人の満州への入植や上海経由でアメリカに逃げる道を開いたと言われる人物です。
樋口氏は、元々ユダヤ人とは縁があり、ハルビン特務機関長時代に、満州ハルビンで行われた第一回極東ユダヤ人大会にも同期の安江大佐と共に参加をし、ドイツのユダヤ人への酷い対応を批判していた人物でした。その後すぐに、ソ連と満州国の国境にある、シベリア鉄道・オトポール駅にナチスから逃れて来た多くのユダヤ人が来ており、満州への入国を懇願されてしまいます。ドイツとは同盟関係にあり難しい判断ではありましたが、樋口少将は、八紘一宇の精神を発揮し、独断で、即日ユダヤ人への食糧、衣類、燃料の配給と、要救護者への看護、満州国内への入植や上海租界への移動の手配等を実施しました。樋口少将は、当時の南満州鉄道の総裁の松岡洋右氏に直談判をし、上海への移動希望者に特別列車で運ぶ手配をします。累計で2万人とか、それ以上のユダヤ人を救ったと言われております。この出来事は、“オトポール事件”と呼ばれているようです。その後、この事件はドイツの外相から強い非難を受け、樋口少佐も処分の対象にされそうになりますが、当時の関東軍の参謀長だった東條英機中将の面接を受けた際に、樋口少将は“ヒットラーのお先棒を担いで弱いものいじめをすることは正しい事なのですか?”と東条に問い、事情を即座に理解した東条中将は、以後、樋口氏を不問とし、その後も、ドイツからの再三にわたる抗議に対しても、東条中将は“当然なる人道上の配慮によって行ったもの”と一蹴し、樋口少将を守り続け、同時に多くのユダヤ人の命を救う後ろ盾となっていたのです。よって、一部のユダヤ人達、ラビ・マービン・トケーヤー等のユダヤ人達には、東条英機はユダヤの恩人、英雄として認識されているようです。単にイメージだけで人を断定すべきではない、様々な人の証言に耳を傾けるべき、と言う事になりますね。東条氏はヒトラーでは無くむしろシンドラーに近い人格者であったようです。

湖畔人

第159話. 1860年の世界 もし日本が戦わなかったとしたら

2018-08-12 19:53:22 | ★政治 外交 歴史
湖畔人です。

前話でも指摘しましたが、毎年この時期になると、戦争を振り返える報道が増えて、その戦争の悲惨さを振り返り、戦争には反対だとか、核兵器には反対だとか、そうした反戦反核の報道が増えて参りますが、そこでは、先の大戦の是非であったりとか、あれは侵略戦争では無かったのか、とか、間違いではなかったのか、とか、もっと言うと、日清、日露を含め、明治以降に日本の取って来た選択は果たして正しかったのか、いや間違っていたのではないか?等、様々な意見が出て参るのですが、世間の評価や偏向マスコミの意見等は取り敢えず脇に置いておいて、まずは下記に、私個人の私見を述べさせて頂きたいなと思っております。

●正当な自衛のための戦争、有色人種の解放させた革命的偉業

私個人の結論としては、明治以降に日本の起こした戦争は“全て”自衛の為の戦いであり、正当な動機で始められた戦いであったと思っております。それだけでなく、戦いの過程で、大国ロシアを破り、白人とその他の有色人種の間に横たわっていた差別感を揺るがし、有色人種に自信と勇気を与えました。太平洋戦争においても、欧米諸国を東南アジアから追い出す事で欧米諸国を軍事的にも経済的にも疲弊、弱体化させ、アジア諸国が独立しやすい素地を作り、そして何より日本が欧米諸国に勝つ姿を見せる事で、アジア諸国にも自分達でも戦える、独立を勝ち取れる、と言う自信と勇気と言う彼らが独立を果たす為に必要な精神的土壌を作ったのは、欧米列強相手に孤軍奮闘した当時の日本であったのは紛れもない事実です。日本は最後には敗れはしましたが、アジア諸国を植民地支配から解放する事に成功しましたし、彼らが独り立ちしやすい環境を作った、総じて尊い戦いをしたのだ、と言えるかと思います。

