幼い頃かなり重い病気を何回か、更に二回生死のはざまをさまよったけど、今思えば治癒能力を高めることに知恵を絞っていた母のおかげで、根本的な基礎体力がついた
がしかし
戦後教育の中で西洋医学に傾倒するようになり、せっかくきちんとした体を持っていたにもかかわらず、気管支の弱い私はその手の薬をよく飲んだ
女子大の寮で生活をしていた時、東京にインフルエンザがはやり、寮生のほとんどがそれに罹り大広間でみんな寝ていた。チャ子ちゃん先生には猛威を振るうインフルエンザが避けて通っていて、一人懸命に介護に回っていた記憶がある
その時
「バカは風邪ひかない」
と同室の上級生に冗談紛れに言われたのに、瞬時にぶん殴り、舎監にばれて田町に住む叔母が呼び出され注意を受けた
その話を叔母から聞いた母は
「ヒサコはそんなに元気になったのね、えらいね殴るほどの気力があって」
「全く、あなたもあなたなら親も親ね」
と叔母は苦笑していたが
母は治癒能力を高めるために苦労した思いがあるので、インフルエンザにかからなかったことも含めて私の元気がうれしかったのだろう
このころまでは薬と全く縁のない生活をしていたのに
社会人になり仕事上風邪ぐらいで休むわけにもいかないと勝手に自分で決めつけ、薬を飲むようになった
咳止めが主な常備薬となり、ラジオ番組を持っていた時はまず咳止めを飲んで番組を始めるという塩梅だった
そうするうち風邪をひいてもいないのに咳が出るようになり、更に頻繁に咳止めを飲むという悪循環
とあるとき
アーユルベーダ―の蓮村誠医学博士と知り合い
「細胞から奇麗にしましょう」
ということで「パンチャカルマ」という療法を10回
母が苦労して自然治癒力を高めたのに私が勝手に薬に頼り細胞を汚していた
それ以来薬を飲んでいない
コロナにもかからない体だとチャ子ちゃん先生は自分の体を信じ切っている
それが親孝行
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