久し振りに「いのちと絆(きずな)のメッセージ」からです。
毎週 月曜日15時45分から放送されております。(国会中継等々を除く)
今日は、1月23日に放送されたものです。
(転載させて戴きました)
・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・
いのちと絆(きずな)のメッセージ
1月23日(1)
ラジオネーム 美代子さん 77歳
「私の心を打ったひとの優しさ」
「墓場まで持って行く」という言葉がこの世にはある。
振り返ってみれば、自分の生き様はあまりにも酷く、
決して他言できるものではないと思い続けてきた。
辛酸をなめた過去は、黙って墓まで持って行くつもりであったが
他方で、心温まることも少なからずあった。
これを書くことは、自分の恥部もさらすことになるのだが
時間をかけて悩んだ末、感謝の気持ちを込めて書いてみることにした。
刑事事件で、3年6ヶ月の受刑生活を終えたある夏の昼、
私は、駅に降り立った。
彼は、白いヘルメットを片手に、両手を左右に振り
改札口に向かう私をあの笑顔で迎えてくれた。
それは、私の取り調べにあたった刑事だった。
「後ろに乗って」という彼の背に捕まって、バイクで彼の家に向かった。
私たちは街を突っ走り、丘の上にある彼の家に到着した。
雑木林に彼の家だけが一軒。
生い茂る緑は、下の街道まで続いていた。
「ねぇ、どこまでがSさんとこなの?」
「この山全部が俺ん家というとこかな。まぁ入ってよ」
玄関を入ると、真正面に大きなサイドボードが置かれ
身体を斜めにして奥へ向かう私に、キッチンからSの奥さんが
初対面の私に声をかけた。
「あら、いらっしゃい。このテーブル大きいから
家で使わせてもらっているの・・」
私は、深く頭を下げた。
廊下のほとんどが、衣裳ケースと段ボール箱で埋め尽くされ
通るスペースは半分ほどしかない。
奥の居間に通されると、この部屋も
和ダンス、洋ダンスでぎっしりだ。
「色々、長い間ありがとうございました」と
私は、改めて頭を垂れた。
Sの奥さんの笑顔は、彼と全く同じ笑顔で
私を安堵させた。
当時の私は、夫と別居中だったので
私の住まいの後片付けを、私は、S刑事に委任したのだった。
「庭が広いから物置でも作って入れておくよ」
そんな言葉を真に受けて、世間知らずな私は4年近くも
荷物を預けて過ごしていた。
そして、出所後、私の2DKの荷物が、彼の家中を
足の踏み場もないほど占拠しているのを目の当たりにして
私は、頭を下げることしか出来なかった。
1週間後、私は友人のトラックで荷物を引き取りに行った。
奥さんは外出中で、私に宛てた置き手紙があった。
「手伝いが出来なくて」という詫びの言葉と
昼食にと、寿司とデザートまで添えられていた。
心を打たれ、感謝で頭が上がらなかった。
それから一年後、私は都会の一角でコーヒー店を開いた。
S刑事は、仕事明けの帰り道、私の店に立ち寄ってくれた。
「これ、開店祝い」と、御影石に名を刻んだ表札を贈ってくれた。
「店を持てたんだから家も持てるよ」と
さりげなく言葉も添えて。
数年後、Sさんが亡くなったことを奥さんからの便りで知った。
すぐに彼のお宅を訪ねたが、一軒家を囲む雑木林は分譲され
かつての風景はなくなっていた。
お宅で、彼の優しい笑顔の写真に対面した。
「更生」という言葉を一度も使うことなく、
私に人の心を教えてくれたS刑事。
Sさん夫婦の温情は、都会で一人暮らしをしている私の
懐中カイロのように、心を温め続けてくれている。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
他にも沢山のメッセージが記されております。
良かったらご覧下さい。
■つながるラジオ・いのちと絆(きずな)のメッセージ
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今日は、1月23日に放送されたものです。
(転載させて戴きました)
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いのちと絆(きずな)のメッセージ
1月23日(1)
ラジオネーム 美代子さん 77歳
「私の心を打ったひとの優しさ」
「墓場まで持って行く」という言葉がこの世にはある。
振り返ってみれば、自分の生き様はあまりにも酷く、
決して他言できるものではないと思い続けてきた。
辛酸をなめた過去は、黙って墓まで持って行くつもりであったが
他方で、心温まることも少なからずあった。
これを書くことは、自分の恥部もさらすことになるのだが
時間をかけて悩んだ末、感謝の気持ちを込めて書いてみることにした。
刑事事件で、3年6ヶ月の受刑生活を終えたある夏の昼、
私は、駅に降り立った。
彼は、白いヘルメットを片手に、両手を左右に振り
改札口に向かう私をあの笑顔で迎えてくれた。
それは、私の取り調べにあたった刑事だった。
「後ろに乗って」という彼の背に捕まって、バイクで彼の家に向かった。
私たちは街を突っ走り、丘の上にある彼の家に到着した。
雑木林に彼の家だけが一軒。
生い茂る緑は、下の街道まで続いていた。
「ねぇ、どこまでがSさんとこなの?」
「この山全部が俺ん家というとこかな。まぁ入ってよ」
玄関を入ると、真正面に大きなサイドボードが置かれ
身体を斜めにして奥へ向かう私に、キッチンからSの奥さんが
初対面の私に声をかけた。
「あら、いらっしゃい。このテーブル大きいから
家で使わせてもらっているの・・」
私は、深く頭を下げた。
廊下のほとんどが、衣裳ケースと段ボール箱で埋め尽くされ
通るスペースは半分ほどしかない。
奥の居間に通されると、この部屋も
和ダンス、洋ダンスでぎっしりだ。
「色々、長い間ありがとうございました」と
私は、改めて頭を垂れた。
Sの奥さんの笑顔は、彼と全く同じ笑顔で
私を安堵させた。
当時の私は、夫と別居中だったので
私の住まいの後片付けを、私は、S刑事に委任したのだった。
「庭が広いから物置でも作って入れておくよ」
そんな言葉を真に受けて、世間知らずな私は4年近くも
荷物を預けて過ごしていた。
そして、出所後、私の2DKの荷物が、彼の家中を
足の踏み場もないほど占拠しているのを目の当たりにして
私は、頭を下げることしか出来なかった。
1週間後、私は友人のトラックで荷物を引き取りに行った。
奥さんは外出中で、私に宛てた置き手紙があった。
「手伝いが出来なくて」という詫びの言葉と
昼食にと、寿司とデザートまで添えられていた。
心を打たれ、感謝で頭が上がらなかった。
それから一年後、私は都会の一角でコーヒー店を開いた。
S刑事は、仕事明けの帰り道、私の店に立ち寄ってくれた。
「これ、開店祝い」と、御影石に名を刻んだ表札を贈ってくれた。
「店を持てたんだから家も持てるよ」と
さりげなく言葉も添えて。
数年後、Sさんが亡くなったことを奥さんからの便りで知った。
すぐに彼のお宅を訪ねたが、一軒家を囲む雑木林は分譲され
かつての風景はなくなっていた。
お宅で、彼の優しい笑顔の写真に対面した。
「更生」という言葉を一度も使うことなく、
私に人の心を教えてくれたS刑事。
Sさん夫婦の温情は、都会で一人暮らしをしている私の
懐中カイロのように、心を温め続けてくれている。
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他にも沢山のメッセージが記されております。
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