当時の世界は、白人の国家群、欧米列強がその他の世界の全てを完全支配する一歩手前の状態でした。東アジアの日本とタイと言うピースを除いては、その他の全ての世界は、ほぼほぼ欧米列強の植民地、ないし半植民地となっていた時代だったのです。欧米列強と、彼らの支配する植民地、その二種類しか存在しない世界地図のパズルが完成間近寸前だった時代だったのです。しかし、そのパズルをバラバラにし、修復不可能にしたのは、紛れもなく、明治以降に戦いを続けた我々の先祖達、嘗ての日本なのです。彼らがもし欧米列強相手にアジアで戦わなかったとしたならば、インドの独立も無かったでしょうし、中国も切り売りされたままの分裂状態で、東南アジアの国々も今の様に独立国では無くて、相も変わらず、欧米列強に搾取されるだけの最貧国のままであるだろうし、そこに住む有色人種達は、人としての人権も与えられず、人以下の扱いを継続的に受け続けていた事でしょう。今の世界は、文明の中心が太平洋に移って来ており、世界経済の中心はアジアと言われ、アジアこそが世界経済の成長エンジン等と言われてはおりますが、そんな世界は、日本の先達が戦わねば存在し得なかった未来だったはずなのです。我々の先祖達が起こしたこれらの戦争は、国内の一部と左翼と中韓朝には大変評判が悪いのかもしれませんが、でもこの我らの先祖達が身を捨てて起こしたこれらの戦い無くしては、有色人種の人権の保障も、今のアジア人の持つ自信も、今のアジアの繁栄も、起きてはいなかったはずの未来だったのです。それだけ、我々の先祖達の死を賭した戦いと言うのは、世界史的、人類史的に見ても、大変大きな意義を持つ、とても大きな革命的な変化をこの世界にもたらした大きな戦さであったのです。我々、彼らの子孫達が、その人類史的、世界史的な意味合い、その凄味を理解できるようになるまでには、まだまだ時間が掛かるのかもしれませんが、彼らの戦いの後に、世界の様相が全く変わってしまったと言う点はきっと誰にも否定できない事実でしょうし、欧州の白人達がその他の世界の全てを支配していた時代の終焉もほぼほぼ完了しておりますし、有色人種達にも開かれた未来が訪れて来ており、自由、人権、民主主義、信仰など、普遍的な価値感の共有が世界中で始まっていると言う事実も、多分間違いのない事実であって、我々の先祖達の身を賭したその戦いも、その流れの形成に大きく貢献して来た、と言う点も、多分間違いのない事実なんだと思うのです。

