「我」の強いチャ子ちゃん先生は、その我を押し通して失敗し、自分自身に困難を呼び込む
ほとんどの不幸の原因は自分から発したものだと思っている。にもかかわらず「我」がなかなか消えない
何かが起きるときは必ず原因が自分にある
「あの時そうしておけば」
「あの時素直になっていれば」
「あの時きちんと向き合っていれば」
原因が自分にあるものだから、つい自分を責める
長く生きていろんな体験をしていると、自分を責めるのは一番簡単な解決法のように思うが、実はその解決方法が違っているので、また同じような失敗をしでかす。その時もまた、「私のこういうところが悪いのよね」と自分を責める。そうするとさらなる大きな失敗が来る
こういう経験は多くの方がしていること
最初の神の言葉を無視したことが原因だと気づくと
どうして無視したのか、無視した自分を見つけていくと「なあんだ」つまりは変なこだわりや、傲慢さに気が付く
「そうか近頃傲慢になっていたのだな」
という原因に気が付くと、嘘のように逆にいい結果が見えてくる。更に素敵な未来を髪は見せてくれる
その時
「私たちは神によって生かされているのだなあ」と「謙虚になっていく」
しかし行動を起こさないと、こういう蜜の味は味わえない
昨日面白いことがあった
ここのところ動きすぎているので土の氣がほしいと、外出からの帰り、公園に入り足袋を脱いでアーシングしていた、とポツンと雨、あら大変と足裏の土を払ってそのまま草履をはき小走りに部屋に戻るとすぐ、ピンポーン、書留だ。その時外を見ると雨はやみ空が青い
これを受け取るためにぱらりと雨を降らしてくれたのかと感謝
直感で教えて呉れることもある。しかし「我」の強い私にはこういう見える形のお知らせの方がありがたい
それすら無視する「我」の強さがあるのだから、チャ子ちゃん先生についている神様は大変だ
穏やかな人には穏やかな神様がいつもご一緒、そうなるといいのだけどね