今日も相変わらずの荷造り。朝は質屋へ不要電化製品を売りに、ホームセンターへダンボールをもらいに行った。現在部屋はダンボールが積み上げられている。やはりダンボールがあると仕分けが進む。私のものは9割方終わった。Dのものはまだ半分ぐらいで、日用品はまだあまり手がついていない。ほんまにトロいわぁ。
しかし今日はあまりDの尻を叩かなかった。というのも彼の体調が悪そうだったので。「ボクは白熊だよ!?(ノルウェーの血を引いていることを誇るときに白熊を強い生き物の象徴として引用する)。風邪なんかひくわけないし!!」と普段から豪語するD。しかし、さすがに旅行から帰ってすぐに荷造りに追われて疲れを見せている上に、10年以上住んだBrisbaneを離れることに漠然とした不安を抱えているよう。私が横でゴホゴホやっているので、いま風邪菌に漬け込まれたらあっという間だろう。なので今日は私一人で荷造りに精を出していた。ちなみに私はまだ咳が残っているけど体はだいぶ楽になった。
今回の引越しは私の都合によるものでしかない。私が看護師の仕事をWoy Woyで得なければ今回の引越しはなかっただろう。
そもそもなぜWoy Woyという遠くはなれた田舎町で就職することを選んだかというと、ここでしか新人研修付の内定が取れなかったから。私が就職活動をしたのは、全国の病院が新人研修付の募集を出していた去年の7~8月(年に2回。3~4月にもある)。当時は結婚の話が何となくあったものの確定はしていなかった。オーストラリアに在住できるビザを取るにはIELTSもさることながら正看としての就職も必要事項。Dとの交際は正直二の次で、IELTS(=看護師資格)さえ取れたらオーストラリアのどこへでも行くつもりで、Brisbaneに限らず全国へ履歴書を配りまくっていた。その結果、唯一内定が出たのがこの病院だったのである。
この内定は正直奇跡的だった。というのも私は大学を卒業していたのに看護師資格が取れていないという中途半端な状況(現地学生は卒業と同時に資格が取れる)。加えて日本人=英語が第一言語ではないというハンデ。それらを知った上で病院は内定を出してくれた。さらには先にも書いたけど、2月の研修開始時までに資格が取れなかったのに、IELTSの点数が取れるよう3カ月も待つと言ってくれた奇特な病院だったのである。
IELTSが取れた3月。すでに結婚してたため看護師として働かなくてもオーストラリアで住む権利を持っていた。なので一瞬内定を断り、近くの病院に応募することも考えた。
しかし
1.現在Brisbaneでは看護師の就職先が少なく、新人研修付の就職はもとより、通常の就職でも経験のない新人看護師が仕事をみつけるのは難しいこと。
2.仮にBrisbaneで就職が見つかっても十中八九それは“新人研修付”ではなく、即戦力と見なされるため、期待値と実力が伴わず苦労すること(そもそも私は卒業後一年経つので、多くの病院でもう“新人研修付”に応募することができない)。
3.看護師としてキャリアを積む方が生活に困らないし、将来も食いっぱぐれる率が低いこと。
4.通常3年かかるところを編入だったため2年で卒業した、知識量も低く成績もとても悪い私に内定をくれた上に、IELTS獲得を3カ月も待ってくれた病院に「行かない」というのは義理が通らないと思ったこと。
5.看護師にならずに他の職業を探す場合、何の資格も持たない異国人となるので就職自体が困難なこと。仮に見つかってもお給料や待遇は期待できないこと。
を理由にこの内定を受けさせてもらうことになった。
でもこれらは全部私の都合で、Dにはまったく関係ない。メリットと言えば1.私の給料が安定=2人の生活も安定する、2.Sydneyに近いので彼の職業柄ビジネスチャンスがBrisbaneよりもあるかもしれない、というだけで、あとは彼は持ち家があるにも関わらず引越し(しかも田舎へ)、多額の引越し費用、そして荷造りをはじめ引越しに関する様々な雑用、新しい仕事の人脈探し等、今回に引越しでDにそこまで旨味があるわけではない。実際私が「この内定を受けたい」と言ったとき多少言い争いとなり、Dママも交えて話した結果、単身赴任という方向で決まっていた。しかしDは伴侶として私の挑戦をそばで支えるためと自分の新しい可能性に賭けるために、最終的に一緒に引越ししてくれることを決めてくれた。
もう10年以上Brisbaneに住み、さらに気ままな一人暮らしを同じ部屋で約5年も続けた不惑の男性が、たいした理由もなく生活基盤を変えることは大きな決断だったと思う。また以前はSydneyで働きそこそこ実績を残していたとは言え、離れて10年も経っていれば、淘汰の激しいクリエイティブ業界で感覚を取り戻すことに不安もプレッシャーもあることやろう。私は自分のことばかり考えて不安になったり緊張したりしていたけど、今回の引越しがDにとっても挑戦になることに気づいてなかった。「在宅の仕事なんだからどこでやっても同じでしょう?」ぐらいに考えていた。
もちろん今回のこと(私の就職)を夫婦の問題として考えてほしいと思う気持ちはあるけれど、自分のことで精一杯でDへの感謝の気持ちを忘れていたことを思い出した今日。彼が少々しんどそうにしていたこともあって、今日はヤイヤイ言わずに黙って荷造りに取り組んだ。
ちょっといい話の後になんやけど、正直一人でやるほうがはかどった。その結果リビングにはダンボールが積みあがり、Dママ宅で預かってもらうもの、後から郵送してもらうもの等の仕分けも進んでいる。Dのものがほとんどなので捨てるにもいちいち聞く必要があるけど、Dがやると雑な上に効率が悪く、見ていて「私にやらせろ!」と思ってしまうので、自分でやるほうがストレスレベルも低い。
