夜勤明け。
忙しくはなかった、だけど、この時期に病院に残っている患者さんはたいていが要介助。下や床ずれの世話でまた腰痛再発。うーん、憂うつ。
明け方におばあさんが一人亡くなった。
クリスマスに出勤した際に担当したんだけど、末期がんで転移も認められているとは言え、食事もちゃんと摂り、また歩くこともできたので、そこまですぐではないだろうと思っていた。だけど昨夜に容態が急変し、そこからはあっという間だった。
これまで何名もの患者さんを見送ったけど、このおばあさんは悲しい最期を迎えたひとり。というのも、急変のためモルヒネと筋肉弛緩剤の投与をまだ様子見していたところだったので、痛みと苦しみを十分に取り除いてあげることができたか正直自信がない。
また亡くなった時間が定かではない。一時間ごとに部屋を見回るのだけど、3時に部屋をのぞいたときはまだ息があった。しかし4時の時点ですでに冷たくなっていた。だからその間には間違いないんだろうけど、それでももう少し早く気づいてあげられなかっただろうかと悔やむ気持ちがある。
そして何より。
理由は知らないけど、家族が誰も気にかけていなかった。娘さんがシドニーに住んでいるんだけど、ほとんど来たことがない。昨夜急変の知らせを聞いて、本来なら今日来ることになっていたらしいのだけど、そのときも「大晦日のパーティーがあるから…」と来ることを渋ったぐらいらしい。そして朝になって亡くなったことを告げると、案の定来なかった。身の回りのものは近くに住む友人に引き取ってもらうから、とのことで娘さんはもとより、家族の誰一人としてやってこず(遺体は葬儀屋さんが会場に運ぶ)。
なんだか悲しかったなぁ。
だけど、それぞれの家庭に理由があるはずだから、私が悲しんでも仕方がない。家族の死を何の迷いもなく悲しむだろう私は幸せなんだろうと思ったりした。
ま、なんだかんだあったけど無事にシフト終了。夕食の食べすぎのせいで、水を飲む以外、勤務中は何も食べずに過ごした。明け方にやっとお腹が空いてきてホッとした。
家に帰ったらDママが起きていた。ヨーグルトを食べ、紅茶を飲んでから私はベッドへ。
勤務中、課題をこなしていたため、昨夜は一睡もしなかった。それが良かったのか今朝はしっかり寝た。目覚めたら1時。12時前に起きてしまうこともよくあるので、よく寝た方だと思う。Dが寝室のすぐ外側にあるフェンスを閉める音で起きたので、それがなかったらもっと寝ていたと思う。
起きたらDとDママがお茶を飲んで、スーパーに寄って帰ってきたところだった。目が覚め切らない私はソファでボンヤリ。その間に元シェフのDママは我が家のキッチンマスター・Dにトマトソースの作り方を伝授。
私も手伝うべきかな?と思ったけど、しんどかったのでゴロゴロしていた。
そしてそのトマトソースを使ってピザトーストを作ってくれた。
うまし。
ここで私はお腹いっぱい。その後も台所で何かしている2人を置いて、私はベッドに戻るとまた寝ていた。やっぱり夜勤は疲れるんす。「ご飯よー」という声で起こされた。
お腹は空いてなかったけど、目の前においしそうなものが並ぶと食べてしまう私。トマトソースを使ってのチキンカツ。
至福。
食べるのに必至で盛り付けられた写真はなし。
その後は酒盛りをしていた。私はまた満腹だったので白をトータル3杯ほどで終わり。しかしDとDママは赤を2本と白を1本。Dにいたってはその前にスコッチを飲んでいたので結構酔っ払っていた。映画「New Year's Eve」がテレビ放映していたので観ていたのだけど、酔っ払い2人は昔話をしながら時に険悪ムードになったり(Dは絡み酒)。私は映画に集中したいのに、そんなこともお構いナシにギャーギャーとうるさいので、何度もDをクッションで殴ったぐらい。やれやれ。
オーストラリアでは全般的に夜の9時ごろにお子様用の、日付が変わると共に大人用(!?)の大きな花火があがる。シドニーのものが一番有名かな? ゴールドコーストも大規模やと思うけど。
我が田舎町でも一応予定されているので、それを見に行こうとか話をしていた。しかし映画が終わった10時半。D親子はすでにお眠モード。そして実際寝てしまった。
日付が変わる20分前の今、私はひとり真っ暗なリビングルームで、すぐ近くのソファで寝るDママと隣の寝室にいるDの豪快な寝息の合唱を聞きながら書いている。我が家流「第九」。
もうすぐ2015年も終わりかぁ。気候のせいか、年末年始の身が引き締まる感じが全然しない。来年こそはこの時期、日本に帰りたいな。
今年の一番大きなニュースを上げるとしたらDの就職かな。ずっと定職に就いてほしかったので。「なんとかなるさ」精神があふれるオーストラリアやけど、経済的なことでは私はまだまだそれになじめない。残念な結果にはなったけど、Dにお勤めに対する抵抗がなくなったことが大前進。
あとは家を買ったこと…かな。でも大ニュースってほどでもないか?
