湖畔人です。
今日は哲学と言うか、生き方やこの世の見方について少し。
神がいるかいないか、その確率は半分、50%ですね。確率として半分、なのです。
神がいる場合、神が人間に期待される生き方があるのが普通だし、また、神がいる場合、霊的な世界、あの世が同時に存在する、と考えるのが普通であり、また、あの世がある場合、あの世の行先は、生前の生き方の評価として天国や地獄に行く事になる、と言う意見が多いのも事実です。
では、神やあるべき生き方や死後世界がない場合はどうなるか?
ない場合は、どうせ死ねば何もなくなり、考える事すら出来ないので、その場合の死後の心配は不要ですね。
今日は哲学と言うか、生き方やこの世の見方について少し。
神がいるかいないか、その確率は半分、50%ですね。確率として半分、なのです。
神がいる場合、神が人間に期待される生き方があるのが普通だし、また、神がいる場合、霊的な世界、あの世が同時に存在する、と考えるのが普通であり、また、あの世がある場合、あの世の行先は、生前の生き方の評価として天国や地獄に行く事になる、と言う意見が多いのも事実です。
では、神やあるべき生き方や死後世界がない場合はどうなるか?
ない場合は、どうせ死ねば何もなくなり、考える事すら出来ないので、その場合の死後の心配は不要ですね。
では、神やあるべき生き方や死後世界がある場合はどうなるか?
ある場合は、貴殿が生きたその生きた行動や思考の歴史が神の評価基準に沿って評価され、多くの方にその恥ずかしい生き様や思考の歴史を映画館の様に観られ、振り返られる事になるようです。そして、”こんな生き方や考え方じゃ、もう、ここに行くしかないよね?”と言う事で恥ずかしい思いをしながら、その生き様に沿った場所に帰る事になるようです。
天国的な立派な生き方をされた方々は、あまり心配はいりませんね。
問題なのは、恥ずかしい思考や行動で多くの方々に迷惑を掛け、地獄に行きそうな生き方をしてしまった場合です。
現代社会では多くの方が地獄に行く事になるようですね。でも、地獄とは言っても、あくまで、反省や問題点の修正の場なのであって、キリスト教世界で言われるような永遠の行先では、どうもなさそうです。なので、反省さえすれば、良いのであって、もし仮にそうした地獄的な場所に行くことになったとしても、これは自身の問題点の修正や自分が危害を加えた方への詫びの為の場や期間なのであって、迷惑をかけた相手には心から詫び許されれば、どうも元居た天国に行く事になりそうです。なので、永遠に出れない場所として考え悲観する必要はありません。
自分も煩悩の塊のような生活が長かったので、ちょっと下に行くかもしれませんが、少なくとも、自身が死後置かれる状況は自業自得の結果であり、問題があるからそうした暗い世界に行くのであって、問題点は何だったかしっかり考え、迷惑を掛けた相手にはしっかり心から詫び、わだかまりを取る事が大事であると言う自覚はあり、もし下に行った際には、しっかりと反省をしたいと思っています。
今回はここまで。
次号では、神の期待されるあるべき生き方とは何か?そもそもこの世に生まれてくる理由とは何か?次の号で考えてみたいと思います。
では。
湖畔人