第10話. 最も重要な事 = 親である究極神を喜ばせようとする事 

2016-08-15 15:13:27 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

本記事では、”私にとって、人類において最も重要だ思われる基本的な考え方は、『親である究極神の造りし世界を肯定し、親である究極神を喜ばせようとする気持ちを持つ事』、それが一番大事な事だと思えますよ、その気持ちから、我々の行動と考え方を軌道修正して行くべきですよ”、と、そう言うお話しをさせて頂きたいと思います。 

人はいつ死ぬか判りませんので、一番言いたかった事をまず先に言う事にしました。本記事が私がブログを通して最も言いたかった事です。

第3話から5話の中でも
私の世界観について簡単にご説明申し上げましたが、私は、数多くいる神々の中でも、究極に近い神、創造主ともいえる御存在は、人類を皆神仏の子、人類を世界樹の枝葉として繋がっている兄弟、という慈愛の眼差しで人類を見ておられる御存在であり、カルマと輪廻により、無限の成長機会と修正機会を人類に公平にお与えくださっている慈悲の御存在でもある、そう想定しております、というお話をさせて頂きましたが、私の見るその世界観において、最も人類にとって重要と思える基本的な考え方とは何かについて、本日はご説明申し上げます。

それは、その究極の神、神々の中でも、この地球における最高度の神格を持つ創造主ともいえる御存在、その究極神のお気持ちを、我々子である人類が推察をし、忖度をし、その方の作られたこの世界(この太陽系を含む大宇宙、数十億の人類一人一人、その数倍はいるであろう霊人たち存在、その他あらゆる自然と動植物)や、その方の作られた教育システム(転生輪廻やカルマなど人類の成長を促すプログラム)の全てを、肯定し、ありがたいと受け取り感謝し、その中で精一杯努力し、その方の期待に応えんとする事、それが重要だと考えております。我々人類は神仏の子、神仏の一部ではございますが、神仏そのものではございません。我々はその大きな存在の一部であり、また作られたものでもあります。ですから、親とも言える神仏の、その究極神の願いを忖度し、それに応え、ありがたいと受け取り、その親を素直に喜ばせようとする事、それが我々、作られた者達、神仏の子達である人類にとって最も重要な取るべき精神態度だと思えるのです。

もっと簡単に言えば、
我々人類にとって、親である究極神の期待に応えんとする気持ち、親である究極神を喜ばそうとする気持ち、親を悲しませないようにする気持ち、その気持ちをあらゆる思考や行動の出発点に持っているべき、と言う事が私の最も言いたいことです。

その観点から言いますと、
これまで、その方、創造主とも言える究極神が作られた大切な人類一人一人、その人類同士が愛し合い、尊重し合う事を、人類の親とも言える究極神は当然強く期待されているはずですし、また、その方を中心として、これまで過去数多くの天使達がこの世界に何度も派遣され、これまで数多くの文明や宗教が作られて来ましたが、それら神の創造の成果でもある様々な宗教を、その神仏の子達である人類が、それぞれの持つ多様性や個性を認めつつ、共存する事を強く望まれていると推察されるのです。逆に言えば、その方の子達である我々人類が、宗教の違い、文化の違い、肌の色の違い、言語の違いをもって、互いに疑い合い、憎しみ合い、殺し合う今の世界の現状は、我々の親である究極神を深く深く悲しませる事になっていると容易に推察されるのです。

ですから、その創造主とも言える究極神の子達である我々人類は、共通の親である究極の神の願いを忖度し、その方をこれ以上悲しませないように、もっと喜こんで頂くように、あらゆる宗教の違いや肌の色合い、言語の違いを乗り越え、多様性を認め合い、尊重し合って、互いに大切にし合うべきなのです。

ですから、
全ての思考と行動の元に、皆の親である究極神を喜ばせようとする事、悲しませ無いようにする事、その観点を中心に据え、我々人類の見ている神とは、特に世界宗教において語られる神とは、見ている角度と立ち位置も呼び名も違えど、実は皆同じ究極の神を見ているはずであり、その神は、人類を一人残さず愛してくださる神で、多様性と寛容性を愛する神であると信じ、様々な宗教の中に共通項が見い出す事が出来れば、それを喜び、違いが見出せれば、神の多様性と創造性を面白がリ、形式よりその背後にある神の真意に思いを馳せ、現代的生活に適合する形で、教えの変容を試み、神の喜ぶ姿を想像しながら、皆で歩み寄っていくこと、それが我々神仏の子達として人類の成すべき事であり、神の子である人類が、親である究極神に対する真の親孝行になるのだと思うのです。

自分達のメンツがどうであるかとか、そういった事では無く、親である究極の神が、いがみ合う我々人類を、どんな思いで見ておられるか、それを想像しながら、出来るだけその究極の神が悲しむ事がないような方向で努力する事、出来るだけその究極の神が喜んでいただく方向で努力をする事、それが究極神の子達である我々人類の責務だと思うのです。

今世紀の終わりには、もっと世界が融和しており、宗教の違いがもっとカジュアルに尊重される日が来ていることを願ってやみませんし、大きな鍵はご承知の通りイスラム世界となるはずで、その中でも、特に大きな人口比率を持つインドネシアやマレーシア等の東南アジアの国々、またはトルコなど比較的宗教的に緩やかな国々におてい大きな変革が起き、経済的にも、教育レベルでも、大きな飛躍を果たし、経済、教育、文化、スポーツで、西洋世界に互していく、そして次第にイスラム世界の近代化のリーダー、オピニオンリーダーと成って頂きたい、そう強く願うものです。その際のキーワードはアラーを悲しませるな、アラーは暴力を好まない、もっと文化的に強者となろう、と言う方向で頑張って頂きたいところです。 その変革の中でイスラム教の現在社会にマッチしない部分が大きく緩和され、原理主義、過激派的な勢力が、どんどん小さくなっていく、そうした流れの出現を期待したいですし、またその流れに我々日本も工場進出や教育交流、また、究極神の流れを引く日本発新宗教等を通して、うまく橋渡し役、ガイド役として貢献を果たせる事を願ってやみません。まずは、東南アジアの方が比較的やり易いかとは存じますが、まずは絵を描く人が必要ですね。できればトルコの混乱の収拾もロシアと組みながらうまく出来るといいですが、これも絵が描けないとだめですね。政府が問題です。

いずれにせよ、宗教的に融和された世界を実現し、究極神を笑顔にすべく、皆でこの世紀を希望の世紀に変えて行きたいものです。

この記事が皆さまにとって、何らかのプラスになれば幸いです。

湖畔人

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