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「人生、不可解」と、身を投げた藤村操

2014年09月17日 01時51分16秒 | ラジオから・・・
矢板の病院に向かっている車の中。
ラジオから、1903年(明治36年)5月に日光・華厳の滝で投身自殺した
藤村操の話題が聞こえてきた。
※藤村操:旧制第一高等学校生(今の東大生)

身を投げる前に、傍の木(大きなミズナラ)を削って「巌頭之感」(がんとうのかん)を書き残して自殺した。
※この木も、当局によって抹消されたがその直前に、地元の写真館(当時の山中写真館)がこれを写真に撮り、
           絵葉書として売り出したところ、飛ぶように売れたそうです。

               

華厳の滝・・・2013年9/29


 ・巌頭之感
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  悠々たる哉天壤、
  遼々たる哉古今、
  五尺の小躯を以て此大をはからむとす、
  ホレーショの哲學竟(つい)に何等のオーソリチィーを價するものぞ、
  萬有の眞相は唯だ一言にして悉す、曰く「不可解]
我この恨を懐いて煩悶、終に死を決するに至る.
既に巌頭に立つに及んで、胸中何等の不安あるなし。
始めて知る、大なる悲觀は大なる樂觀に一致するを
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16歳でこの世を去った藤村操に共感して、
4年後の明治40年までに華厳滝で自殺を図った若者は185人に上った。
何十年か前の岡田有希子さん以上の衝撃があった様ですネ。

夏目漱石は当時、一高で英語講師をしており、藤村はその教え子であった。
彼の死は、漱石の精神にも大きな打撃を与えた。
漱石は自殺直前の授業中、藤村に、「君の英文学の考え方は間違っている。」と叱っていた。
この事件は漱石が後年、鬱(うつ)病となった一因とも言われているそうだ。

岩波茂雄(岩波書店の創業者)さんも、藤村の友人でした。

華厳の滝は、その後自殺の名所として有名になり、今日に至っている。
最近は、余り聞かなくなりましたね。
高さ100mもあり、身を投げても滝つぼまでいかないで、
途中の岩場に落ちてしまうのが多かったそうで
警察官がその遺体を命からがら始末する。





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