湖畔人です。
久々に気になった映画について3連チャンでお話しをしたいと思います。
先日海外に行った際、飛行機の中で見た三つの映画が印象に残ったのでご紹介したいと思います。
先日海外に行った際、飛行機の中で見た三つの映画が印象に残ったのでご紹介したいと思います。
まず一つ目は、ウィレム・デフォー主演の『永遠の門 ゴッホの見た未来』です。
こちらは、印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯の一部を描いた映画で、画家でもあるジュリアン・シュナーベルが撮った作品でもあります。以前、"第191話. 始源の神の目に似たもの"の記事の中でも紹介した新表現主義の代表的画家ジュリアン・シュナーベルですが、彼は画業だけでなく映画監督もしており、同じ新表現主義の画家、ジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画も手掛けていますね。
こちらは、印象派の画家、フィンセント・ファン・ゴッホの生涯の一部を描いた映画で、画家でもあるジュリアン・シュナーベルが撮った作品でもあります。以前、"第191話. 始源の神の目に似たもの"の記事の中でも紹介した新表現主義の代表的画家ジュリアン・シュナーベルですが、彼は画業だけでなく映画監督もしており、同じ新表現主義の画家、ジャン=ミシェル・バスキアの伝記映画も手掛けていますね。
そんな画家のジュリアンが描く巨匠ゴッホの姿ですが、ゴッホと言うと、生きていた時にはその芸術が全く理解されず絵が一枚も売れなかった画家であり、精神に異常をきたしてしまい、一緒に過ごしたゴーギャンとも仲違いをし、その状況に絶望して自らの耳を切り落とし、最後は自害して果ててしまった悲しくも孤独な画家、しかし一方で死後にはその悲劇的で孤独な生涯の物語が作品とセットになって評価されるようになり、今では人類に最も知られ愛されている画家の1人になった存在、と言った感じの方でしょうかね?私も多くの日本人の例に漏れず基本的にゴッホは好きですし、彼の厚く盛った絵具を塗りたくったような画法も好きですし、彼の使う水色や黄色がとても好きで、日本の浮世絵や日本の文化に関心を示し愛してくれた事も何か嬉しいし親近感も感じますし、作品としても、特に『ラ・クローの収穫風景』や『アルルの跳ね橋』がとても好きなのですが、それでも、正直言うと彼の抱えていた狂気や悲惨な人生を知ってしまうと、何か彼の作品を印刷したポストカードやポスターを部屋に飾ると、なにか彼の抱えていた悲劇性や狂気が此方に移って来そうで、何か気が引けると言うか、正直ちょっと敬遠しがちだったのですが、でも一方で、実際の彼の本当の姿はどんなものだったのだろうか?果たして彼は本当に世間で言われているような狂った人物だったのだろうか?と言う興味と疑念が一方であったので、そうした疑念への1つの答えとしてシュナベールの描くゴッホ像がどう言ったものなのかとても興味があったのです。
この映画の中で描かれていたゴッホは、その美への妥協の無さから、また特異な画風から一般人の理解を得られず、特に凡庸で閉鎖的な田舎の方々にとっては、理解不能な彼の芸術と存在はからかいとイジメの対象にしかならず、その無理解とからかいに対しヒステリックに反応した事で狂人扱いをされ、結果、病院に押し込まれてしまう事になったと言う風に描かれておりました。そこに描かれていたゴッホはとても品格があり、理知的で冷静な美の求道者であり、ストイックであって、見た目もセンスの良いオシャレな伊出達でして、とても感じの良い人物として描かれていました。ゴッホを描くカメラの奥の視線には何か愛と尊敬が感じられ、画家としてのジュリアンのゴッホへの尊敬と気遣いが感じられましたね。そこに描かれたゴッホは狂った人物等ではなく、他の偉人達と同じように真実を求めたが故に真の孤独を味わった真実の人と言ったものでしたね。それは、ゴッホファンとしては何か救われた気分になる作品でした。これでもう遠慮なく彼の作品を部屋に飾れる事が出来る気がします。有難い事ですね。ジュリアンに感謝です。
とは言っても静かで物悲しい映画ではあったので、その後大きな商談が控えている自分としては余り気が沈んだまま海外には行けないな、と思い、ちょっとリセットを掛ける為にもう少し現世的で派手な映画を観る事にしました。そこで見たのが、チェイニー元副大統領を描いた『VICE』と言う映画です。
これも違った意味で強烈でしてブッシュジュニアが大統領だった時代に、副大統領(バイス プレジデント)の権限を拡大させる事をジュニアに約束させた上で副大統領を引き受け、陰の大統領として活躍したチェイニー元副大統領の、副大統領になる前の時代と後の時代のコントラストを描いた映画ですが、グダグダだった若者時代に最愛の嫁さんにハッパを掛けられ心を入れ替え政治の世界に入り、ラムズフェルドとの腐れ縁が出来きて、そこから若くして権力の中枢にアクセスが可能になり、段々と共和党内で力を持つように成るも、娘の一人が所属政党の受けが悪いLGBTである事が判明したり等諸々あって大統領になる事を諦めざるを得ず、政界を去る決意をし、財界に身を転じる事となり、石油関連も手掛ける巨大企業のCEOになって財も築くが、ブッシュジュニアに副大統領になる事を懇願され、それ以降は、VICE=副になる事で、VICE=悪徳にも成って行くと言う姿が描かれている映画なのです。