よほど早起きしないと朝のお散歩は無理、あついもん
昨日は一日のんびりしていたし、夜も早く床に就いたので目覚めも早い・
散歩でもしよう?
出かけるとやはり気持ちがいい
緑の中は何といってもさわやか、空が白むと鳥が騒ぎたち、木々の葉も風に揺らぐ、足元を見ると白露がシダの葉の上度コロコロ転がっている
季節は確実に時を刻んでいる、こういう季節の推移を見ずして生活をしていることはもったいない、そう思うけどチャ子先生朝に弱いので、なかなかこの気分を味わうことができない
いいと思っていても、身を置くには決断?が必要
去年はこの季節にヒガンバナが一凛咲いていてびっくりした。今年はーーと期待したが見事に裏切られた
だーれもいないベンチでしばし休む
朝の体操の方々が三々五々集まり始めた、この新宿中央公園はこれからがにぎやかになる。犬の散歩の人たちも、ウオーキングの人たちも
30年前この公園には60匹の捨て猫がいて、その猫を育てていた「猫ニーサン」がいた
樹木がうっそうとしていて猫が身を隠すのにはちょうど良かった
猫の朝食は6時、猫ニーサンが食器をたたいて「てーべ」と呼ぶと、樹木の陰から草むらからわらわらと猫が集まり、ニーサンはその一匹一匹に皿を与えていて餌を盛る
そこに猫好きの人たちが現れて、それぞれ餌を寄贈、中にはタイのあらがあったりする
ニーサンはそのごちそうはボスのポッポに差し出す
しかしその猫親分はみんなが食べ終わったのを見届け、皿に口をつける
よく教育したと感心する
親分に程遠い名前をもらったはポッポは子猫の時公園内の公衆便所わきに捨てられていて、ニーサンが育て理想の親分猫に教育した
猫ニーサンは任侠に身を置き、何かの都合で公園内に身を隠して生活をしていた
彼の理想の親分はポッポのような人なのだという
管理され、手入れのいき届いた公園にはもう猫もいないし、もちろん猫ニーサンの姿もない
それでも、管理から逃れている小さな草花が季節を告げてくれる