●1860年の世界情勢と自衛の為の戦争

繰り返しますが、江戸の末期の1860年の世界情勢やアジアの情勢は一体どうだったのかと言いますと、世界は欧米の列強が世界の殆どを支配していた帝国主義の時代でありました。アジアの国々もアフリカの国々もその殆どが欧州列強の植民地であって、アジアでは、タイと日本以外は皆欧米列強他の植民地だったのです。中国は当時は清と言って、イギリスと二度のアヘン戦争をして、天津、漢口、南京など11港の開港の強要、外国使節の北京常駐や外国人の内地旅行権の強要、イギリスへの香港の割譲、ロシアへの沿海州の割譲、アヘンの合法化の強要等、様々な屈辱的な不平等条約を結ばされ、欧米列強に侵食されほぼ半植民地状態になっていました。朝鮮はその清の属国でしたので、アジアで真に独立していた国は、タイと日本のみでした。ですから欧米列強以外はほぼ欧米の植民地、アフリカも南米も欧米の植民地、白人が世界の殆どを支配し、それ以外の有色人種は皆劣等な人種、人間以下、奴隷としての扱いが相応しい、という世界観が確定する寸前だったのです。
よって、それを伝え聞いていた江戸末期の侍達は、次は自分達の番と相当な危機感を覚え、それが明治維新が起きた最も大きな動機でした。1860年と言えば、日本では安政の大獄の翌年であり、吉田松陰が他界した翌年、桜田門外の変が起きた年であり、日本が大きく揺れていた時代です。その後起きた事は皆さんご存知の通りで、薩長が中心となり明治維新が起きました。徳川幕府では弱すぎだし、旧態依然とした意味の無い権威主義や差別意識を振りかざされても何も解決しないし、日本が抱える欧米列強とどう対峙して行くかと言う大きな課題に対し、解決能力がない、機能不全を起こしている、よって徳川中心の体制ではこの難局は乗り切れない、もっと民主的に広く才能を募ってオールジャパンで事に当たらないとこの亡国の危機は乗り切れない、よって幕府を倒すべしと判断が下され明治維新が起きます。彼らはまず欧米の政治体制、法制度、文化、産業、軍事を取り入れ急ぎ近代化された強国化を目指します。彼らの当時の最大の懸念は、ロシアによる朝鮮半島支配でした。ロシアは当時世界でトップクラスの軍事大国で、世界最強の陸軍と、世界に二番目位だった海軍を保持した世界有数の軍事大国だったのです。そのロシア海軍に朝鮮の港から日本に出撃されたら日本は確実に滅ぶと思われていた時代でした。ですから、朝鮮を取られまいと必死でしたし、まず日本政府は、中朝に一緒に近代化して強国化して、共に手を組んで欧米列強に対抗し、一緒に追い払いましょう、と提案をしたのですが、当時の清と朝鮮は、その中華意識からなのか日本を全く相手にせず、全く聞く耳を持ちませんでした。でも一方当時の朝鮮は清の属国ですし、その朝鮮の宗主国・清は上記の通り欧州列強に半植民地にされてガタガタの状態でしたので、その状況を放置しては、遅かれ早かれ朝鮮半島は必ずロシアに乗っ取られてしまう、もしそうなると日本は終わってしまうと強く危惧し、まず朝鮮を清から独立させようと清との戦いを始めます。そして清に勝利し朝鮮の独立を果たします。しかしそれでも朝鮮へのロシアの影響は排除できず、また、朝鮮の根元、満州の租借権もロシアは持っていたので、朝鮮半島がロシアの勢力下に置かれるリスクは依然存在していて、様々な協議をロシアと重ねるも中々うまく進展せず、結局ロシアとも朝鮮をめぐって戦争を始めます。そして、日本は、強国ロシアに勝って、朝鮮半島の権益を確保し、ロシアによる軍事的脅威を排除し、半島の安全保障を達成します。また満州における権益も得ることになります。この日本の勝利は、欧米の列強諸国の日本への評価を高め、明治維新以来存在して来た各種不平等条約の改正に大きく寄与させます。非白人国として唯一の列強諸国の仲間入りを果たし、後には五大国の一角をも占めるまでになります。TOP5に日本が入ったのです。この有色人種の極東の小国が、当時のトップクラスの強国ロシアを破ったと言う事実は、ロシアや欧米諸国に虐げられてきた多くのアジア諸国のリーダー達を狂気乱舞させます。ただ、この勝利により、特にアメリカから日本は警戒され始め、この後から日本を戦いのステージに引きずり込む悪のシナリオが作られ始め、日本は段々と太平洋戦争に突入せざるを得ない状況下に置かれて行きます。その後、日本は、日露の勝利により満州の租借権は得てはおりましたが、陸軍の独断により満州の占領が起き、満州は満州国として中華民国から独立され日本はその実質的な宗主国となりました。欧米諸国からは満州事変と日本が実質支配している事を糾弾され、段々と孤立化をし、国際連盟を脱退し、その後英米を中心に兵糧攻めをされ、石油を止められ、太平洋戦争へと進んでいきます。その様に、大戦へのきっかけとなった満州なのですが、日本にとっては、満州はソ連(旧ロシア)の共産主義勢力の南下を防ぐ為の防波堤でもあり、満州は朝鮮の根元、朝鮮半島の安全保障上重要な土地でもあり、また疲弊した本土経済の受け皿としても譲れない場所でもあった為、日本は、満州は手放なせなかったのです。後に朝鮮戦争を通して、あのマッカーサーも、何故日本にとって満州が防共と、安全保障と、経済的理由の3点の理由から必要であったか、何故朝鮮半島を護る必要があったかを明確に理解する事となります。この朝鮮戦争でマッカーサーは、”ソ連からの勢力が朝鮮半島に下りてきた時には、日本を守ろうと思えば朝鮮半島を抑えなければならなくなるし、朝鮮半島から敵の勢力を完全に追い払おうと思えば、満州に出て行かざるを得ないし”と日本の事情にやっと気付き、 “日本にとって朝鮮半島や満州が防衛のためにもいかに重要な土地かが分かった”、としています。分るの遅すぎです。また、特に、悪しき病の様に急激に拡散していた共産主義への戦前の日本の懸念もマッカーサーはやっと明確に理解するようになります。東京裁判では、東条英機が”満州を守らなければ満州が共産化する。それから支那も赤化する。支那事変であろうが、満州事変であろうが、その背後にはソ連の共産党が暗躍していたのだ”と主張をしていましたが、その主張は裁判では受け入れられず、その主張は認められませんでした。でも朝鮮戦争を戦う事で、マッカーサーはその言葉が正しかった事もやっと明確に理解するのです。朝鮮戦争当時、北朝鮮軍に対し、中国共産党の毛沢東は100万の大軍を満州に送り込んでいました。ソ連の共産党も限りない援助を満州経由で行っていました。これに対し、マッカーサーは、北朝鮮軍の背後にいる中国共産党軍がいる満州への原爆投下まで提案をするのです。また東シナに面する港の封鎖もトルーマンに提案しましたが、過激すぎるし、第三次大戦を誘発するので、勘弁してほしいとトルーマンに嫌われ、マッカーサーは解任されてしまいます。解任され帰国したマッカーサーは上院の軍事外交合同委員会において、『アメリカが過去100年に太平洋で犯した最大の政治的過ちは、共産主義者が支那において勢力を増大して行くのを黙過してしまったことである』、と発言するのです。また、『日本の戦争は自衛戦争であった』と明言します。『日本は絹産業以外には、固有の天然資源はほとんど何もなく、綿も無く、羊毛も無く、石油の産出も無く、錫(すず)もゴムも無い、それら一切のものがアジアの海域には存在し、これらの原料の供給を断ち切られたら、1000万から1200万人の失業者が発生する事が予め見えていた、だから日本が戦争に及んだ動機は、大部分が安全保障の必要に迫られての事だったのだ』と証言するのです。今更ですが、やっと日本の意図を理解するのです。アメリカは当初、ソ連の共産党によって世界中に流布された日本=侵略国家と言うイメージで見ていたはずで、日本による朝鮮半島の統治も満州国建国も、単なる侵略行為と見ていたはずです。よって、日本を支那大陸や、満州、朝鮮から駆逐したことで、正義は達成されたと誤解していたようですが、戦後、ソ連の共産党が、彼らの計画通り中国の蒋介石政権を崩壊させ、あっという間に中国もモンゴルも満洲もシベリアも東アジア全域を共産主義国群に仕上げた状況を見て、初めて、真の敵が誰だったのかをやっと理解するのです。そして、朝鮮戦争を通して日本が何と戦って来たかをやっと理解をし、アメリカ外交官ジョージ・ケナン等は、『その結果アメリカは、過去半世紀にこの地域で日本が直面し、対処してきた問題と責任を日本に代わって引き受けなくてはならなくなっただけなのだ』、と後悔の弁を述べているのです。時すでに遅し、です。アメリカの真の敵は日本では無く、真の敵は共産主義者だったと言う事をやっと悟るのです。何れにせよ、マッカーサーの言う通り、日本が明治から昭和に掛けて成した全ての戦争は、皆自衛の為の戦争であって(朝鮮を取られる=亡国と言う危機意識の中)、安全保障の為、食う為、そして防共の為の戦いであった事は間違いのない事実だったと言えます。