とにかく大けがもせず、健康で一年を過ごせたので良かった。来年もこの調子で健康で周囲に感謝しながら過ごしていきたい。
最後に。
いつもブログを読んでくださっている皆様にとっても素敵な2016年となりますように。良いお年をお迎えください。
忙しくはなかった、だけど、この時期に病院に残っている患者さんはたいていが要介助。下や床ずれの世話でまた腰痛再発。うーん、憂うつ。
明け方におばあさんが一人亡くなった。
クリスマスに出勤した際に担当したんだけど、末期がんで転移も認められているとは言え、食事もちゃんと摂り、また歩くこともできたので、そこまですぐではないだろうと思っていた。だけど昨夜に容態が急変し、そこからはあっという間だった。
これまで何名もの患者さんを見送ったけど、このおばあさんは悲しい最期を迎えたひとり。というのも、急変のためモルヒネと筋肉弛緩剤の投与をまだ様子見していたところだったので、痛みと苦しみを十分に取り除いてあげることができたか正直自信がない。
また亡くなった時間が定かではない。一時間ごとに部屋を見回るのだけど、3時に部屋をのぞいたときはまだ息があった。しかし4時の時点ですでに冷たくなっていた。だからその間には間違いないんだろうけど、それでももう少し早く気づいてあげられなかっただろうかと悔やむ気持ちがある。
そして何より。
理由は知らないけど、家族が誰も気にかけていなかった。娘さんがシドニーに住んでいるんだけど、ほとんど来たことがない。昨夜急変の知らせを聞いて、本来なら今日来ることになっていたらしいのだけど、そのときも「大晦日のパーティーがあるから…」と来ることを渋ったぐらいらしい。そして朝になって亡くなったことを告げると、案の定来なかった。身の回りのものは近くに住む友人に引き取ってもらうから、とのことで娘さんはもとより、家族の誰一人としてやってこず(遺体は葬儀屋さんが会場に運ぶ)。
なんだか悲しかったなぁ。
だけど、それぞれの家庭に理由があるはずだから、私が悲しんでも仕方がない。家族の死を何の迷いもなく悲しむだろう私は幸せなんだろうと思ったりした。
ま、なんだかんだあったけど無事にシフト終了。夕食の食べすぎのせいで、水を飲む以外、勤務中は何も食べずに過ごした。明け方にやっとお腹が空いてきてホッとした。
家に帰ったらDママが起きていた。ヨーグルトを食べ、紅茶を飲んでから私はベッドへ。
勤務中、課題をこなしていたため、昨夜は一睡もしなかった。それが良かったのか今朝はしっかり寝た。目覚めたら1時。12時前に起きてしまうこともよくあるので、よく寝た方だと思う。Dが寝室のすぐ外側にあるフェンスを閉める音で起きたので、それがなかったらもっと寝ていたと思う。
起きたらDとDママがお茶を飲んで、スーパーに寄って帰ってきたところだった。目が覚め切らない私はソファでボンヤリ。その間に元シェフのDママは我が家のキッチンマスター・Dにトマトソースの作り方を伝授。
私も手伝うべきかな?と思ったけど、しんどかったのでゴロゴロしていた。
そしてそのトマトソースを使ってピザトーストを作ってくれた。
うまし。
ここで私はお腹いっぱい。その後も台所で何かしている2人を置いて、私はベッドに戻るとまた寝ていた。やっぱり夜勤は疲れるんす。「ご飯よー」という声で起こされた。
お腹は空いてなかったけど、目の前においしそうなものが並ぶと食べてしまう私。トマトソースを使ってのチキンカツ。
至福。
食べるのに必至で盛り付けられた写真はなし。
その後は酒盛りをしていた。私はまた満腹だったので白をトータル3杯ほどで終わり。しかしDとDママは赤を2本と白を1本。Dにいたってはその前にスコッチを飲んでいたので結構酔っ払っていた。映画「New Year's Eve」がテレビ放映していたので観ていたのだけど、酔っ払い2人は昔話をしながら時に険悪ムードになったり(Dは絡み酒)。私は映画に集中したいのに、そんなこともお構いナシにギャーギャーとうるさいので、何度もDをクッションで殴ったぐらい。やれやれ。
オーストラリアでは全般的に夜の9時ごろにお子様用の、日付が変わると共に大人用(!?)の大きな花火があがる。シドニーのものが一番有名かな? ゴールドコーストも大規模やと思うけど。
我が田舎町でも一応予定されているので、それを見に行こうとか話をしていた。しかし映画が終わった10時半。D親子はすでにお眠モード。そして実際寝てしまった。
日付が変わる20分前の今、私はひとり真っ暗なリビングルームで、すぐ近くのソファで寝るDママと隣の寝室にいるDの豪快な寝息の合唱を聞きながら書いている。我が家流「第九」。
もうすぐ2015年も終わりかぁ。気候のせいか、年末年始の身が引き締まる感じが全然しない。来年こそはこの時期、日本に帰りたいな。
今年の一番大きなニュースを上げるとしたらDの就職かな。ずっと定職に就いてほしかったので。「なんとかなるさ」精神があふれるオーストラリアやけど、経済的なことでは私はまだまだそれになじめない。残念な結果にはなったけど、Dにお勤めに対する抵抗がなくなったことが大前進。
あとは家を買ったこと…かな。でも大ニュースってほどでもないか?
とにかく大けがもせず、健康で一年を過ごせたので良かった。来年もこの調子で健康で周囲に感謝しながら過ごしていきたい。
最後に。
いつもブログを読んでくださっている皆様にとっても素敵な2016年となりますように。良いお年をお迎えください。