第259話. 社会主義が神々に嫌われる理由

2019-05-05 14:51:52 | ★カジュアルスピリチャリズム(カジスピ),多分あっていると思われる事,人生観
湖畔人です。

数話前にガンダムの話をしたのですが、その時に、ストレスフルな社会は、我々がこの世に生まれて来るそもそもの意義にむしろ合致していると言う話をしましたが、それを書いていて思ったのですが、実はこれこそが、神々が社会主義国、福祉重視型の社会、北欧型の社会を嫌い、何故アメリカ型の小さな政府を指向するのか、その理由の説明になっているのではないのかなと思ったので、ちょっと指摘してみます。

ガンダムの所でも申しましたが、

多くの宗教の最大公約数的な教えを見ますと、または私が尊崇する宗教家の言葉を見てみますと、どうも、我々は、根源の神により、太古の昔に神の光の一部の分光によって生まれ、皆それぞれ違った個性を持ち、その神の一部でもあり神の子達でもある我々は、転生輪廻の過程の中で様々な経験を通して霊性の獲得、魂としての成長及び進化を期待されており、それらを通して段々と神に近い存在に成長する事を期待されており、同時に親である神との繋がりを強め深め、神と一体化して行く事も期待されているようだ、と言う話をしました。(多分、合っていると思いますが・・・)

そしてその霊性を深めるとは、信仰心や愛、優しさや、知性、謙虚さ、純粋さ、素直さ、正直さ、勇気、創造性、協調性、リーダーシップ、集中力、実現力、忍耐力、柔軟性、正義感、反省力、神の作りしこの世とあの世の仕組みを知る事、神の意図を知る事、等(多分合っていると思いますが・・・)の精神的要素を、転生の過程で得た経験と学習を通して獲得し、段々と神に近づく事が期待されている存在なようなのだ、と、言う話を致しました。

では、その霊性とは一体どうやって鍛えられるのか、獲得出来るかと言えば、それは先述の通り、転生輪廻の過程でこの世に何度も生まれ来る事にあるようです。では、なぜそうする必要があるのかと言えば、我々は本来霊的な存在であって、我々の本来の住処は霊界なのですが、あの世の世界は波長同通の世界であって、自らと似た個性が集う世界であるが故に、似た者同士が周りに集まるので、そこはある意味居心地が良い世界なのですが、一方全く成長が見込めない世界でもあるが故に、成長を得るために、我々は、自分達とは違ったタイプの存在が数多く集うこの世に生まれて来る必要があるだと思われているのです。(多分合っていると思いますが・・・)霊的には盲目となり霊的に負荷の多い状況の中で、タイプの違う葛藤の起きやすい人達が周りに沢山いるこの世に生まれる事で、何があるべき姿なのか、どういう在り方が感じの良い人としての在り方なのか、どう言う生き方が正しい生き方なのか、他人は時間の中で変わるし皆本質的には神の子達であるので変化を忍耐して待ち、良く成る事を期待しつつ、本来君はこうあるべきだと心を込めて相手に改善を促すとか、様々な反面教師にそれぞれの存在(自分も含めて)が成る中で、互いに磨き合って、愛とか、忍耐とか、ハッキリ正しい事を言う勇気とか、色んな事を学んでいくのです。それがこの世の存在意義のようですし、それが我々がこの世に何度も生まれて来ては霊性を獲得せんとしている理由のようなのです。(多分合っていると思いますが・・・)

その意味で、葛藤が大きければ大きいほど葛藤を通して学んだ事を魂に刻むその深さも深くなり、自分に足りていない霊性を大きく獲得できる可能性も高くなっているのではないか?とガンダムの所でも申し上げました。

その意味では、何でもかんでも社会が用意して、何の心配もなく揺り籠から墓場まで面倒を見てくれる社会主義的福祉社会は、葛藤も無く良いようには見えますが、この世の存在意義が霊性を高め魂を鍛える為と言うのであれば、行き過ぎた社会主義的世界はその主旨から外れると思うのです。だから神々から嫌われるんだろうなと思われます。もし楽に葛藤を少ない世界にいたいと言うのであれば、あの世に留まっていれば良いのです。この世は修行の場なのですから修行にならないと存在意義が無くなりますね。