●日本がアジア諸国の解放を目指していた証拠

イギリスとアメリカはドイツや日本との戦闘を控え、またその後の世界構想を見通して“大西洋憲章”と呼ばれるルールを作りましたが、そこでのルールの一部は欧州白人国家のみ適用されるものであってアジアやアフリカ諸国は対象には含まないと言うチャーチルとルーズベルトの言葉が残っており、当時の日本の外相、重光葵は、その大西洋憲章は人種差別的であり、それに対抗するアジア国同士の為の別の憲章が要る、と言う事で、東条首相に対し“日本の戦争目的にアジアの解放があるという事を明示し、わが国の戦争目的の正当性を世界に示すために、大東亜会議を是非開きたい”と大東亜会議の主旨を伝え、東条首相と天皇陛下の同意を得て実施をします。この“アジアの解放を戦争の主目的の一つにする”と言う考えは、当時の日本の国策になっていたのです。この会議は、アジア7カ国のリーダー達を日本の国会議事堂に招いて行われたものですが、その際“大東亜共同宣言”が発表されており、その宣言では、それら参加国達の共存共栄、相互信頼と相互尊敬、相互補助、人種差別の撤廃などを盛り込んだ内容となっておりました。これは、世界初の有色人種国によるサミットであり、また70年以上も前に行われた多分世界で最初の人種平等サミットでもあったのです。産経の榊原論説副委員長は、“国の命運と多くの国民の生命を賭して戦う以上、日本の戦争目的は、自存自衛が第一であったのは当然だが、それとともに、アジアの解放も目的だったことは、はっきりと認めるべき”、と主張しています。また、“日本が世界史に果たしてきた役割はいろいろあるだろうが、20世紀における最も大きなものは、日本の行動がアジア諸国の独立をもたらし、白色人種優位の世界から、今のような人種平等の世界をつくる原動力となったことである。”と述べています。この大東亜会議の企画立案者の外交官・重光葵は敗戦の処理もしているのですが、降伏調印式に重光に同席した人物に、以前ジョンレノンの話の所で紹介したオノヨーコさんの従弟、外交評論家の加瀬英明氏の御父上様である加瀬俊一と言う方がおりました。加瀬俊一氏は、重光外相の秘書官として、重光外相とともに大東亜共同宣言の原案を書いた外交官でもあり、降伏調印式の際の心境をこう述べています。『対米戦争は自存自衛のために追い詰められて、立ち上がった戦いだったが、何百年にもわたって西洋の植民地支配のもとにあったアジアを解放したのだった。開戦三年後の大東亜宣言の原案は、重光外相と私が苦心して書いたものだった。・・・あの降伏調印式の日にそのようなことは互いに言わなかったが、世界史的な戦いが終わって、日本は人類史によって与えられた役割を果たした、という矜持が、胸のなかにあった。負けたのは事実であっても、精神的にはけっして負けていなかったのだ。そういう意地があった。』と、述べております。これを見る限り、戦争には負けたがアジアの解放は出来た、人類史的偉業だと加瀬氏は自覚をし、満足をもしていたのです。やはり、彼らの意思は明白であって、戦争の目的の一つに“アジアの解放”と言う趣旨が一本の柱として明確に存在していた、と言う点は間違いなさそうです。それは日本の独りよがりな自己満足的なものでは決して無くて、アジア・アフリカ諸国の同胞も日本の気持ちは十分に理解してくれていたようです。その証拠に、1955年4月、インドネシアのバンドンで開かれた第1回アジア・アフリカ会議では、招待された日本代表団一行に対し、独立したばかりのアジア、アフリカの新興国の代表たちから大歓迎で迎えられ、相次いで温かい声を掛けられたようです。『よく来たね!』とか『日本のおかげだよ!』とか、『日本が、大東亜宣言というものを出して、アジア民族の解放を戦争の目的とした、と言う、その宣言がなかったとしたなら、あるいは日本がアジアのために犠牲を払って戦っていなかったとしたら、我々は依然として、イギリスの植民地、オランダの植民地、フランスの植民地のままだったと思う。日本が大きな犠牲を払ってアジア民族のために勇戦してくれたからこそ、今のアジアが存在するのだ』とか、色々と感謝の言葉を述べられたようです。前述の加瀬俊一氏等も、アジア・アフリカ各国の代表から『日本のおかげで我々は独立できた』と握手責めにあったと聞きます。アジアの皆様にも、日本の、日本兵の、英霊達のアジアに掛けた気持ちは伝わっていたようです。

他にも、戦後のアジア各国のリーダー達の言葉から、彼らが如何に日本に感謝をしていたか、それを示す5つの言葉を選びましたので、下記に紹介をさせて頂きます。

まずはインドの初代首相ネールの言葉です。
“インドは程なく独立する。その独立の契機を与えたのは日本である。インドの独立は日本のおかげで30年早まった。この恩は忘れてはならない。これはインドだけではない。インドネシア、ベトナムをはじめ東南アジア諸民族すべて共通である。インド国民は、日本の国民の復興にあらゆる協力を惜しまないであろう。他の東亜諸民族も同様である。”