感謝の気持ち。とっても大切。忘れずにいるってとっても大変。
明日も頑張ろう。
しかし今日はあまりDの尻を叩かなかった。というのも彼の体調が悪そうだったので。「ボクは白熊だよ!?(ノルウェーの血を引いていることを誇るときに白熊を強い生き物の象徴として引用する)。風邪なんかひくわけないし!!」と普段から豪語するD。しかし、さすがに旅行から帰ってすぐに荷造りに追われて疲れを見せている上に、10年以上住んだBrisbaneを離れることに漠然とした不安を抱えているよう。私が横でゴホゴホやっているので、いま風邪菌に漬け込まれたらあっという間だろう。なので今日は私一人で荷造りに精を出していた。ちなみに私はまだ咳が残っているけど体はだいぶ楽になった。
今回の引越しは私の都合によるものでしかない。私が看護師の仕事をWoy Woyで得なければ今回の引越しはなかっただろう。
そもそもなぜWoy Woyという遠くはなれた田舎町で就職することを選んだかというと、ここでしか新人研修付の内定が取れなかったから。私が就職活動をしたのは、全国の病院が新人研修付の募集を出していた去年の7~8月(年に2回。3~4月にもある)。当時は結婚の話が何となくあったものの確定はしていなかった。オーストラリアに在住できるビザを取るにはIELTSもさることながら正看としての就職も必要事項。Dとの交際は正直二の次で、IELTS(=看護師資格)さえ取れたらオーストラリアのどこへでも行くつもりで、Brisbaneに限らず全国へ履歴書を配りまくっていた。その結果、唯一内定が出たのがこの病院だったのである。
この内定は正直奇跡的だった。というのも私は大学を卒業していたのに看護師資格が取れていないという中途半端な状況(現地学生は卒業と同時に資格が取れる)。加えて日本人=英語が第一言語ではないというハンデ。それらを知った上で病院は内定を出してくれた。さらには先にも書いたけど、2月の研修開始時までに資格が取れなかったのに、IELTSの点数が取れるよう3カ月も待つと言ってくれた奇特な病院だったのである。
IELTSが取れた3月。すでに結婚してたため看護師として働かなくてもオーストラリアで住む権利を持っていた。なので一瞬内定を断り、近くの病院に応募することも考えた。
しかし
1.現在Brisbaneでは看護師の就職先が少なく、新人研修付の就職はもとより、通常の就職でも経験のない新人看護師が仕事をみつけるのは難しいこと。
2.仮にBrisbaneで就職が見つかっても十中八九それは“新人研修付”ではなく、即戦力と見なされるため、期待値と実力が伴わず苦労すること(そもそも私は卒業後一年経つので、多くの病院でもう“新人研修付”に応募することができない)。
3.看護師としてキャリアを積む方が生活に困らないし、将来も食いっぱぐれる率が低いこと。
4.通常3年かかるところを編入だったため2年で卒業した、知識量も低く成績もとても悪い私に内定をくれた上に、IELTS獲得を3カ月も待ってくれた病院に「行かない」というのは義理が通らないと思ったこと。
5.看護師にならずに他の職業を探す場合、何の資格も持たない異国人となるので就職自体が困難なこと。仮に見つかってもお給料や待遇は期待できないこと。
を理由にこの内定を受けさせてもらうことになった。
でもこれらは全部私の都合で、Dにはまったく関係ない。メリットと言えば1.私の給料が安定=2人の生活も安定する、2.Sydneyに近いので彼の職業柄ビジネスチャンスがBrisbaneよりもあるかもしれない、というだけで、あとは彼は持ち家があるにも関わらず引越し(しかも田舎へ)、多額の引越し費用、そして荷造りをはじめ引越しに関する様々な雑用、新しい仕事の人脈探し等、今回に引越しでDにそこまで旨味があるわけではない。実際私が「この内定を受けたい」と言ったとき多少言い争いとなり、Dママも交えて話した結果、単身赴任という方向で決まっていた。しかしDは伴侶として私の挑戦をそばで支えるためと自分の新しい可能性に賭けるために、最終的に一緒に引越ししてくれることを決めてくれた。
もう10年以上Brisbaneに住み、さらに気ままな一人暮らしを同じ部屋で約5年も続けた不惑の男性が、たいした理由もなく生活基盤を変えることは大きな決断だったと思う。また以前はSydneyで働きそこそこ実績を残していたとは言え、離れて10年も経っていれば、淘汰の激しいクリエイティブ業界で感覚を取り戻すことに不安もプレッシャーもあることやろう。私は自分のことばかり考えて不安になったり緊張したりしていたけど、今回の引越しがDにとっても挑戦になることに気づいてなかった。「在宅の仕事なんだからどこでやっても同じでしょう?」ぐらいに考えていた。
もちろん今回のこと(私の就職)を夫婦の問題として考えてほしいと思う気持ちはあるけれど、自分のことで精一杯でDへの感謝の気持ちを忘れていたことを思い出した今日。彼が少々しんどそうにしていたこともあって、今日はヤイヤイ言わずに黙って荷造りに取り組んだ。
ちょっといい話の後になんやけど、正直一人でやるほうがはかどった。その結果リビングにはダンボールが積みあがり、Dママ宅で預かってもらうもの、後から郵送してもらうもの等の仕分けも進んでいる。Dのものがほとんどなので捨てるにもいちいち聞く必要があるけど、Dがやると雑な上に効率が悪く、見ていて「私にやらせろ!」と思ってしまうので、自分でやるほうがストレスレベルも低い。
感謝の気持ち。とっても大切。忘れずにいるってとっても大変。
明日も頑張ろう。