今年は梅雨明けが早かった
六月も終わらぬうちに「もう梅雨が終わりました」とさ
単衣の着物の出番が少なく、3日前から薄物に手をとおしている
きものに詳しい方から
「もう絽ですか?いいんですか?」
との質問を受け
「自分の体が大事、暑かったら涼しくして体をいたわらないとね」
「だって6月は単衣って先生の本にも書いていますよ」
「確かにねそれは季節の受け取り方の標準を示しているのであって、よくよく読んでくださると、私のどの本でもあくまでも決まり事であって、その年の気温の変化で自由に考えてもいいと思う、それが着物を着る人の考え方、着る人が主、決まりが主ではありません」
こんなに人々が「決まり事」に従順になったのはいつからだろう
着物の世界も決まりごとが独り歩きして、逆に決まりごとに縛られて着物を狭義に考える人が多くなった
先人たちが毎日の着物生活の中で、より着心地の良い状態から決まり事を作ってきたわけで、時代が変われば当然その決まり事も解釈が変わってくる
いま大きく変わっているのは、花の季節に花に先駆けて花の帯を締める。というより今咲いている花と競演し合う。という考え方の人が多くなっている
桜の季節に桜満開の着物を着る
あじさい真っ盛りにアジサイの花の帯や着物を着る
さらに
花しょうぶが終わったから、名残の花しょうぶとして花菖蒲の着物にする
先に着るか
盛りに締めるか
名残で惜しむか
一つの花をそのような感覚できる人も増えた
花屋にも野菜も果物も「旬」を尊ぶ気持ちが薄れている昨今、着物の柄選びもそれに準じているのであろう
だからこそ
きものは「旬」を尊びたいとチャ子ちゃん先生は思う
だって「旬のエネルギーを身にまとう」ということで着物の柄や色は誕生しているのだから
素材は決まりごとに縛られず、柄や色はやはり自然のエネルギーをいただきたきたいなあ
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