次にマレーシアの元外相ガザリー・シャフェーが、日本の某代議士の自虐的謝罪に対し、返した言葉です。
“どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないのですよ”。

次に、ビルマ元首相 バー・モウの独立宣言からの抜粋です。
“約五十年前ビルマは三回にわたる対英戦争の結果その独立を失えり、英国側はアジアに対する掠奪的野望を以て此等の戦争を遂行せり。英国はさらにその伝統的陰謀賄賂及び想像し得るあらゆる詐欺及び術策の武器をしようせり。ビルマ人は徐々に搾取され時の進むに従い総ての国民的実質、莫大なる物資的資源、機会、文化、言語、さらに遂にはその生活様式までも失い愛国者は挺身的精神をもって鎮圧、入獄、流謫、拷問及びしばしば死そのものを甘受して突進して来れり、これらの英雄はビルマの生存のため苦難を受け遂には斃れたり。ビルマ人はアジアを結合せしめアジアを救う指導者を待望しつつありしが遂にこれを大日本帝国に発見せり。ビルマ人はこのビルマに対する最大の貢献に対する日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり・・・”。

同じく、ビルマ元首相 バー・モウの来日時の言葉です。
“日本軍が米・英・蘭・仏をわれわれの面前で徹底的に打ちのめしてくれた。われわれは白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信を持ち、独立は近いと知った。一度持った自信は決して崩壊しない。日本が敗北した時、『これからの独立戦争は自力で遂行しなければならない。独力でやれば五十年はかかる』と思っていたが、独立は以外にも早く勝ち取ることができた。そもそも大東亜戦争はわれわれの戦争であり、われわれがやらねばならなかった。そして実はわれわれの力でやりたかった。それなのに日本にだけ担当させ、少ししかお手伝いできず、誠に申し訳なかった”

そして最後に、タイの元首相 ククリックド・プラモードの言葉です。
“日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。十二月八日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意をされた日である。我々はこの日を忘れてはならない。” 現地の新聞「サイアム・ラット紙」より。

また、アジアから追い出された側の国、イギリス出身の歴史家、アーノルド・トインビー博士も、先の大戦の日本の戦いの意義をこのように述べています。
“第2次世界大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大な歴史を残したと言わねばならない。その国々とは、日本の掲げた短命な理想である大東亜共栄圏に含まれていた国々である。日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去200年の間考えられていたような不死の半神でないことを明らかにした点にある。イギリス人もフランス人もアメリカ人も、開戦当初、ともかく我々はみな将棋倒しのようにやられてしまった”(英紙『オブザーバー』1956年10月28日)

自虐史観の日本の多くの教科書とNHKの戦争報道には全く見られない論調ですよね。

我々の先祖達は、身を捨ててアジアの同胞、有色人種達を植民地から開放し、彼らに自信と人権と繁栄をもたらし、悪しき白人支配の世の中を終焉させ、革命的な偉業を成し遂げた偉大なる歴史の転換者達、大英雄達だったようです。この点に関して、我々子孫は、その責務として、決して臆せずに、中韓朝等の反日国の顔色などは窺わずに、堂々と世界に向けてこの真実を、彼らの志を、そしてその偉業を、発信し続けて行くべきと考えます。

偉大なる彼らの子孫である事に誇りを持たねばなりませんね。

湖畔人

第93話. 半島の現状とトランプ政権(2) Darkest Hour

2018-04-30 16:40:21 | ★政治 外交 歴史
湖畔人です。

半島の未来と日本の未来ですが、米朝会談が3、4週間後に実施との事で、それまではゴチャゴチャ心配しても始まらないですが、残りの期間、日本政府には米政府への釘差しを頑張ってもらうしかありません。

