「明るく、楽しく、元気よく!」は、ご存知の様に「NHKのど自慢」のコンセプトです。
日曜、お昼の時間帯に放送されますので、暗い歌はまず予選で落とされます。
下野新聞に『♫歌のチカラ♪・のど自慢66年』と題して、記事が載っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e5/7414a8778e6670f1a5df8b6735688709.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/af/33018f4dccb368cfc65662970493daa8.jpg)
20歳の頃より、一度出てみたいと思い、20歳代後半の頃に2度予選に出た事がある。
1度目は、市制80周年で造られた「文化会館」の「こけら落し」にのど自慢が招聘されて
その時が最初。
その後、はがきを出しても出しても予選に行けない期間が続いた。
1枚では当たらないのか?との思いに達して、5枚ほど出したら1枚が当たって2度目の予選会に・・・。
場所は、南河内町(現・下野市)だったが、またも落選。
それもそのはず、「サヨナラも言え~ず、泣いている~・・」と、 なんて暗い歌を唄っていたのかーー。
「俺は、のど自慢には合わない」と、それっきりになった。
その頃 栃木県内の予選は、民謡を唄う方も多く、出場枠が3~4名位いた様に思う。
また、宇都宮の様な大きな都市では、全てNHKでやっていたようだったが
地方では、受付から細かい事も町職員がやっていたようです。
(番組出場の当落や、運営はNHKが・・・)
2番目の画像には、出場の流れが載っていますが、昔の予選は400名だった様な記憶があります。
(民謡は小ホールでありました。)
それから、予選に選ばれた方は、歌う曲の楽譜を用意して持っていかねばなりません。
これがなかなか大変でしたねー。
今は、こうしてブログに書くほど懐かしく、若かりし日のいい印象に残っている事の一つです。
新聞に出ていたお蔭で、大変懐かしく思い出されました
日曜、お昼の時間帯に放送されますので、暗い歌はまず予選で落とされます。
下野新聞に『♫歌のチカラ♪・のど自慢66年』と題して、記事が載っていました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/76/e5/7414a8778e6670f1a5df8b6735688709.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/af/33018f4dccb368cfc65662970493daa8.jpg)
20歳の頃より、一度出てみたいと思い、20歳代後半の頃に2度予選に出た事がある。
1度目は、市制80周年で造られた「文化会館」の「こけら落し」にのど自慢が招聘されて
その時が最初。
その後、はがきを出しても出しても予選に行けない期間が続いた。
1枚では当たらないのか?との思いに達して、5枚ほど出したら1枚が当たって2度目の予選会に・・・。
場所は、南河内町(現・下野市)だったが、またも落選。
それもそのはず、「サヨナラも言え~ず、泣いている~・・」と、 なんて暗い歌を唄っていたのかーー。
「俺は、のど自慢には合わない」と、それっきりになった。
その頃 栃木県内の予選は、民謡を唄う方も多く、出場枠が3~4名位いた様に思う。
また、宇都宮の様な大きな都市では、全てNHKでやっていたようだったが
地方では、受付から細かい事も町職員がやっていたようです。
(番組出場の当落や、運営はNHKが・・・)
2番目の画像には、出場の流れが載っていますが、昔の予選は400名だった様な記憶があります。
(民謡は小ホールでありました。)
それから、予選に選ばれた方は、歌う曲の楽譜を用意して持っていかねばなりません。
これがなかなか大変でしたねー。
今は、こうしてブログに書くほど懐かしく、若かりし日のいい印象に残っている事の一つです。
新聞に出ていたお蔭で、大変懐かしく思い出されました