9.11の後、未曾有の混乱を独断で沈めた彼は、テロリストに対しリベンジを開始するのですが、その一環として始めたイラク戦争でしたが、フセインは大量破壊兵器を隠し持っている、だからフセインを倒さねばならない、として始めた戦争でしたが、何時まで経っても破壊兵器など見つからなかったし、実は始めからその事を知っていたのに話をデッチ上げてイラク戦争を仕掛けたチェイニー達には背後に石油利権が絡んでいて、それがイラク戦争を彼等が無理矢理始めたかった本当の理由だった、とか、イスラムの活動家達を必要も無いのに片っ端から拉致しては拷問に掛ける事で必要の無い恨みを買い反米のイスラム国のリーダーを誕生させてしまった事等を描き、国民の無関心がこうしたモンスターの出現を許したんだぞ、もっと政治を監視し、検証せよ、そして共和党は今も昔も危険だぞ、信用するな、と言いいたげな映画でしたね。一部はきっと本当の話でしょう。でも、監督のアダム・マッケイはバリバリの左翼、民主党贔屓、オカシオコルテスと同じDSA(Democratic Socialists of America:アメリカ民主社会主義者)のメンバーですから、当然、共和党をディスる目的で描かれた映画であって、大分偏りと誇張があると見るのが妥当な見方かと思いますね。実際、オバマのバイスだったバイデンもウクライナに軍事利権があって、その繋がりで何もしていない息子がウクライナのエネルギー関連企業から多額の報酬をもらっている事が最近知られましたね。民主党でもバイス(副)がバイス(邪悪)な事をしていたのです。クリントン家だってそうです。チャイナとズブズブですし、そもそも旦那さんもチャイナマネーで大統領に当選したと言われてますしね。悪魔と言われた故マークリッチに恩赦を与えており、その黒い関係性にも疑問を持たれていたり、その闇の深さは底無しと見られていますよね。共和党だけがVICE=悪徳だなんて言わせませんよ。ねー。民主党の方も相当な悪党がゴロゴロといるみたいですね。因みにこの映画の製作者の一人にブラッド・ピットがおりますね。大変残念ですね。ブラピお前もか!って感じです。
そして最後にエルトンの生涯を描いた映画『ロケットマン』を観ましたが、『ボヘミアン・ラプソディ』と同じくゲイであり、成功はしたが孤独であり、その侘しさからドラッグと酒に溺れ破滅の道を歩んで行った人間でしたが、最後は傷付いた自分自身を受け入れ、愛する事を知り、そして実はこれまでも愛を与えられて生きて来た事に気付く事で立ち直って行くと言うストーリーでしたね。
実は三つの映画とも人に認められたくて、愛されたくてもがく人々の姿を描いた映画でしたね。愛されたい、認められたい、それが得られず辛く寂しく苦しく悲しいと嘆き孤独に陥る魂の叫びが色んな形で表現されている映画だったなと思いました。
ゴッホは唯一弟にだけは理解され受け入れられてはいましたが、基本、他人に認められない苦しみの中に生きた人生でしたね。それでも自分の真実を求める心、本当の美を求める心に素直に従って生きた真実の人生でした。映画では彼の死は自殺ではなかったと言う風に描かれており、それは言われている事とは違いますし、とても印象的でしたね。チェイニーは妻に愛され認められたくて政治の世界に入り力を付けた人間でしたし、父に認められたいと愛にもがくブッシュジュニアの心の隙を突いて副大統領の職を得る代わりに権限を拡大させ、ちょっとやり過ぎた人物として描かれていました。そしてエルトンも両親からの愛の欠如、ゲイの孤独、恋人の裏切り、愛されない存在、惨めで孤独な自分を受け入れられなくて自暴自棄になって破滅的な生き方をするも、最後は傷付いた自分自身を自分で受け入れ愛する事で見事復活を果たして行きましたね。皆、愛に飢え、愛が欲しくて、その空虚さを満たすためにそれぞれ行動を起こし、それが結果的に歴史に対し何かの成果として残っていると言うその事実に大変驚きましたし、何かとっても面白い話だなと思いましたね。世の中は愛を求める気持ちで出来上がっているのかもしれませんね。多分きっとそう言う事なんでしょう。なんか面白い世の中ですね。では。
ゴッホは唯一弟にだけは理解され受け入れられてはいましたが、基本、他人に認められない苦しみの中に生きた人生でしたね。それでも自分の真実を求める心、本当の美を求める心に素直に従って生きた真実の人生でした。映画では彼の死は自殺ではなかったと言う風に描かれており、それは言われている事とは違いますし、とても印象的でしたね。チェイニーは妻に愛され認められたくて政治の世界に入り力を付けた人間でしたし、父に認められたいと愛にもがくブッシュジュニアの心の隙を突いて副大統領の職を得る代わりに権限を拡大させ、ちょっとやり過ぎた人物として描かれていました。そしてエルトンも両親からの愛の欠如、ゲイの孤独、恋人の裏切り、愛されない存在、惨めで孤独な自分を受け入れられなくて自暴自棄になって破滅的な生き方をするも、最後は傷付いた自分自身を自分で受け入れ愛する事で見事復活を果たして行きましたね。皆、愛に飢え、愛が欲しくて、その空虚さを満たすためにそれぞれ行動を起こし、それが結果的に歴史に対し何かの成果として残っていると言うその事実に大変驚きましたし、何かとっても面白い話だなと思いましたね。世の中は愛を求める気持ちで出来上がっているのかもしれませんね。多分きっとそう言う事なんでしょう。なんか面白い世の中ですね。では。
湖畔人