ただ、やはり懸念が多いですね。
半島からの米軍撤退も議論のテーブルに載せる用意があるとマティスさんが発言していますが、甘いと思います。もし金一族が今後も継続して国を率いる場合は、北がおとなしいのはトランプ政権の間だけで、米軍が半島から撤退しトランプ政権が一期で終われば手のひら返しが必ず起き、北は南に侵攻し、北主導の統一朝鮮が現れるはずです。まだ日本に米軍がいれば、まだ良いにしろ、それでも再度半島をめぐる大規模な朝鮮戦争が起きる可能性が高いのです。それは米中の代理戦争となり、今北を攻撃するよりずっと戦闘が大規模で状況が難しくなっている事でしょう。これにロシアが参戦すれば、米国は手出しが出来ず、日本からも撤退するかもしれません。そうなると、日本はお仕舞です。残念な事に日本の周辺は中朝韓と言う反日国家だらけだからです。
ダーケストアワー(邦題:ウィンストン・チャーチル/ヒトラーから世界を救った男)で描かれた四面楚歌のUKと似た状況が現れるはずです。私がよく参照する保守系のオンラインオピニオンサイトも現在の世界の状況と当時のUKの類似性を指摘しています。
ヒトラーが1933年に首相に就任した頃、UKでは、軍事力縮小で平和を実現しようを言う機運が高まっていたようです。後の英外相は、“当時の英国民は自分たちが『戦争は悪』と言っているのだから他の国の皆も同じ考えを持っているに違いない、と、そう信じて疑わなかった"、と言う趣旨の事を述べており、1933年当時のボールドウィン首相も、当時を振り返り、「(再軍備を訴えたところで)当時この平和主義を唱えている民主国が、その叫びに呼応したと誰が思うか?」「これ以上に選挙の敗北を招くものが、他にあろうとは思えない」と述べていたようです。国の安全保障より、党の国民からの支持率を優先した結果招いた国の窮地だったのです。まるで、国民の支持率を気にして9条放棄すら言えない今の日本政府と酷似しています。時代的雰囲気も、政治家が人気を気にして本質に踏み込めない点も、今の日本にそっくりです。
その後、ヒトラーは十分に準備をし、戦力を整え行動を開始します。
3年後の1936年には、第一次大戦後に軍を置かないと約束をしていたラインラント非武装地帯に軍を進め進駐させます。ヒトラーは進駐後、「ヨーロッパに領土的野心はない」と表明し、25年の不可侵条約まで提案したため、英仏は安堵し、大して声も上げずそのままヒトラーを増長させます。ここで、英仏が厳しい対応をし、釘を刺せていれば、その後の第二次世界大戦まで事が大きくならなかったかもしれない、と言われているようですが、ヒトラーの野心を見抜けなかったわけです。その参照元のオピニオン誌の記事の筆者も、“まずは軍事力をちらつかせて緊張感を走らせ、その直後に、和平提案をして、安心感とともに受け入れさせる。これが、ヒトラーの手法だ。”と分析しています。まるで北のリーダーのようです。この点も類似点ですね。
この年ドイツはベルリンオリンピックを開催しています。そう言えば先日冬の五輪も半島で開催され北の参加も話題になりましたね。こうした比較的平和を連想させるスポーツイベントも事の本質を見えなくさせる方向に悪く作用する事もあるように見えますね。この点も類似点です。
しかし、一旦大人しくなったフリをしたヒトラーですが、その後、更に事を悪化させます。1938年、チェコの一地域に進攻し、武力による威嚇でオーストリアの併合にも成功します。欧州列強が集まったミュンヘン会談が行われるも、英仏は戦う事を選ばず、宥和政策を取り、当時の英国の首相チェンバレンは「ヒトラー氏が英国との友好維持に非常に配慮していると自分は信ずる」と語り、その宥和的対応は、当時の英国王他英国民から大変支持されていたようです。しかし、翌年、ヒトラーは、スロバキアの独立運動を契機にチェコを併合し、リトアニアの一部も併合し、英仏の黙認を宥和と捉え、更にポーランドへも侵攻し、それから第二次世界大戦へと繋がります。その後、デンマーク、ノルウェー、ベネルクス、フランス、と占領し、とうとう、1940年にはロンドンが空爆されます。いかに当時の多くの人々の見方が間違っていたか、民主主義の負の側面、間違った認識持つ多数の国民が国を窮地に陥れると言う典型的な例を見せています。民主党を政権に付けた日本の愚かな選択と一緒です。
ミュンヘン会談の宥和政策が間違いであり、ヒトラーの危険性を見抜いていたのは少数で、チャーチルもその一人です。その様子を見たチャーチルは演説で、「これが事の終わりと考えてはならない。これは清算の始まりにしかすぎない」と言い放ち、宥和賛成派からは、批判が殺到し、ヒトラーにも「戦争挑発者」と呼ばれていたようです。
結局、チャーチルが首相に就任した時には、ドイツ軍は欧州ほぼ全域を手中に収めており、巨大化し化け物と化したナチス軍との泥沼の戦争に突入しなければいけない状況でした。結果、イギリスの多くの都市が爆撃され、多くの若者が命を落としたのです。
チャーチルは、この戦いを振り返り、“この戦い程未然に防ぐ事が容易だった戦争はない“、または、”平和を求めたはずの穏便で事なかれ主義的な妥協的対応が如何に国と国民を滅亡の淵に導く事もありえるのか示す一例“と言う趣旨の発言を残しているようです。悪意を持つ敵国のリーダーへの毅然とした対応の必要性を我々に教えてくれているのです。
北と中共は危険です。その野心を隠すために微笑みを絶やさず様々な演出を仕掛けてはきますが、騙されてはなりません。南の文氏も同じく危険です。惑わされてはならないのです。後で私が“私の考え過ぎでした、私か間違っていました、彼らは良い人達でした”、と言える訂正文が書ければ良いのですが、まあ、無いと思います。

ノーベル賞が貰えると喜ぶトランプ氏も、半島からの軍の撤退を示唆するマティスさんも、楽観する訪朝した元CIA長官のポンペオ氏も、ちょっとその甘さが気になるのです。当てになるのはボルトンさんだけのように見えます。残り後3~4週間です。日本政府にもトランプ政権にプレッシャーを与え続けて頂くしかありません。頑張ってもらいましょう。
暫くは様子見ですね。

