今日は一気に寒くなった。
朝起きたら気持ちい秋晴れ。長袖カットソーとジーンズでちょうどいい感じ。
散歩へ行き、掃除をして、洗濯も一回転。寒いけどお天気が良かったので乾いてくれたわ。
ブランチに冷凍餃子と白ご飯、納豆、みそ汁を食べて、お腹いっぱいにして出勤。
今日もポート2で勤務。
何度も書いているけど、現在わがリハビリ病棟には空きベッドがいくつかある。それに伴いスタッフ数も減らされているけど、まぁまぁなんとかなる状態。私は同じ患者さんを担当して3日目なので、患者さんの病歴もケアプランも薬も頭に入っている。だからかなり余裕をもって作業することができた。
ところで。
このところ考えさせられていることがる。
ある年の差夫婦で、旦那さんが患者さん。脳への障害でもう一年以上入院している(うちに来る前にいくつか転院している)。家に帰れるかどうかはボーダーライン。
患者さんご本人は帰宅を希望している。だけど奥さんはまだ仕事をしている。もしも患者さんが家に戻ると24時間一緒にいることが必要となるので、必然的に奥さんは仕事を辞めなくてはならない。患者さんは自分の妻なんだから奥さんは仕事を辞めて自分の世話をすべきと主張。でも奥さんはまだ働きたい。また年の差もあるせいか、旦那さんである患者さんは奥さんに対する要求が激しく、何も自由にさせてもらえないらしい。そんな背景と患者さんが必要とする介護を考えると奥さんへの負担が大きくなるため、奥さんは施設に行ってもらうことも視野に入れている模様。
そのプランを知った患者さんはドクターや社会福祉士、看護師に泣きながら不満をもらしている(どちらかというとウェットな感じの人)。今日、私にも不満を聞いてもらいたそうにしていたけど、個人的にこの奥さんの献身はすごいと思っているので、患者さんの望むようなことは言ってあげられなかった(その証拠に、すぐに「もういい」みたいなことを言われ、部屋から追われた)。
奥さんともたまに立ち話をするけど、いろんなものの板挟みにあってて、なんかすごく気の毒になる。
ここまでが前提。
この夫婦を見ていてずっと思っていることは、私は家族から離れて養護施設に行く覚悟ができるだろうか?ということ。
私が年を取ってからこの患者さんの状態になったとして、Dの負担を考えると施設へ行った方がいいと思う。だけど実際に当事者になったらまた違う感情があるはず。おそらく自分の死も具体的になってきて、それで平常心を保てるかどうかはわからない。
先日Dともこの話をしていて、Dに「私が毎晩のようにおもらしして、一緒に寝ている布団やシーツが尿まみれになっても耐えられる?」と聞いたら、頑張る…とは言っていた。でもそれはDがまだ若いからそう言えるのであって、自身の体力も衰えてきた時点ではそうは言えないんじゃないかと思う。Dのキャパを超えていると私が悟ったとして、それが最善とわかっていても「施設に行きます」と自分から言えるだろうか? また逆の場合、Dに「施設に入って」と言えるだろうか? 特にDが「施設には行きたくない」と言ったら、私はどうするだろう? そんなことをずっと考えている。特にうちは子供がない夫婦で、お互いしか頼れない状態になる予定だから、片方の施設行きはかなり大きな決断になる。答えはもちろん出ない。そういうことを考えるのがまだうんと先の話であることを願うばかり。
健康って素敵なことよ、本当に。最終的にここに行きつくわ。
今夜もDリムジンで帰宅。
夜は冷え込んだなー。職場でも今年お初のカーディガン着用。もう秋も半ばだからこうでないとダメなんだけどね。この寒さが続くようならそろそろ電気毛布の出番かな。
いつもは帰ってから居間でブログを書くんだけど、寒いのでベッドでこれを書いている。Dとワンコたちはすでに高いびき。心なしか犬たちの密着度が高い。これからベッドを抜け出して寝る支度をしなくてはいけない。その間に私のスペースを奪われそうやな。
