自分にっとって不条理と思うことが多い
それと分かってきちんと断れる勇気が必要なのだが
人間ってなかなかそれが出来なくて、相手の言い分を唯々諾々と受け入れ、自分が不条理を受け入れているくせに相手恨むか、不条理と知りつつそれを受けた自分をさいなむ
不条理を受け入れてしまったら
とことんその不条理と付き合うことをすると「学び」というご褒美ももれなくついてくる
すべての不幸の原因は自分が作り出していることに気が付くというご褒美ももらえる
嫌な事をいやと言えない
ダメということをダメと言えない
行きたくないのに行ってしまう
会いたくないのに会いに行く
特に日本人は人との調和を壊したくない、嫌われたくない、自分だけ目立つのもいやなどなど協調性の方を重んじてしまい、どんな不条理なこともつい引き受けてしまいがち
振り返ると
「いや」といえなかったばかりに、異をとなえなかったばかりにむざむざと自分の大切な時間を無駄にし、なおかつお金も使って無駄遣いだったと臍を噛む
こんな事多くの方が経験していると思う
不条理だと思うことを承諾してしまったら、そこから自分自身の人間力を上げる何かを得ることを、積極的に考えるしかない
自分のやりたいことだけに喜びをもって集中して生きていれば、ストレスなど絶対にない
それができない人間の社会であるならば
不条理を抱えてそこからも何か自分にとって楽しいことを探していくしかないのだろうなあと思う
「あの人変わってるから」
と思われた方が生きやすいかもしれない