久しぶりに公園を散歩したら、なんと!アジサイの葉がみんなとんがっている。葉を広げられなくて「矢」のようになって空に向かっていた
つまりは水が欲しい。この公園は人工的に水撒きをしていないので、土もからから、さぞやのどが渇いているのだろう
梅雨のころは「アジサイ道」と銘打って花を楽しんでいた人たちも、今や見る人もいない状態
人に育てられている植物は、人の手を頼りにしているので自分ではどうしようもない。これって動物園も一緒。本来森林深くいる動物たちにとって、囲いに入れられえさを与えられ、時に芸も仕込まれて、人間に楽しんでもらう動物に仕立てられている
繁殖に使われる犬を引き取った知人がいる。繁殖するためにだけ生きていた犬は、人に絶対になつかない、しかもおびえている。そして繁殖期を過ぎたら簡単に始末されるのだという。
「もういいのよ頑張らなくて」と受け取った犬にいいきかせ、触らせてもらえるようになったのに6か月かかったという。今は飼い主にひたすら優しくされて、やっと生き生きと自分の性を忘れて飛び跳ねて生きている。子孫を残すためのマシーん。そういうことを考えつくのも人間だ。チャ子ちゃん先生は蚕とともに合宿をしていた時、人間の残酷さにあきれはて、だからこそ絹を大事にしたいと思った。
人間が手をかけた以上、最後までその命を大事に扱うことで、残酷の罪は流されるのかもしれないと思う。「大祓の詞」にもあるように「罪という罪はあらねとーーー」といいように解釈しているが、生きている人は呼吸をするだけでも罪深いことがあるやあも知れない
暑さがあるからこそ涼しさをありがたいとおもう、善があるから悪が見える、善悪双方ともに人にとって必要だろう
「暑さ寒さも彼岸まで」と言って暑さを嫌わず、寒さもまた楽しむ、私たちの先人は、生活上手、生き方上手だったのだなあ。と汗をふきふき自分に言い聞かせている
アジサイちゃんきっと大丈夫、近いうちに雨さんがやってくるからね、と言い聞かせているけどぼつぼつ一降り欲しいよね