湖畔人

第92話. 半島の現状とトランプ政権

2018-04-29 00:19:53 | ★政治 外交 歴史
湖畔人です。

日本にいて、且つ時間が取れる限り、土曜の夜はTBSの情報番組を見るのがルーチン化しているのですが、今日も見ていると、盛り上がっている南北首脳会談に対し18年前と酷似しており注意が要る、18年前も一旦雪解けをして盛り上がりはしたが、その後北の核開発の継続が判明し裏切られてきた、時間を与えた事で北の兵器の完成度は更に高まり結局北に騙され力を付けさせて来ただけだった、要注意だ、という見方を披露していました。歴史的快挙と肯定的に捉える見方が主流となるとマズイな、と思っていた矢先だったので、日本のメディアでも冷静な見方が出来る方々がいるのだなと、少し安心をした次第です。彼らの見立ては多分正しく、核の放棄について具体的な対応を明示していない現状では、信用しては成らないし、時間的にも空間的にも無制限に北の核関連施設への査察が可能な状況が現れ、且つ、あらゆる核関連設備や兵器の破棄の明確なプランと履行が確認できない限り、本来北の現体制存続を許してはならないのですが、本来その判断を下し、北の命運を握る筈のトランプ政権が、どうも今の韓半島の現状を相当楽観視しているコメントが様々聞こえて来ており、そのお気楽さに一抹の不安を覚えている今日この頃なのです。
本音を言えば、北の国民の不幸、自由の無さ、何も意見が言えない不幸、粛清、食糧難、貧困、彼らのあらゆる不幸が、金一族の体制維持、保身を優先するが故に起きているのであって、彼らが去り、民主的な国家運営がされなければ、同じ事が繰り返されるだけなので、本来、南が主導してアメリカと圧力を最大化し、北の民主化を主導すべき所を、南の文氏は親北で左寄りですので、中々難しい状況です。下手をすると北主導の統一ですら許容しそうな勢いです。核保有の北主導の統一朝鮮など日本にとっては悪夢以外の何物でもありません。非核化が出来ない限り北の現体制の存続は終わりにすべきです。

今、我々に出来る事は、日本政府に対し、“トランプ政権に対し最大限釘を刺しなさい、無制限の査察と完全な核の放棄が確認できない限り、軍事行動を含む厳しい対応を取ってください、決して楽観したり、妥協したり、騙されてはならない、と言い続けるべきです。”と言い続け、トランプ政権の尻を叩いて頂くしかありません。兎にも角にも、トランプ頼りしか手が無い今、それしかやれることはありません。

第20話でも申しましたが、このまま北を放置すると北の核兵器の完成度が高まり、アメリカの東アジアでの抑止効果が無力化し、東アジアが中朝の支配下に置かれ、日本は滅亡の道をたどり、それだけでなく、世界の危険な国々に北製の核兵器が拡散し、現在世界を主導する自由、人権、民主主義、信仰を守って来た西側の国々が弱体化し、代わりに中朝を中心にした力と恐怖と無神論、共産主義が世界を覆い支配する地上の地獄が待っている、と言う話をしましたが、今がその暗黒の未来を決める分岐点であり、その未来を決める最大のポイントがこの核を保有した北の存続が継続するかどうか、と言う点なのです。従って、茶番に惑わされている場合ではありません。トランプ氏の尻を叩き、現在の北の体制を終わりにしなければなりません。本当に今が正念場です。気を引き締めて参りましょう。

湖畔人

第90話. 何時かは誰かがやらねばならぬ事=中国と北の暴走を止める事

2018-04-08 03:08:27 | ★政治 外交 歴史
湖畔人です。

今トランプさんは対北、対中国で大きく動き始めましたね。
北に対しては、この後、首脳会談が待っていますが、国務長官にポンペオ氏、大統領補佐官(国家安全保障問題担当)にボルトン氏を起用するなど、その布陣を見る限り、北の出方次第では、軍事行動をも辞さない、と覚悟を決めているようにも見えます。多分、結論を先延ばしにせず、北の非核化への方針次第では、北の現体制を転覆させるか継続させるか近々に結論を出そうとしているのかもしれません。

もし仮に今、それを誰かがやらず、今後も仮に6か国協議だ、何だかんだと北に時間を与えた場合には、北は核戦力の完成度を高め、弾道ミサイルの性能向上をし、核を弾道ミサイルに搭載可能にする核の小型化を目指し、潜水艦への搭載を可能にし、米国の本土攻撃も出来るようになる事でしょう。もしそうなるとすると、米国は北と一戦交える事を避けるようになるでしょうから、米国の東アジアからの撤退もありえるシナリオになってきます。米国が、世界の警察としてアジア他を守って来た役割を諦め、その役割を放棄する事になる、と言う事です。もし、そうなるとすると、中国と北は、米軍が去り次第大胆に動き始めるはずで、北はまず核で南を恫喝し、南を併合するはずです。次に中国は、香港、台湾、沖縄を併合し、日本を実質的な支配下に置くようにするはずです。中国が直接支配するか北に管理をさせるかは判りませんが、皇室は滅ぼされ、日本人は劣等民族として漢民族への同化政策下に置かれ消滅する事になるでしょう。

それだけではなく、北は完成した核兵器を売り物として世界中に拡散させ始める事でしょう。シリアやイラン、イスラム原理主義的テロリスト集団や、中国に隷属的でアンチ欧米のアフリカ諸国、中南米で麻薬を売って生業をたてるような危険な国々の手に核が渡り始め、民主主義、法治主義、人権重視、信仰重視の西側的価値観を持つ国々が、中朝とその従属国家群からの挑戦を受け始め、危険に晒され、対立が起き、そこでもしロシアが中朝側に付くような事になれば、西側が最悪滅ぶ可能性すら出てきます。北の核が起点に成って、世界の勢力図が全く変わり始め、より危険な国家が力を持ち始め、世界が大混乱に陥り、最悪、世界大戦にまで発展する可能性すら出て来るのです。もしそうなれば、それは、世界の地獄化を意味します。絶対に避けねばならないシナリオなのです。ですから、北の核戦力は認めてはならないのです。今が最後のチャンスです。今が勝負の時なのです。誰かが止めねばなりません。それが出来るのはトランプ政権だけです。我々にはただ彼らを応援する事位しか出来ませんが、兎に角、何とか彼らに区切りを付けて貰うしかありません。