朝起きたら気持ちい秋晴れ。長袖カットソーとジーンズでちょうどいい感じ。
散歩へ行き、掃除をして、洗濯も一回転。寒いけどお天気が良かったので乾いてくれたわ。
ブランチに冷凍餃子と白ご飯、納豆、みそ汁を食べて、お腹いっぱいにして出勤。
今日もポート2で勤務。
何度も書いているけど、現在わがリハビリ病棟には空きベッドがいくつかある。それに伴いスタッフ数も減らされているけど、まぁまぁなんとかなる状態。私は同じ患者さんを担当して3日目なので、患者さんの病歴もケアプランも薬も頭に入っている。だからかなり余裕をもって作業することができた。
ところで。
このところ考えさせられていることがる。
ある年の差夫婦で、旦那さんが患者さん。脳への障害でもう一年以上入院している(うちに来る前にいくつか転院している)。家に帰れるかどうかはボーダーライン。
患者さんご本人は帰宅を希望している。だけど奥さんはまだ仕事をしている。もしも患者さんが家に戻ると24時間一緒にいることが必要となるので、必然的に奥さんは仕事を辞めなくてはならない。患者さんは自分の妻なんだから奥さんは仕事を辞めて自分の世話をすべきと主張。でも奥さんはまだ働きたい。また年の差もあるせいか、旦那さんである患者さんは奥さんに対する要求が激しく、何も自由にさせてもらえないらしい。そんな背景と患者さんが必要とする介護を考えると奥さんへの負担が大きくなるため、奥さんは施設に行ってもらうことも視野に入れている模様。
そのプランを知った患者さんはドクターや社会福祉士、看護師に泣きながら不満をもらしている(どちらかというとウェットな感じの人)。今日、私にも不満を聞いてもらいたそうにしていたけど、個人的にこの奥さんの献身はすごいと思っているので、患者さんの望むようなことは言ってあげられなかった(その証拠に、すぐに「もういい」みたいなことを言われ、部屋から追われた)。
奥さんともたまに立ち話をするけど、いろんなものの板挟みにあってて、なんかすごく気の毒になる。
ここまでが前提。
この夫婦を見ていてずっと思っていることは、私は家族から離れて養護施設に行く覚悟ができるだろうか?ということ。
私が年を取ってからこの患者さんの状態になったとして、Dの負担を考えると施設へ行った方がいいと思う。だけど実際に当事者になったらまた違う感情があるはず。おそらく自分の死も具体的になってきて、それで平常心を保てるかどうかはわからない。
先日Dともこの話をしていて、Dに「私が毎晩のようにおもらしして、一緒に寝ている布団やシーツが尿まみれになっても耐えられる?」と聞いたら、頑張る…とは言っていた。でもそれはDがまだ若いからそう言えるのであって、自身の体力も衰えてきた時点ではそうは言えないんじゃないかと思う。Dのキャパを超えていると私が悟ったとして、それが最善とわかっていても「施設に行きます」と自分から言えるだろうか? また逆の場合、Dに「施設に入って」と言えるだろうか? 特にDが「施設には行きたくない」と言ったら、私はどうするだろう? そんなことをずっと考えている。特にうちは子供がない夫婦で、お互いしか頼れない状態になる予定だから、片方の施設行きはかなり大きな決断になる。答えはもちろん出ない。そういうことを考えるのがまだうんと先の話であることを願うばかり。
健康って素敵なことよ、本当に。最終的にここに行きつくわ。
今夜もDリムジンで帰宅。
夜は冷え込んだなー。職場でも今年お初のカーディガン着用。もう秋も半ばだからこうでないとダメなんだけどね。この寒さが続くようならそろそろ電気毛布の出番かな。
