その昔・・・・、プロレス番組は夜の8時台に1時間というゴールデン番組だった。
テレビが普及し始めた頃と、その隆盛は 軌を一にする・・・。
その中心には、空手チョップの力道山が君臨し、
亡き後も豊登、ジャイアント馬場袂を分かったアントニオ猪木らがいた。
日本人の彼らが活躍し、お茶の間のヒーローになるには、憎い相手役が必要だった。
それも、とびっきりの強いやつがイイ![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/yl/155.gif)
その中の一人に、「4の字固め」の覆面レスラーザ・デストロイヤー氏がいた。
何しろこれに罹ったら、当時は悪戦苦闘・・・、リング中央で仕掛けられたらロープにも逃げられず
顔をゆがめたままでギブアップが多かった。
それほどの必殺技だった。
(今ではリバースして、掛けた相手に逆にやられる事も多い。汗;)
デストロイヤー氏には、昨秋政府から―――、
日本のプロレス振興や日米交流への長年の貢献をたたえられ、旭日双光章を受章した。
このほどその伝達式が、彼の住む米ニューヨーク州北部バファローで行われた。
「これ以上の名誉はない」と満面の笑みだったそうですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/62/23ee322202419ec25001a33a18a03b5e.jpg)
彼の本名は、リチャード・ベイヤーさん、もういつの間にか87歳になっていました・・・・。
存命中に贈ることが出来て良かったです。
初来日が1963年、
東京で行われた力道山との対戦で64%というテレビ視聴率を記録。
日本に空前のプロレスブームを巻き起こした。
テレビが普及し始めた頃と、その隆盛は 軌を一にする・・・。
その中心には、空手チョップの力道山が君臨し、
亡き後も豊登、ジャイアント馬場袂を分かったアントニオ猪木らがいた。
日本人の彼らが活躍し、お茶の間のヒーローになるには、憎い相手役が必要だった。
それも、とびっきりの強いやつがイイ
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/yl/155.gif)
その中の一人に、「4の字固め」の覆面レスラーザ・デストロイヤー氏がいた。
何しろこれに罹ったら、当時は悪戦苦闘・・・、リング中央で仕掛けられたらロープにも逃げられず
顔をゆがめたままでギブアップが多かった。
それほどの必殺技だった。
(今ではリバースして、掛けた相手に逆にやられる事も多い。汗;)
デストロイヤー氏には、昨秋政府から―――、
日本のプロレス振興や日米交流への長年の貢献をたたえられ、旭日双光章を受章した。
このほどその伝達式が、彼の住む米ニューヨーク州北部バファローで行われた。
「これ以上の名誉はない」と満面の笑みだったそうですね。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/62/23ee322202419ec25001a33a18a03b5e.jpg)
彼の本名は、リチャード・ベイヤーさん、もういつの間にか87歳になっていました・・・・。
存命中に贈ることが出来て良かったです。
初来日が1963年、
東京で行われた力道山との対戦で64%というテレビ視聴率を記録。
日本に空前のプロレスブームを巻き起こした。