何を信じる?
誰を信じる?
自分自身でしょう!自分を信じないで何のために生きている?
これってなかなかむつかしいよね
10人いて9人がイエスと言っている、自分一人がノーという。これなかなか言えない
多数決って一番間違いが起こりやすい
子供の時でも
「ハイハイ」と率先して手を挙げる子がいる、その子は自分に自信があり、そして確信を持っている。よしんぼ回答が間違っていても「そうか」と言って自分の非を簡単に認めてけろりとしている
そして正しい回答をしている人を尊敬できる大きな器を持っている。だから人に好かれる
何事も率先して行動するので躓きも多い、だけどその躓きからまたたくさんのことを学んでいる様子がわかる
こういう子が大人になると良きリーダーになっているのを見る
秀才はそういう子を遠ざけるか親友にしたいと願うようだ。親友にした方がその秀才の生き方も明るくなる
久しぶりに会う旧友たちを見ていると、子供心を持ったまま大人になった人が老いても魅力的
管理社会の中で自分を失わず生きてきた人たちには人間力がある
それは自分自身に常に問いかけながらことを成していたのだと思う
自分を信じるということは早い話が「神」を信じるということだろうと思う
それは宗教的なものではなく、この世界を作った宇宙神、また自分を作ってくれた宇宙神、自分自身を見るには自然をしっかり観察することだろうとも思う
それにしても「男」は窮屈だね
チャ子ちゃん先生流にいうと「子供」を生まないから、自分という実態がわからないのかもしれない
骨盤を見ても男の骨盤は中身は骨だけ、女のそれは生命の基盤である「子宮や卵巣」があり子宮で考えるとよく言われるが、それはあたり前、生命の根源から物事を考えることができるんだもの
世の中男も女も同じだよという法案が出たりしているが、自分自身を信じ、自分の考えを信頼しないと泥沼に引きずり込まれてしまうだけだ、清い水の中で生きていたい