いつもは帰ってから居間でブログを書くんだけど、寒いのでベッドでこれを書いている。Dとワンコたちはすでに高いびき。心なしか犬たちの密着度が高い。これからベッドを抜け出して寝る支度をしなくてはいけない。その間に私のスペースを奪われそうやな。
日本北海道札幌に住んでいる者です宜しくお願いいたします・・・
本日読ませていただいたブログ身につまされました。
主人を亡くしてまだ四十九日も迎えていません。
今のコロナで家族が全員集まる事も出来ないのです。
嫁と孫と私3人で四十九日を無事済ませたいと思って居ます。
主人は20年前に脳内出血で倒れて右半身麻痺
その為に言語障害が有り言葉の疎通が大変でした。
私は昨年末には股関節手術で入院同じ時期に主人は熱を出し入院の結果癌が見つかりました。
80歳だったので手術は断念しました。
家での看取りを計画していた最中の私の手術、
介護は相当無理が有ると看護師さんからお話しが有りました熱が続く主人を私は痛みをこらえてすぐに退院して主人を自宅に引き取りましたり。
主人は家に帰りたかったことを思う様に言葉が出ない中を😢を流して私の手を握り嬉しさを表現しました。
続いていた熱も段々下がりました。
問題は食事でした。固形物は食べられなくなり
フードプロセッサーで出来る限りの物はとろみ食に替えました。
自宅での点滴、輸血、下の世話は大変で朝5時まで洗濯の連続でした。
でも主人は私の傍にいると言う安心感お互いにありました。
余り先は無いと感じた時からベットを並べて置き
手をつないで寝ました。
主人は確かめる様に私の指を一本ずつ握りました。
夜も目を瞑って寝る事は無くなり何時も目を開けていました。
心配な事有る?と聞くと頷きます。
主人としたら自分が死んだら私がどうなるだろうという事も心配の一つ。
でも私は長男夫婦と2世帯暮らし、
みんなとうまく暮らしているので何の心配もいらない事を告げると頷いてくれました。
次の日から頭が混濁してきて急遽入院・・・
次男が病院の職員【介護士】父さんが家でどうしょうもなくなったら最後は俺が看取ると言ってくれていてた。
次男が救急車を運転してきて迎えに来てくれた。
少しでも良くなればまた家に帰る事を約束して。
私は次男の家に泊まり毎日主人の病院に行くことを約束したがコロナの為に病院には面会客が入れなくなってしまった。
良かったことは次男とその嫁が主人の入院した病院で働いていた事です、私はいけないが嫁と次男が毎日時間が有る限り主人の傍に居てくれました。亡くなる前の日に病院から呼び出し急いで駆け付けましたがもう私を分からなくなっていました。
耳元で迎えに来たよ家に帰ろうと何度も言うとやっと頷いてくれました、その夜は病院に泊まりましたが次の朝息を引き取りました。
本当に長くなり申し訳ありません。
今は骨に成り家に居ります20年もの長い間不自由だった身体やっと楽になったと思い安心しました今は毎日主人と向かい合ってモーニングコーヒーを美味しく飲んでいます。
長い介護も私が仕事をしていなかったから出来たのかなと思います。
コメントありがとうございます。
ご主人のこと、ご愁傷さまでした。長かったですね。20年。本当にお疲れ様です。まだ心の整理に時間はかかるでしょうが、時間が多くのことを解決してくれると思います。
病院にいると、死ぬ権利についても考えます。以前、脳内出血で入院してきた方がいました。この人は心配蘇生を望んでいなかったのですがその意思が伝わっておらず、家族の意向で施され、結果寝たきりになりました。ご家族が家に連れて帰りましたが、その後どうしているんだろう?と考えたりします。
家族の看護に「たら・れば」は尽きません。mituさんが先の20年間、ご主人様のために過ごした時間を誇りに思い、この先の時間をmituさんがご自身のために楽しめることを願います。
ブログも続けてくださいね。