湖畔人です。
この秋は殆ど週末晴れる事がなく、いつも曇っていてグレーの空の下、色彩の無い湖畔の魅力は半減どころか10分の1程度に減少し、あんまり湖畔の自然を堪能できなかったのですが、ここ最近の週末は二週連続でとても綺麗な夕空でしたし、休日だった本日も午後遅くから綺麗な青空が広がり、ワンシーズンで一度か二度お目にかかる事が出来るような、“可能ならこの瞬間を永遠に留めておきたい”、と思わせられるような美しい夕日を今日も見る事が出来ました。先々週末、先週末に続き本日で3日連続でそうした美しい夕日を見る事ができたのは大変ラッキーでした。腹立たしい選挙も終わり神々のお怒りも小休止と言った所なのでしょうか。北の今後もどうなるか気になりますが、そんな事は一時忘れて自然の織り成す美しい風景に身を置き英気を養わせていただきました。やはり曇っていると世界から色彩が失われますが、晴れているとその時の湿度や風の状態等で空や雲や湖面の色合いが毎回違った表情を見せてくれるのです。特にこの時期は、蓮が枯れ、蓮根の収穫が始まるのですが、この枯れた蓮の茎が作り出す明るい茶色が湖畔の風景に色彩のアクセントを付け足してくれるのです。大ぶりの葉と茎を持つ蓮は、枯れると茎が折れ曲がり、近くで見ると少しグロテスクな感じなのですが、少し離れた所から見ると、オレンジに近い明るめの茶色が輝き、土手の明るめの緑と、すでに刈り終えた稲田から僅かに生えて来ている稲の新芽の白っぽい淡い緑とが、程良い色彩のバランスを作り出し、それはまるで印象派の絵画のようです。ヴァンゴッホのラ・クロの収穫(青い荷車)の色彩に似ています。ヴァンゴッホは、北斎の描いた浮世絵の色彩を求めて南仏に移住したと聞きますが、現代に生きる日本人が、今度は日本の風景の中にヴァンゴッホの色を見ているのですから何とも不思議なものです。緑の稲に覆われている春夏の湖畔も良いですが、様々な色彩が楽しめる秋冬はもっと味わい深くて良いと思います。タゲリの舞いも見る事が出来て、溜まっていた疲れも少し取れた気がします。
湖畔人
この秋は殆ど週末晴れる事がなく、いつも曇っていてグレーの空の下、色彩の無い湖畔の魅力は半減どころか10分の1程度に減少し、あんまり湖畔の自然を堪能できなかったのですが、ここ最近の週末は二週連続でとても綺麗な夕空でしたし、休日だった本日も午後遅くから綺麗な青空が広がり、ワンシーズンで一度か二度お目にかかる事が出来るような、“可能ならこの瞬間を永遠に留めておきたい”、と思わせられるような美しい夕日を今日も見る事が出来ました。先々週末、先週末に続き本日で3日連続でそうした美しい夕日を見る事ができたのは大変ラッキーでした。腹立たしい選挙も終わり神々のお怒りも小休止と言った所なのでしょうか。北の今後もどうなるか気になりますが、そんな事は一時忘れて自然の織り成す美しい風景に身を置き英気を養わせていただきました。やはり曇っていると世界から色彩が失われますが、晴れているとその時の湿度や風の状態等で空や雲や湖面の色合いが毎回違った表情を見せてくれるのです。特にこの時期は、蓮が枯れ、蓮根の収穫が始まるのですが、この枯れた蓮の茎が作り出す明るい茶色が湖畔の風景に色彩のアクセントを付け足してくれるのです。大ぶりの葉と茎を持つ蓮は、枯れると茎が折れ曲がり、近くで見ると少しグロテスクな感じなのですが、少し離れた所から見ると、オレンジに近い明るめの茶色が輝き、土手の明るめの緑と、すでに刈り終えた稲田から僅かに生えて来ている稲の新芽の白っぽい淡い緑とが、程良い色彩のバランスを作り出し、それはまるで印象派の絵画のようです。ヴァンゴッホのラ・クロの収穫(青い荷車)の色彩に似ています。ヴァンゴッホは、北斎の描いた浮世絵の色彩を求めて南仏に移住したと聞きますが、現代に生きる日本人が、今度は日本の風景の中にヴァンゴッホの色を見ているのですから何とも不思議なものです。緑の稲に覆われている春夏の湖畔も良いですが、様々な色彩が楽しめる秋冬はもっと味わい深くて良いと思います。タゲリの舞いも見る事が出来て、溜まっていた疲れも少し取れた気がします。
湖畔人