第61話. 冬の湖畔② 蓮田の色彩

2017-11-23 23:38:35 | 花鳥風月
湖畔人です。

この秋は殆ど週末晴れる事がなく、いつも曇っていてグレーの空の下、色彩の無い湖畔の魅力は半減どころか10分の1程度に減少し、あんまり湖畔の自然を堪能できなかったのですが、ここ最近の週末は二週連続でとても綺麗な夕空でしたし、休日だった本日も午後遅くから綺麗な青空が広がり、ワンシーズンで一度か二度お目にかかる事が出来るような、“可能ならこの瞬間を永遠に留めておきたい”、と思わせられるような美しい夕日を今日も見る事が出来ました。先々週末、先週末に続き本日で3日連続でそうした美しい夕日を見る事ができたのは大変ラッキーでした。腹立たしい選挙も終わり神々のお怒りも小休止と言った所なのでしょうか。北の今後もどうなるか気になりますが、そんな事は一時忘れて自然の織り成す美しい風景に身を置き英気を養わせていただきました。やはり曇っていると世界から色彩が失われますが、晴れているとその時の湿度や風の状態等で空や雲や湖面の色合いが毎回違った表情を見せてくれるのです。特にこの時期は、蓮が枯れ、蓮根の収穫が始まるのですが、この枯れた蓮の茎が作り出す明るい茶色が湖畔の風景に色彩のアクセントを付け足してくれるのです。大ぶりの葉と茎を持つ蓮は、枯れると茎が折れ曲がり、近くで見ると少しグロテスクな感じなのですが、少し離れた所から見ると、オレンジに近い明るめの茶色が輝き、土手の明るめの緑と、すでに刈り終えた稲田から僅かに生えて来ている稲の新芽の白っぽい淡い緑とが、程良い色彩のバランスを作り出し、それはまるで印象派の絵画のようです。ヴァンゴッホのラ・クロの収穫(青い荷車)の色彩に似ています。ヴァンゴッホは、北斎の描いた浮世絵の色彩を求めて南仏に移住したと聞きますが、現代に生きる日本人が、今度は日本の風景の中にヴァンゴッホの色を見ているのですから何とも不思議なものです。緑の稲に覆われている春夏の湖畔も良いですが、様々な色彩が楽しめる秋冬はもっと味わい深くて良いと思います。タゲリの舞いも見る事が出来て、溜まっていた疲れも少し取れた気がします。

湖畔人

第60話. 霊性をベースにした普段の生活②-霊性の向上を求めるが故の体調管理や身だしなみの重要性

2017-11-23 22:27:42 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

前話に続き、霊性をベースにした普段の生活の話です。
霊性を高める事は、この世に生まれて来る主目的なのだと思うのですが、霊性を高める中には、霊的な法則や霊界の世界観に関する知識の向上も必須だと思いますが、その他にも神仏の子としての視点から、自分も他人も神仏の子としての自覚が深まる方向で力を尽くす事が望まれていると推察します。その為には、自分や周りの霊性が開花する方向での祈りや、普段の生活でそうした願いを込めたコミュニケーション力を付ける事が望まれているのではないかと推察しますし、それは前話でお話しした通りなのですが、周りに愛を込めた思いや行いをしようとした場合、その為にも、前提として、やはり自分自身が体調もよく、健康である事が大事だと思っています。霊性、精神性の話をしておいて肉体へのケアの話をするのも何か一見矛盾しているように思えるかもしれませんが、やはり、健全な体に健全な心宿るではないですが、健康である事が何より重要だと思っています。体調が悪いと自分の事ばかりに意識が行きがちですし、周りに意識を向け気遣うのが難しくなりますので、利他に生きる為にも自分の体調は万全にしておく事が大事です。よって、適度な睡眠を取る事や、適度な運動をする事が重要です。そう言いながらも、実際の所は、これまでの私自身の生活は、不健康を絵に描いたような不規則な生活をずっと過ごして来ておりまして、海外に出る事も多く昼夜が逆転しがちですし、万年寝不足であり、睡眠時間は短めで、海外ではカロリーが高めな食事になりがちであり、ストレスのはけ口として食で気を紛らわしてきた歴史も長く、現在の私は体のアチコチにガタが来ており、体中が悲鳴を上げている次第でして、今は抜本的な生活習慣の改善や体質の改善が必要とされており、出来るだけカロリーを抑え、睡眠も多めに取り、歩く時間も増やすなどして体調の改善に努めている最中です。霊的であろうとすればする程、自分の肉体が万全である事が望ましく、健康な体が霊的生活には必須である、と最近強く感じている次第です。

また、話は変わりますが、他人とのコミュニケーションを円滑にするためにも、見た目(服装や香り等)も相手に悪い思いをさせない程度に小綺麗にしておく事が重要だと思っています。これも、霊性がどうのと言いながら見た目、外見の話をして矛盾をしているようで恐縮ですが、見た目を小綺麗にしておく事は相手への気遣いとして、エチケットとして重要だと感じています。個人的には心の中では人類皆これ神仏の子、皆兄弟、等と呟きながらも、見た目は少し派手目でチョイ悪オヤジ風にしておく位がちょうど良いのではないか?と思っています。まぁ、あくまで個人的見解ですが・・・。

湖畔人