もちろん、セイフティネットは要ります。体の弱い人、病気の人、子供達や老人達など一人では生きられない方々の為に社会がサポートする仕組みは必要なのですが、

でも、それ以外の殆どの人達は、自主独立の精神で、自らの手で自らの人生を切り開き、自らの手で財を成し、子孫を作り、様々な形で社会に貢献する、と言う生き方が望まれており、それは、あたかも各自が小さな神様になって自分の周りを照らすと言う事でもあり、それは神が我々人間達に期待している進化した姿でもあろうかと思うのです。(勿論小さな神になるとは俺の言う事を聞けと周りに強要するような存在になる事でも無く、神の如き自主独立した存在、周りに幸福をもたらす存在になる、と言う意味で言っています)そうした小さな成功と小さな幸福は、不確定なものに囲まれる中で得た方が、または葛藤の多い環境の中で得た方が、達成した時の喜びも、克服した時の喜びも、新しい気付きを得てそれらを魂に刻む深さも、自由で不確定な社会の方がより大きく得られると思うのです。

社会主義の何もしなくても生きて行ける世界は、それら成長を味わう喜びも無いだけでなく、ただ、食って寝るだけの家畜に近い世界にも見え、そもそも頑張らなくても食べて行ける安泰な世界なので神を求める事も無く、神と繋がりを深めると言う我々神の子達に課せられた成長項目にも進化が全く期待できず、終いには神など要らぬと言い始める無神論者達を数多く生み出す事になります。神の子である出自を忘れ傲慢になり、神を否定し始めるのです。霊的な癌細胞化と言えるかと思います。そして別に頑張らなくても食べて行けるので段々と怠惰になり、創造性も発揮されず、頑張る事もしなくなり、段々と快楽を求める事にだけに一生懸命になりがちになるので、人が動物化しやすくなり、魂としての進化を期待して生まれて来るこの世の存在意義にも反して来るのです。だから社会主義、共産主義は神々から嫌われてしまうのです。

だから、人々が自由に主体性と創造性とチャレンジ精神を発揮する為にも、税金は最低限が望ましく、セイフティネットの為の社会保障費と、外敵から国を守る為の国防費、インフラを整える為の税金は要るにしても、基本税金は極力最小限に抑えて、人々が頑張った分だけ各自が富を獲得し易くし、その富を社会に寄付したり、投資したり、次の事業に回したり、それぞれ有効活用して善の循環が起こるような、そんなアメリカ型の小さな政府の社会の方がより神の意に適っていると言えるのです。人々が伸び伸びとチャレンジし自己実現でき、失敗しても再チャレンジ出来る規制の少ない小さな政府の社会がやはり望ましいのです。それはまるでトランプさんのアメリカにソックリですね。

今の日本では新しい大学を作るのも、新しいテレビ局を作るのも、新しい政党を軌道に乗せるのも、新しいビジネスを起こすのも、寄付をするのも、とってもやりにくい規制と税制でガンジガラメのほぼ社会主義の国家になっている恥ずべき状態です。これらを変えて神の目から見て合格点の出る自由な国に変えて行く必要がありますね。

ついでに言うと、中国など共産主義の国は、金持ちを否定し高い税率で分配だと言い、国民全員に貧しさを強要している割には、実際には共産党の幹部、支配層はもの凄い金持ちで、内緒で富を独占しています。インチキです。国民への背信行為ですね。中国共産党の幹部達は内緒で小さな国の国家予算並みの凄まじい資産を持ち、それら資金を海外に送金していつでも国外脱出して裕福な生活が送れるように富を溜め込んでいます。アメリカやその他の西側は、それら資産を凍結してしまえばよいと思います。国民に対する裏切り行為です。神を否定する国だから、報道の自由がない国だからこうなるのです。神が存続を認める筈もありません。絶対に崩壊します。

でも、ソ連でも嘗てのサッチャー出現前のイギリスでも証明されたように、何でも国が面倒を見る高税率な福祉型社会主義的国家は必ず破綻する定めのようで、勝手に崩壊する事でしょう。日本だってこれだけ借金が多いのも、社会保障費が高すぎて成り立たないからです。現実に合っていないのです。年金も積み立て式にするとか、もっと高齢になってから支給する形にするとか、任意で年金受領を拒否する方々を募り、それらに応じる方々を讃える仕組みでも作り、彼らが治めた分を現金で戻すとか、もしくは寄付していただけたなら、またそれらの人々を称える仕組みを作るとか、保険代も無償教育費も年金も全て見直す必要があると思うのです。自民党は国民の税金を勝手に使って自分達の人気取りに使い、将来にツケを残すようなやり方はもう止めるべきです。

いずれにせよ、行き過ぎた社会主義の国、または共産主義国は、霊性を高めるために存在するこの世の意義に反するようです。だから神様達に嫌われるのです。

湖畔人

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。