中国も、共産党による大帝国の出現を夢見ており、その楯として北を使っています。中国の問題は、そもそも無神論、人権軽視、情報統制の共産主義自体がそもそもの問題ではありますが、経済面に限って言えば、為替操作により為替の価値が経済力相応でない事(最近は改善があるようですが)、知的所有権軽視、ダンピング等、諸々問題があります。知的所有権軽視問題は、そもそも嘘や盗みをしてはいけないと言う宗教をベースにした道徳観の欠如が問題であり、その上、国自体が簡単に競争力を得られる有効な手立てとしてパクリを奨励している事が問題なのです。中国は、その大きな国土と13億人という巨大な人口、巨大な市場、購買力をエサとして、中国に参入せんとする各国企業に対し、市場参入を認める代わりにノウハウや知的財産をただで渡せと恐喝をしています。金の為に悪魔に魂を売れとでも言われているようなものです。特許も商標も対価を払うべき価値なのですが、中国はそんな事はお構いなしのようです。商習慣のベースがその他の世界と揃っていないのです。そこを揃えないとフェアな競争にはなりません。倫理観、プライド、宗教観の欠如が問題の根幹です。やはり共産主義が諸悪の元凶と言えます。トランプ氏が今中国の知的所有権軽視の姿勢を問題にし始めましたが、大変素晴らしい事だと思います。ただ、少し遅きに失した印象が拭えません。歴代米政権も欧州各国諸国も目先の利益を重視して、問題に目をつむって来たツケが今顕在化しているのでしょう。もっと早くに手を打つべきだったと思います。

ダンピング問題も、通常の企業であれば、安売りをし過ぎ、それを継続すれば利益が減り続け、給料が払えなくなって、存続が難しくなるはずなのです。ただ中国の企業の場合は、社会主義国家であって、企業も国営企業ですので、最悪利益は無くても平気ですし、資金も無尽蔵に補完されますし、他国の一般企業がまともに戦って勝てる相手ではないのです。そんなアンフェアな国営企業が利益度外視で安く物をどんどん輸入してくるのですから米国の国内企業も滅ぶしかありません。しかも鉄鋼などの場合、軍事や安全保障に直結するアイテムなので、それらが全部中国製となると、軍事製品であれば取引の際に情報交換等で軍事機密が漏れる可能性すら出てきますし、中国からの物の供給を止められると兵器の製造が止まってしまうリスクにも晒されますし、本当にリスクだらけなのです。リスクもあり、アンフェアな戦いで中国企業に負けて国内企業が潰れ、結果雇用も失い、悪い事しかない、そんな状況を見ているにも拘らずその状況を放置し、傍観しているだけの政治家がいるとしたならば、その政治家は愚かで無能で政治家失格だと言えます。その状況を変えようとしているトランプ氏はまともであって、当たり前の事をしているだけです。単なる保護貿易と呼ばれるような単純なものではありません。経済は競争ですので、競争の為のルール、その前提が違う企業の参入は本来許してはならないのです。国がバックで、利益度外視で、資金が無尽蔵の中国国営企業との競争はアンフェアです。アメリカは市場への参入企業の前提を揃えるか関税などで競争力を調整する必要があります。競争の土俵に乗るための条件が揃わず、アンフェアなゲームと判断されるならば、そんなゲームは一旦止めて、ルールを改訂してからゲームを再開すべきなのです。それは当然の処置でありトランプ氏がしようとしている事です。

しかも、その中国はそのアンフェアな競争で得た経済力で軍事力を増強し孫子の教えに従い圧倒的な戦力でもって戦わずにして勝とうと目論んでいます。圧倒的戦力で戦わずにアジアだけでなく世界の半分を屈服させ、隷属させ、支配下に置こうとしているのです。そんな悪しき野望と横暴を放置しては世界の不幸を招くだけです。この状況に対する無策、放置は『悪』なのです。未来の中国の為にも欧米諸国と同じ競争前提に立ってもらうように仕向けていくべきなのです。その為には、比較的まともな国が力を保ち、中国を牽制し、指導すべきなのです。よってアメリカには中国を正し、中国の力を削ぎ、アメリカにはまた力を付けて貰って、そして、民主主義、法治主義、人権重視、信仰重視等、西側の価値観の守護者として、それらの価値観を広め守って頂きたいのです。

それが出来るのはトランプ氏と彼の率いる政権チームだけです。世界はトランプ氏の表面的な過激さばかりに目を奪われ、彼の本当の偉大さを理解出来ていないようです。将来必ず、彼に感謝しても感謝しきれないような状況が現れて来るはずです。私は、トランプ氏は世界の混乱を治める為に天が我々に遣わしてくれた天からのGIFTなんだと思って見ています。彼の任期中に多くの方がその事実に何となく気付く事を切に願うばかりです。
しばらくは彼らの動きから目が外せませんね。まずは北の対応ですね。

湖畔人